三人暮らし――友情進化形

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おかえり ただいま おかえり ただいま 仕事から帰って、ただいまと言えば、おかえりと声が返る。 やっぱり、いいものだな。 きのうもきょうも、良介は思う。 きのうもきょうもと思うからには、あしたあさってとこの心地よさが続いて欲しいとまた願う。 いっしょに暮らさないかいと持ち掛けたのは、良介の方だった。 断られるかなと心配したが、光本くんはあっさり、ああ、そうするかいと気軽に応え、同居生活が始まった。 光本くんの方が、良介の住まいに引っ越して来た。 越して来ての初日二日目と宅配便が五つばかり続けて届いた。 「助かるよ、きみがいてくれているおかげで」 「それにしても、オカネモチなんだな。こんなにネットでお買い物?」 「まあ、お得なバーゲン週間ってこともあってさ」 そんな会話を交わす間にも、ああ、イイ感じだなとキモチが充たされる。 日頃忙しく働いている良介は、実際の店舗への買い物など行く時間がなかなか取れず、週末などにやっと自宅で、ネットでの買い物を行なうのが楽しみだった。食料品に飲み物に、衣類や時には家電も、というぐあいだが、しかし商品の受取りには困っていた。 宅配ボックス付きの住まいなどで暮らしていない。 近頃は最寄りのコンビニなどでも受取りが出来、その点助かっているが、夜遅く帰って来て、のこのこ出掛けるのも面倒。ヒト一人がいてくれるおかげで、こうも心に余裕が出来る。 「オレって、宅配要員ッ」と光本くんは笑うが、「感謝、カンシャ」と良介はおどけて、同居人の頭まで、イイコイイコと撫でてやる。 宅配要員であってくれるのは確かに大助かりだが、よーするに、したいことをしてくれていればいい、その一点を同居の際の条件として、良介は挙げていた。 したいことをする、したいことがなければ何もしなくてもよい。 「よーするに、オレは天国にいるってことですかい」 「好きなだけ、いればいいさ」 「どうして、そんなこと、許してくれる?」 「そりゃあな――」ヒト息付くでもなく、良介は言葉を繋ぐ。 「惚れた男には、それくらい許してやるよ」 「あっちゃー。照レル~」 ヤメテーと道化て返しながら、ごはんも出来てるよ、と光本くんはまた良介を歓ばせる。 「本日は、手作りコロッケ定食。茶碗蒸し付き。野菜サラダには、シソの葉なども加えてみたよーん」 シャワーを浴びて、こうしてリビング・キッチンに戻ってくれば、もう夕食にありつけるというわけだ。 光本くんはは専門学校で学んだ経験があり、調理師の免許なども取得している。 腕によりをかけて、とまで気負わぬままに、こうして何気なく美味しい料理を拵えてもらっては、自分の方こそが天国にいるようだと良介は同居の良さをあらためて思う。 出会いは、キッチンカーだった。 会社で少なからずも神経を使う仕事をひっきりなしに任され、グロッキー気味であった良介は、夕食などもいつもの定食屋で、といったこともなく、なおざりの毎日を過ごしていた。 これはまずいと反省し、ある夜、公園通りで店を出すキッチンカーのハンバーガーに頼った。部屋に帰ると、けっこうウマイな、とヒト口食べて思い、二口目三口目と進む。 久しぶりの有り難い食欲だった。 その日をきっかけに、そのキッチンカーでのハンバーガー買いが続いた。 今日はチーズバーガー、明日はミックスバーガーといった調子、日も暮れきって、そろそろ店仕舞いかという頃のお客である。 「いつも、ありがとうございます」 五日目あたり、キッチンカーの中の若者から言われた。 「いえいえ」 にっこり笑い合ったが、それしきのことだけならば、お客と売り手、それだけの関係で終始してしまったかもしれないのだが、程なく、思わぬ縁を感じさせるような出来事があった。 次の三連休、多忙な良介は初日二日目と仕事続きだったが、さすが三日目には休みが貰えた。一日だけの休みをどう過ごすか――迷いもしないで、離婚問題を抱えている姉の子供・小学三年生を、遊園地に連れて行ってやろうと決めた。 親類を見渡してもたった一人のかわいい甥っ子で、我が休みを返上してでも、この子を嬉しがらせてやりたいとすなおに思った。 回転木馬、コーヒーカップ、ジェットコースターと定番の乗り物を愉しみ、 これも仕上げのコースと観覧車に乗り込んだところ、係員の横顔を見て、アッと驚いた。 「あ、これは、どうも」係員のほうからニッコリ頷く。 「え、どうして?」 思わず訊いてしまった。 感じの良いキッチンカーのおにいさんとして存在していた彼が、なぜだかこうして、遊園地の一スタッフとして、ここにいる。 「掛け持ちってことで」 「カ、カケモチ?」 「そうです。掛け持ちのバイト。今日はキッチンカー、明日は観覧車ってとこですか」 ヤルねー、とねぎらいながら、どうぞと促されるまま、子供の手を握って、観覧車に乗った。 ゆっくりと観覧車は天に向かう。やがて、頂上に来る。 良介は甥っ子に言った。 「おひさまがね、近くなるとイイことが起こるかもしれないんだよ」 「ふーん」 頷くだけで、甥っ子はぼんやりと、おひさまとは反対向き、それでもちょっと怖そうに地上を見おろしている。 子供心に、親同士が離婚問題のあれこれで揉めているのを知っている。そんな彼の地上へのまなざしが愛しい。 地上に向かって、おーいと手を振ってみせると、甥っ子も真似をした。ようやく怖さを濾した笑顔が、甥っ子の小さな顔に満ちた。 てっぺんを過ぎ、下降の態勢となる観覧車は、おひさまを味方に付けるように裡の空気があったかく温もっていると感じた。 降り際、甥っ子は、間近のおにいさんに向かって、おーいと言って、それから、さようならと小さな手を振った。 うん?と少し怪訝そうな顔でおにいさんは子供を見るが、すぐさまワカッタワカッタというぐあい頷いて、マタねーと握り返し、それから離した手の先で、その頭をやさしく撫でた。 「――このあいだは、どうも」 「いえいえ、びっくりしましたよ」 遊園地行きから数日後の夜、観覧車のおにいさんは、キッチンカーの仕事人に戻っていた。 いつものようにハンバーガーを買うと、今度こうしたものを始めましたからとスタンプカードをくれる。おまけしておきますね、と1個分オマケのスタンプをポンと押してくれるので、あれあれありがと、とお礼を言った途端、イイことを思い付いた。 そうだよ、ここに甥っ子を連れて来て、ほら、あの観覧車のおにいさんだよと驚かせてやりたい。 「あ、イイっすね」。思い付きを話すと、おにいさんも乗り気である。 その後、山積みの仕事も峠を越し、幾分かの余裕が出来ようかという頃、次の三連休がまたやって来た。 姉の離婚問題は話し合いの大詰めをむかえていて、弁護士との打ち合わせ他、いろいろとやらなくてはならないことが一杯あるとのこと。「ちょっと、あの子、預かってくれない?」と向こうから持ち掛けられたのは、まあ、成り行きとして運が良かったと言えるのかもしれなかった。 良介おにいちゃんのところで、お泊りするのよと言われると、「そうする、そうするー」と甥っ子は笑顔でこたえたのだとか。 「明日は水族館に行こうぜ」 「うん、行く行く」 目を輝かす甥っ子を見ながら、いやその前に、そうそう、お待たせのオタノシミというものがあるのだと良介自身がわくわくしていた。 「お腹、空いたよな」 「うん、空いた空いた」 すなおに頷く甥っ子の手を引いて、公園通りに向かった。 キッチンカーの中のおにいさんを認めた途端の驚きの顔は、もうじきだ。 ところが――。 えッ?――だが、おにいさんはいない。全く、いない。 キッチンカーは元の場所で、いつもの商売をしているのだが、中にいて仕事をしているのは、シャキシャキと元気の良さそうな中年女性の二人だった。 それでも、注文したハンバーガーを受け取りながら、おにいさんについて訊ねた。 「前任のと言いますか、ほら、背の高くって、円い眼鏡の……」 良介の問いかけにもそこそこ、その方なら、こちらの仕事はお辞めになりました。それで、わたしたちがあとを引き受けさせてもらったというわけでして、とやっぱり眼鏡をかけている一方の女性がこたえてくれる。 「どうして、また急に」重ねて訊けば、さあ、と首を捻り、そういうことはわかりませんねえともう一人の女性が済まなさそうな顔をする。 買ったハンバーガーを、甥っ子と二人、公園内のベンチに座って食べた。 不完全燃焼だなぁと良介は、急にいなくなったおにいさんを想う。 浮かない顔の良介を見て、何なんだという表情の甥っ子を見るにつけても、迂闊な自分を恥じる。 ラインの登録など、し合っていないのはもちろん、彼の電話番号さえ知らない。いや、名前だって、知らない。 何たることだとそれでも、ハンバーガーをむしゃむしゃと食べ尽くすうちにも、休日のおひさまが、けっこう明るく頭上で照っている。 自分は落ち込んでいても、おひさまはいつものようにゴキゲンだと思うと、あ、そうだよ、とひらめきが来た。 キッチンカーがダメなら、遊園地があるさ、と気を取りなおす。 「行こうか? 観覧車、また乗ろう」 誘うと、甥っ子は、うんと頷く。急の思い付きらしいと子供心にわかるのか、少々怪訝な顔をしているが、観覧車と言われて、おひさま、おひさまとすぐはしゃぐ様子は無邪気でかわいい。 善は急げだとばかり、タクシーで遊園地に向かった。 ――と、ところが、またもや、裏切られてしまうのであった。 おにいさんは、いない。観覧車の係員としてのおにいさんの姿は見えない。 だが、諦めてはならないと良介は思った。この場をたまたま離れているだけかもしれない。もしかしたら、観覧車の係でなく、他のアトラクションの係に代わったのかもしれない。希望は失わずに、観覧車の係を担当している中年男性に、 「あの、ちょっと知り合いの者ですが」と断ってから、おにいさんについて訊くと、男性は、ああ、光本くんのことですかね、とすぐさまこたえてくれた。 「彼なら、もう、いませんよ」 「いない?」 「何でも、故郷の親御さんが急に倒れたとかで……」 そうだったのか。甥っ子に、再会を果たさせ驚かせることは、もう出来ないのか。さすがに落胆するばかりの良介を見て、甥っ子も、 「あのおにいちゃん、いなくなっちゃたの?」と不安そうに聞いた。 「そう、みたいだね」 観覧車には乗らないまま、ソフトクリームを食べたいんだと急に言い出す甥っ子にそうさせてやる。二人で、遊園地のベンチに座って、食べた。 乗らない観覧車が、静静とも天空に向かって昇って行くのをぼんやり遠目に見ていると、おーいと呼びかけたくなる。 おーい、おーい。いつの間にか、甥っ子も「おーい」と声を掛けている。 冷え切ったクリームが口の奥で、甘く溶けた。 あの青年――そう、光本くんというのだ――がいなくなろうと、良介には、 忙しい日々が再開する。 新規で始まったイベントチームのリーダー役を任されたり、会社の組合の委員にも祭り上げられたりと、あれあれというところ。 だが、おヒマを託っているより、これは恵まれていることなのだ、全くそうなのだと我を励まし、忙殺の時間に身を任せた。 また、食事もなおざり、おざなりとなりかけていて、コンビニ弁当頼みとなりそうな毎日。 昨夜も今夜もと、コロッケ付きのおにぎり弁当の入った袋をぶらぶらさせながら、公園通りを歩いていると、キッチンカーが公園内に見える。元気良くの中年女性2人組が中にいるばかりなのだ……と見当を付けかけて、ハッとした。 背高のっぽ、円いメガネ。裡にいるのは、そんな一人の青年ではないか。 「お久しぶりでーす」 近付けば、向こうから声が掛かった。 「きみ、どうして……」 「カムバックでーす」 屈託無く笑いかける光本くんの姿を認めて、良介は眩暈がしそうだ。 「親御さん、大丈夫なのかい」 といきなり訊くお客に、光本くんは目を丸くするばかりである。 「ご存じなんですか?――っていうか、いえゴメンナサイ。オヤゴさんは、無事です。両方とも」 半笑いの顔になる光本くんに、「コイツー」と良介は笑いを向けた。 「担いだんだね」 「よく、おわかり」 聞けば、良介と甥っ子が観覧車に乗った明くる日、終業してすぐの点検作業で、観覧車に乗った。無事を知らせるばかりの観覧車の順調な動きにホッとしながら、テッペン近くに来れば、まなざしを遠くに投げてやる。遊園地は、海に近く、目を細めれば、水平線が全く細細と見える。「あ、出掛けたい」と不意に思った。ふらりと何処かへ。急にそうしたくなった。そう、近場でなく、遠い遠い何処かへと行って、水平線におひさまが沈むところを見たい。 「ときどき、そんなぐあいになるんですよね、オレって」 遠い遠い海の水平線がすぐそこにあるとでもいうみたいに、光本くんは右眼左眼をくるりと回し、ニコリと微笑む。 翌朝には、北の海をめざして、電車に乗っていた。その季節になれば流氷もやってくるという海辺に独り佇み、日没を見た。夕焼け、夕風、ああ、イイなと思った。職場にウソをついてでも、はるばる来たカイがあった。 そりゃ、よかったね――皮肉でもなく、良介の口からはそんな言葉が洩れたが、 「こっちとの約束、お忘れだったってことかい」と言ってやるのも忘れない。 あっと光本くんは頭を押さえて、ゴメンナサイと再び謝る。 「甥っ子さんへのドッキリ、でしたよね」 そうだよ、甥っ子、名前はミツル、櫛原ミツル、小学三年だよ、と初めて、甥っ子について、良介は教えもした。 「ミツルくん、ですか。わるいことしちゃったな。でも、驚かすことは今からでも出来ますよね」 光本くんは頷いて、やりましょうやりましょう、今からでも、と目をきらめかせた。 お誕生日会とは言わないが、次の休日の午後、良介の部屋のテーブルにケーキと唐揚げやコーラなど並べて、ミツルを迎えた。クラッカーも用意して、部屋に一歩入って来たミツルに向かって、派手な音を鳴らしたのは光本くんである。 「あー」とミツルは驚くばかり。ちいさな顔の中のちいさな両目が一瞬で丸くなった。 「覚えてた?」 「覚えてる、覚えてるッ」 「誰?」 「観覧車のおにいちゃん!」 やったーと手を挙げて、おにいちゃんそのヒトが子供みたいに歓ぶ。 「ドッキリ成功成功、大成功」 自分がひっかけられたくせ、ミツルも、成功大成功と手まで振って嬉しがる。 おにいちゃんとの再会をすなおに喜んでいる甥っ子を見て、良介の目の奥にも、ひとすじの水平線が浮かんだ。 暗礁に乗り上げるかと心配するところもあったが、何とか離婚問題に決着が付いたという姉は、ミツルとの二人暮らしを意気揚々と始める気でいたが、当のミツルは今一つ浮いた顔をしていなかった。 「――そうなのよ。こんなことも言ったりするのよ。ぼくには大好きなおにいちゃんが二人いる。一人は、叔父さんである良介さんだが、もう一人はハンバーガーと観覧車のおにいちゃんなんだ、なんてね」 全部を聞かない勢いで、ミツル、こっちの寄越しなよと良介は電話の声を逸らせた。 「ねえさんだって、仕事始めたばかりでしょ。何かと忙しいわけだからさ」 姉は生命保険のセールスレディの職を得ていて、ミツルを学校に送り出したあとは、あっちこっちと契約を求めて、夜まで駆け回っていることを良介は知っていた。 「そうさせてもらおうかしら」 姉の決断と承諾は、ミツルはもちろん、良介も光本くんをも歓ばせることになる。 三人で暮らす――なんて、愉快なことだろう。 惚れた男なのだから、何もしたくなければしなくてよい。冗談半分にも、全く、そのうち本当にしたいことを見つければいいのだよと良介は変わらずリカイを示していた が、当の光本くんは、フフンと笑って、「そういうわけにも行かないっすよ」とキッチンカーの仕事を再開させていた。言ってはナンだが、中年女性二人のコンビは、今一つ売り上げが伸ばせないとのことで、本社から引導を渡され、光本くんのカムバックが叶ったわけだ。 ウソつきにも三文の徳ッ、と光本くんはワケのわからないことを言って、お次は、アハハと笑って、行って来まーすと仕事に出掛ける。 行ってらっしゃーいと手を振って見送る、夏休み真っ只中のミツルも、おひさまに負けない明るさだ。 良介の仕事も相変わらずの多忙さだが、遅く帰って来ても、ミツルか光本くんか、どちらかが部屋にはいる。どちらもいることだって、少なくはない。 だから、ただいまと言えば、おかえりと声が返ってくる。 おかえり ただいま おかえり ただいま なんだか、落ち着くところに落ち着いたというようなピッタリ加減で、部屋の空気がコロコロと軽快に回って、居心地を良くさせた。 「イイ感じだ」 「ホント、そうだね」 大人二人が言い合えば、ぼくもそう思うよとミツルがいっぱしの顔で頷く。 コイツーとふざけて、ミツルの頭を撫でるばかりの光本くんが、そのうち、アッという顔をして言った。 「今度さ、行かない? 三人でね」 「うん?」 訊ねる良介に、あっちだよというように、真っすぐの手の先を宙に浮かした。 「北の海だよ」 「あ、そうか」 「流氷はまだだけど、いい景色だ」 何の話だろうかと大人二人を見上げるようなミツルも、ウキウキとしている。自分もいっしょに行けるらしいと判っているからだろう。 北の海を三人そろって見に行って、さて、この部屋に戻って来たなら、自分が真っ先に入って、ただいまの声に、おかえりとお迎えの声を返してやろうと部屋の主は思い付く。 イイ感じだな、そうだよな――良介は、その思い付きを全くあいしてやまないのだった。
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