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案の定、長い一日を終えてホテルにチェックインした時には既に夜中の一時を過ぎていた。
「お疲れさま」
宿泊する部屋に向かうエレベーターに乗ってすぐにシュリさんが挨拶をしてきたので、「お疲れさまです」と頭を下げる。
こうしてシュリさんと改めて話すのは、日本を発つ時の空港以来だ。常にシュリさんがあちこちに動いているので、声を掛け合う時間さえなかった。
「疲れたでしょ。時差もあるし、体しんどくない?」
「いえ。僕はただシュリさんのそばに立っているだけなので。……っていうか近いです」
「いいじゃない、少しくらい。今日一日話してなかっただけで一ヶ月離れてた気分だわ」
「僕は寧ろ平和でしたとても。出来れば常に今日の距離感でいたいです切実に……だから近いですって」
ただでさえ狭いエレベーターの中で、シュリさんは無駄にずいっと距離を詰めてくる。前を向いたまま横にずれれば、肩が壁にぶつかった。
「ね、こっち見て」
「嫌です」
「一分でいいから」
「何するつもりですか。っていうか一分がどれだけ長いか知ってますか」
「じゃあ三十秒」
「や、普通に嫌です」
「じゃあ十秒」
「だから何を」
「見なかったら股間捻り潰す」
「……」
横暴で下品な物言いに思わず口を噤む。
しかし彼女なら本当にやり兼ねないと思い、股間を隠すわけにもいかず、はあ、と一度大きく溜息を吐くと、仕方なく体ごとシュリさんの方を向き、至近距離にある顔を見下ろした。
すると次の瞬間、ずぼっと口の中に何かが押し込まれ、「んぐ、」と声が漏れる。
目を見開いて固まれば、おかしそうに口の端を上げて笑ったシュリさんは、たった今俺の口にチョコレートを放り込んだ指をぺろっと舐めた。
「顔が疲れてる。ゆっくり休んで」
そしてそれだけ告げると、ちょうど目的の階に着いたため、シュリさんはさっさと降りていく。
一つ上の階の俺はエレベーターの扉が閉まってから、未だに甘さが残っている口をパッと押さえた。
だってまさか、あの流れでそうくるとは。いつものセクハラだと思い込んでいたせいで、余計に不意打ちだった。
正直、シュリさんがあんな風に近くからこっちを見つめてくるのはいつも心臓に悪い。性格がサイコであれ、彼女の人形のような綺麗な顔がすぐそばにきて、じっとあの大きな瞳に射抜かれれば、誰だって落ちついてはいられないだろう。
しかも普通に舐めた。俺の唇に触れた指を、見せつけるように。
「こわ…」
ああやって色気を振り撒いて色んな男を手玉に取るのだろうか。恐るべし、魔性の女。
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