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どこにいても潮の匂いがする小さな港町が私たちの生まれ故郷だ。
平たく広がる港沿いの風景を見渡せる、小高い場所にある高校に私たちは通っていた。中学校も小学校も、幼稚園も同じところに通っていた。私よりもひとつ歳上の彼らが歩いていく道程をなぞるように。
それが当たり前だったし、あの町の子どもたちはみんなそうやって成長していき、高校卒業と同時にほとんどが町を離れる。進学、就職、大抵は自分の進む道をきっちり定めて出ていく。その道が期待通りのものかはさておき。まれに、何も決まっていないひともいるけれど、いずれにせよ高校を卒業してしまったら、町の住人ではなくなる。追い出されるように町を出て、私は県内の大学に進学して一人暮らしをはじめたし、一年先に高校を卒業した彼も、うんと遠い土地で元気に大学生をやっている。
彼のことを思い出すとき、いまの、都会で大学生として過ごす彼よりも、高校生の頃のすがたが自然と頭に浮かぶ。昼休みの廊下。放課後のグラウンド。中庭。体育館。駐輪場。
「郁奈」
背後から呼ぶ声がして、彼が振り返った。呼んだのは私ではない。彼を呼び捨てにしたことなんて一度もない。同級生の男子——私からするとひとつ上の先輩——に呼ばれたのだ。図書室で、放課後だった。図書室の隣に自習室があって、大学受験を目指す三年生たちがよく、そこで参考書を広げている。彼もそのひとりなのだろう。
郁奈、と呼ばれた彼は、呼んだ同級生を見て、手前にいる私を見た。スラックスに包まれたすらりとした脚、学年ごとに違う色のスリッパの爪先がこちらに向く。近づいてくる。
すれ違う瞬間、怜悧に整った顔のなかで、瞳だけが嘲笑うように私に向けられた。
「オレンジページ」
私はそのとき、借りたばかりの雑誌を両手で胸の前に抱えていた。オレンジページ、5月1日号。最新号だ。それは仕事で忙しい母の代わりに食事の準備をすることが多かった私の愛読本だったけれど、なんだか馬鹿にされたような気がして、無性に腹が立った。
表紙に大きく書かれた雑誌名を隠すように持ち直しながら、通り過ぎた彼の背中を睨みつけた。同級生と軽口を叩きながら離れていく彼が、なぜかまた振り返って、私に向かって小さく手を振った。
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