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と、私は履いている靴と靴下を脱いで、硝子の浜辺に直接足をつけた。足裏に触れた硝子片たちは日差しによって暖められ、ほんのり熱を持っている。
足もとの硝子を椀型にした手のひらで掬いあげた。青、緑、茶色に、透明なもの。一粒一粒、厚みや大きさが違うと光の吸収や反射具合が異なるから、同じ色味でもまったく違うひとかけらに見える。
顔を上げると、砂浜と垂直に交わる海上の車道をバスが走っていた。空港発、駅着のバスだ。それを見た郁奈くんがふいに言った。
「菜央、おまえもう帰れ」
「え? 最後まで見送りますよ」
「そしたら帰り夜になるから。あのバスに乗ったら日が暮れる前に家に着けるだろ」
「でも」
「また会いに来るから。おまえも俺んとこ来いよ。夏にでも。東京観光しよう、スカイツリーとか」
「はは、いいですね」
「行きたいとこ考えといて」
「了解です」
森林公園の脇を抜け、道路を挟んであちらとこちら、逆方向を走るバスに乗らなければならない。私が乗る上りのバス停の数メートル手前。私たちが一緒に歩くのは、そこまでだ。名残惜しげな素振りもなく離れていく彼の背中に、手を振った。
「ばいばい。ありがとう、またね」
郁奈くんは振り返って身体ごとこちらへ向き直り、人目も憚らずにおおきく手を振り返す。そんなことするタイプだっけと考えて、ちょっと笑った。
5月の海風はどこまでも爽やかで、私たちの別れ際にはもったいないくらいだ。
明日からはまた、互いにいつもの日常に戻る。
現実はどこまでも切れ目なく続いていて、ひとつの場所にずっと留まっていることはできない。どんなに苦しいことも、泣きたいことも、嬉しいことも、楽しいことも、すべて等しく同じ速度で過ぎていく。そうやってすべてが過去になっていく。
これから先、いつ、なにが起こるのかは誰にもわからない。
心季くんはいつまで眠ったままでいるつもりだろう。祈りつづけていれば奇跡は起こるのか。未来とはどんな色やかたちをしているのだろうか。
想像もつかないけれど、私には唯一、絶対的な確信があった。
郁奈くんはずっとそばにいる。どこにいたって、たとえ1200キロ離れていたって。
私のこころを、そこに棲みついている心季くんごと、抱きしめてしまうのだ。
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