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不登校
四年生になってすぐ、僕は学校に行けなくなった。行こうとするとお腹が痛くなって玄関にうずくまってしまう。トイレに行っても同じことだった。ママが学校に連絡を入れて僕の欠席が決定すると、途端に痛みは引いていく。
そんなことが一学期の間ずっと続いて、ママは夏休みに僕を連れてお医者さんに相談しに行った。初めに心理士さんとたくさんお話をした。阿部さんはママと同じくらいの歳の優しい人で、ママよりもお話が上手だった。
『僕は病気なの?』
『うーん。ちょっと違うんだけど、心がとても弱ってると元気が出ないからね。病気と似てるかもしれないね』
僕の場合、きっかけは学校というシステムになじめなかったことだった。保育園でぬくぬくと自由に過ごして来た僕にとって、学校は冷たくて窮屈な場所だった。「もう小学生ですから自覚を持ちましょう」なんて言われて、クラスの皆は背筋を伸ばしたけど、僕は次々に与えられる先生の指示を見失い、教室の中で独り迷子になっていた。
それでも班活動は楽しくて、皆と仲良くできると思っていたんだ。だけど、二年生の時だ。
『朋くんて、何でいつも間違えるの』
悪気があった訳じゃないと思う。
でも、その言葉が僕から少しずつ自信を奪ってしまった気がする。先生の話も、色んな音や声が気になってつい聞き逃してしまう。言葉の意味や指示の内容が理解できなくて、でも、周りの皆はちゃんとわかっていて「どうして」「教えて」って聞けなかった。僕だけがわからない気がして恥ずかしかった。
色んなことを聞かれて色んな検査をしたけど、やっぱり僕は病気と言うよりは、今の環境に適応できないのだろうとの結論になった。環境がいい方に変われば本来の自分や元気を取り戻せると言われて、僕も両親も安心した。
「だけど、先のことを考えたら勉強はある程度しておいた方がいいし、家で一人で過ごすのも限界があるよね」
パパがため息をついて、今度は僕の第三の居場所を探す毎日が始まった。
ママが見つけてきたのは、あすなろ教室という学習支援の団体だった。僕みたいに学校に行けなかったり、勉強についていけない子どもたちが通う場所だった。
学習のサポートが主だけど、誰かと繋がるスペースの役割もあった。驚いたことに、僕と同じように苦しんでいる子どもたちはたくさんいて、順番を待っているのだという。
「それでね。そのニーズに答えるために、オンラインスクールを立ち上げたんだって」
ママが嬉しそうに僕たちに話してくれる。
この時、ママは既に哲先生と話をして、すっかりファンになってしまっていた。推し活みたいだと僕とパパがからかうと、そんなミーハーな話じゃなくて、と睨まれた。
「とっても優しい先生で、人気者なんだって」
ママが笑顔になるのも久しぶりだった。僕のことでずっと仕事にならなくて、思い切って休みはもらったけど、このままだと会社を辞めなきゃいけないかもって悩んでいた。だから僕は、そんなに素敵な先生だったら会ってみたいし、授業が楽しそうなら試してみてもいいと思ったんだ。
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