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依頼3-3 そんなようなもの
温泉街へと向けて走るタクシー内はしばらく静まり返っていたが、先に沈黙を破ったのは八雲のほうだった。スマートフォンをいじっていた手を止めると「住職とぼくが親子だと思っていたのかい?」と切り出した。
「え、あ、ああ、はい……」
安曇の返事がぎこちない。住職の言葉を気にしないように、また、気にしていないように振る舞おうとしているが、どうしてか頭から離れない。依頼のことを考えてみたり、見知らぬ土地の景色を眺めてみたりしても、由羅という人物の名がそれらを邪魔して浮かび上がる。
そんな彼女の様子に気づいているのかいないのか、それとも気づかないふりをしているのか、八雲の口調はいつもどおり、緩慢だ。
「まあ、そんなようなものなんだよ」
そう言って、ごく簡潔に身の上話を始めた。
物心つく前に両親を亡くしていること。父の友人である住職が父親代わりとなって八雲を育ててくれたこと。
「似ていると思ったのなら、無理もない。それだけ長い時間を共にしていたからね。ぼくにいろいろと教えてくれたのも彼だ。きみの事情を、見抜いていただろう?」
安曇が小さく頷くと、八雲もまた頷いた。
「ぼくのときも、そうだった」
八雲の顔に影が落ちる。
それは決して、陽の射さない曇り空だからだとか、ぽつぽつと雨が降り始めたからだとか、そんな理由からではない。
――これ以上、踏み込んではいけない。
そう思わせるに充分な、暗く陰鬱とした表情だった。由羅のことなど、到底聞けるはずもない。
「幼い頃から滝行をしていたんですか?」
だから安曇はきわめて明るく、からかうように尋ねる。八雲の目が弧を描いたように細くなり、ふっと笑みが零れた。
「いや、あれは成人してから。何度逃げ出したかわからないよ」
毎年あれこれと思索して逃げ出すものの、必ず住職に捕まって滝に放り込まれるのだと、八雲は滝行の辛さや逃走のために立てた作戦を話して聞かせた。タクシーのフロントガラスに落ちた雨粒が涙のように上から下へと伝っていたが、やがて二本のワイパーがそれを拭った。
温泉街へ着く頃、雨は雪へと変わり、あちこちから湯気が立つ街に白い化粧を施そうとしていた。タクシーは目的の旅館の正面に停まる。入口の横には豪華な花が飾られているが、確かにほかの旅館に比べると壁は汚れているし、建物の中も暗く見えて活気がない。雪がちらついているとはいえ足湯に浸かったり、団子や饅頭を食べ歩いている観光客もいるが、その旅館に近づく者は誰一人としていなかった。
自動ドアを通り抜けた広いロビーには、こけしの形をした顔出しパネルがぽつんと置かれていた。ポップな字体で「ようこそ!」と書かれているのが寂寥感を煽る。その横には妙にけばけばしいと言っても過言ではない華やかな色合いの生け花。旅館全体の雰囲気は木や竹を基調とした落ち着いた和風の趣きであるのに、ところどころに豪奢で派手な調度品が置かれちぐはぐな印象だ。二人がフロントに行くと、名前を告げる必要もなく、すぐに着物姿の女性が現れた。
「万屋の八雲さんに安曇さんですね。お待ちしておりました。女将の福地と申します。このたびは遠路はるばるありがとうございます」
深々とお辞儀する女将は着物こそパリッとしていたが、声も表情もどこか疲れているようだった。急に経営難に陥ったのだ。コンサルタントではなく万屋などというものに縋るほど状況は厳しく、心労も蓄積しているのだろう。それとも……安曇の呪いをすぐに見抜いたあの住職を仲介しての依頼だ――怪異絡みということなのか。
簡単に挨拶を済ませると、女将は二人を客室へと案内した。和室の中央に低いテーブルと座椅子が置かれ、小さな床の間のある客室は掃除が行き届いている。それにも関わらず、部屋のそこかしこがどこか煤けたように見え、じめっとした空気が漂っていた。
「住職から話は伺っていますが、いつから異変が?」
座るなり本題へ入る八雲に女将は伏目がちになる。
「異変……と呼んでいいものかどうかわかりませんが……十一月に季節外れの大雨が降ったんです。まだ紅葉のシーズンで観光客の方々も多い頃なのですが、その雨のせいか、急なキャンセルや予約自体がないという日が続きまして……」
初めは一過性のものだと思っていたが、一週間経っても二週間経っても客足が戻らない。恥ずかしながら今は予約はゼロで、日帰りで利用する客すらいない。ホームページやSNSでの集客の見直し、宿泊料の割引きキャンペーンの実施、従業員教育の再徹底、悪評がないかと小まめに口コミの確認とさまざまな方向から原因を探すもこれだというものが見つからない。であれば、客のニーズが変わってきているのかもしれない。今のままでは客足は回復しない。旅館を新しくしていかなければ、変えていかなければ。もはや誰かに相談する暇などない。まずは館内の装飾、それから料理、価格、すべて見直しが必要かもしれない。そんなふうにあれこれと考え奔走していたとき、街中で古くからの知り合いである『福寿院』の住職に偶然会い、「やくも」の話を聞いたのだという。
「なるほど……お心当たりがない、ということですね」
女将が力なく頷いたそのとき、客室を照らす明かりが点滅した。
「申し訳ありません。ついこないだ替えたばかりなんですが、最近こういったことが多くて」
その言葉に、八雲は辺りを見回しながら尋ねる。
「ほかにこういったことは?」
「ええと……そういった不具合でしたら、まれにスマートフォンが繋がらなくなることがあるみたいで」
八雲に促され、安曇がスマートフォンを確認すると確かに圏外。これじゃあなんのアプリも起動できないね……と呟く八雲の太ももを、グーで殴っておいた。
「女将さん、ありがとうございます。このあと旅館の周囲を歩いてもよろしいでしょうか?」
太ももをさする八雲に快く応じる女将。
「こちらのお部屋も自由にご利用いただいて構いませんので、どうぞよろしくお願いいたします」
♦︎♦︎♦︎
女将の去った部屋で、八雲は自身のスマートフォンを確認した。
「おや、問題ないみたいだ」
すいすいと画面をなぞり始めるので、「またソシャゲですか?」と安曇は呆れ顔。
「ほら、見て。ご当地のこけしを集めながら、マイこけしを育てるゲームだよ」
八雲のスマートフォンには、にっこりと笑うこけしが一体映っていた。背景にハートマークが飛んでいる。
「こけしを育てる……」
そんな生き物みたいに……。いや、ゲームなのだからなんでもありと言えばありなのだろう。ここでツッコむのは野暮だと安曇は押し止まる。
「あっ!!」
「なんですかっ!?」
「……圏外になって動かなくなってしまったよ……」
唐突な叫びに思わず反応してしまったが、とんだ肩すかしである。
「……それで、これからどうしますか」
「うーん、そうだねえ……」と言いながら、八雲は懐から取り出した眼鏡をかけた。
レンズ越しに、どんな世界が見えているのだろう。
八雲は改めて部屋をぐるりと見回すと、「犯人はいたずらっ子かもしれないね」と背もたれに寄りかかった。
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