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プロローグ 開店
背の高いビルやデパート、大型ショッピングモールが乱立し、人々が行き交う賑やかな大通りには秋陽が降り注ぐ。それとは対照的に、築数十年の建物が整然と並び、静まり返った細い通り道。繁華街から一本外れた、陽の届かない場所にその店はある。
『出張万屋やくも』――万屋の名のとおり、いわゆる便利屋だ。
煤汚れたような壁、控えめに掲げられた店の看板、ノブ付きのドア――しかも毎度、ギィと音が鳴る――そのドアにぶら下がっている「close」と書かれたプレートが、一人の女性によって「open」へとひっくり返された。ついでにドアのそばに置いてある真っ黒な缶に向かってなにやら行っている。短いウルフカットが忙しなく揺れたかと思うとギィとドアが鳴き、彼女は勢いよく店内へと戻った。
「社長! またお店閉まったままになってましたよ! あれじゃお客さん来ないじゃないですか!」
「んー……? あー……ごめんごめん、忘れてた」
社長と呼ばれた男性は、店内中央に位置する長ソファにだらりと寝そべりスマートフォンをいじっている。文字どおり、だらしない。
「この前もそう言ってたじゃないですか! ただでさえ閑古鳥が鳴いてるっていうのに!」
女性の小言を右から左へ聞き流す八雲鬼一。『出張万屋やくも』の社長である。店名の「やくも」は彼の名から取っている。
「ほらほら、そこはお客さんの座る場所ですよ! 社長の席はあっち!」
ぺしぺしと足を叩かれれば、長身を縮こまらせて「んー……」と気のない返事。ふわりとした髪についた発芽玄米のような寝癖がぴょこんと揺れた。
ちゃんとしていればかっこいいのに――と、心の中でぼやいた女性は口をへの字にする。
彼女の名は安曇真夜。この店の従業員――兼、使用人。雇われて三ヶ月が経つ。大きくきりっとした目元がウルフカットの髪型と相まって、明るい性格を滲み出している。しかししっかり者のように見えて意外とドジ。いや、彼女に言わせれば「不運」といったところか。
「よーし、デイリー終わり」
のんびりした声を上げると、八雲はやっとソファから社長椅子へと移動した。彼の趣味はソシャゲ。デイリーミッションはなんとしても達成しなければならない。
「もー、またゲームして」
安曇は眉根を寄せたあと、小ぢんまりとした店内を見渡して呟いた。
「まあ……お客さんが来てるのなんて一回も見たことないけど……」
正方形の店内の中央には応接用のテーブルとソファ、入口から見て正面奥には社長の机、それ以外には固定電話と天井まで届きそうな高さの書棚があるばかりだ。一応、いつ客が来てもいいように掃除は安曇が毎日行っているが、この万屋は「出張」と冠しているだけあってわざわざ店舗に足を運ぶよりも電話での依頼が多い。
もっとも、安曇が雇われてからの三ヶ月で来客はおろか電話が鳴ったことも一度たりともないのだが。
そんな万屋の経営状況を危惧する安曇に対して、社長の八雲はというとなんてことのない顔でソシャゲの日々を謳歌している。
万屋というだけあって依頼はさまざまだ。犬の散歩に始まり、電球交換、買い物、迷子犬探しや浮気調査など、たまに探偵まがいのことも……。
それから、信じ難いことではあるが、心霊依頼なんてものもある。むしろ「やくも」では得体の知れないものが関わる依頼が多いようで、知る人ぞ知る万屋なのか、なんと県外からも助けを求める声が届く。これが高額で万屋の経営の支柱のはずなのだが、八雲自身は電球交換や買い物程度でいいと思っている節があり、そこが安曇が経営を危ぶむ理由なのだ。
「社長、お店のホームページつくりませんか?」
「ホームページ。どうして?」
「最近はなんでもネットじゃないですか。SNSでもいいと思います! お客さんも増えますよ!」
「うーん……」
「社長、そういうの得意そうじゃないですか。いつもスマホいじってますし」
「それは趣味であって」
ぐいぐいと前のめりに集客のための施策を打つ安曇に対して、椅子の背もたれに寄りかかって八雲はのらりくらりと後ろへ倒れていく。暖簾に腕押しとはこのことか。
と、そのとき、聞き慣れない電子音が店内に響く。安曇は得体の知れぬ音に一瞬の警戒を見せた――出所は社長机の上にある固定電話からだ。待ち望んでいた依頼と思われるが、なにせ初めてのコールである――ものの、そこに考えが至ると素早く受話器を手に取った。
「お電話ありがとうございます!『出張万屋やくも』です!」
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