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依頼2-2 神様と化け物
事件の第一発見者である和久井がやってきたのは、安曇がパフェを食べ終えてまもなくのことだった。冬にも関わらず日焼けした肌と、がっしりとした身体つきはいかにも海の男といったところだ。
安曇と八雲が食事代を経費で支払うと言うのも聞かず、和久井はここまで足を運んでもらったのだからと半ば強引に伝票を奪い、会計を済ませた。立ち並ぶ八雲と和久井は色合いも体躯も対照的だ。
和久井は二人を自動車に乗せると、事件のあった漁協の事務所へと走らせた。漁は停止しているし、地域の人々は化け物をおそれて近寄らないという。
「みんな、女神様をおそれとるんや。神様を怒らせて、これからあがらはどうなるんやろうて。神様が、あがなおそろしいものやなんてなあ……。それに事務所を壊しちまうような化け物や。普通の人間では力の及ばんもんが二つも出てきよった……。この町に、なんどおかしなことが起きとるのは明白や」
和久井は悔しそうに歯噛みした。
これまで海から得られるものは、すなわち神からの恵みだと考えていた。しかしその神の怒りに触れ、巫女は殺され、その場にいた漁師たちも一名を除いて牛の姿をした化け物に食われてしまった。仲間を失い、恵みも得ることが叶わない今の状況では、ほかの漁師たちの生活も立ち行かない。
「あの……和久井さん、なぜ漁師の皆さんは滝つぼへ行かれたんですか?」
安曇はずっと疑問に感じていたことを尋ねた。
「……正月のことや」
和久井は事の顛末を安曇と八雲に説明した。
毎年、正月休みに漁師たちは神に酒を供える。不老長寿、家内安全、それから豊漁と航海の無事を願って。
お供えは巫女と共に数名の漁師が行うが、酒を用意するのは最も若い者の役目だ。しかし今年は担当の漁師が手配を忘れてしまい、例年よりも一日お供えが遅くなってしまった。こんなことは初めてだったが、これはあくまで儀式。神の怒りに触れるなど、誰も思っていなかった。
だが、仕事始めの漁で災いは起きた。一番に海へ出た船が転覆したのだ。それも、乗っていた漁師は行方不明で現在も見つかっていない。幸先の悪い一年に皆が表情を暗くした。
それでも生活がかかっているのだから、漁に出ないわけにはいかないと奮起して、船を出す。が、次々と起こる転覆事故に行方不明。警察からは漁の停止と船の再整備、点検を言い渡されたが、船に異常はない。
思い当たることは一つしかなかった。
神の怒り――それを鎮めなければならない。
漁師たちは巫女を連れ、いくつもの酒樽を携えて神を祀っている滝つぼへと向かった……。
「なるほど……事故が次々と……」
「せや」
「しかし神の怒りは鎮まらなかった、と」
和久井はゆっくりと頷いた。
「さあ、着いたで。ここが事務所や」
降り立った場所には半壊した建物。ブルーシートで覆われた部分を捲れば、壁が崩れ構造が剥き出しになっているのが見える。いったいどれほどの力を持った化け物だというのか……。
海からほど近いこの場所は、風が吹けば潮の香りが建物を通り抜ける。多くの恵みをこの海からいただいたが、今はそれが叶わない。憂いを帯びた眼差しで事務所を見つめる和久井の後ろで、安曇は二つめの疑問を口にした。
「ここを襲った化け物は、滝つぼの神様と関係があるんですかね?」
「うーん……ないとは言いきれないだろうね」
考えるような仕草をする八雲。安曇の問いに答えつつ、脳内では一連の事件について思考をフル回転させているのだろう。
「あの……この町の方々は、いったいどんな神様を祀っているんですか?」
八雲へとも和久井へとも取れる質問に答えたのは、後者だった。
「人魚や」
「人魚……人魚って、神様になれるんですか? 妖怪っていうイメージなんですが……」
「せやな、人魚は妖怪や。だけどあがらは古くから神様として崇めとる」
人魚の伝説は世界中にある。顔と上半身は美しい人間、下半身が魚というのが一般的に言い伝えられている姿だろう。例えば、人魚を殺したところ、そのあと災害が起きたり、捕まえた人魚を逃してやると津波が来ることを教えてくれたりと、生活に関わる――殊に海辺で生きる人間にとっては見過ごすことのできないような災いに発展するほどの――妖怪だ。
海産物から収入を得て暮らす彼らにとって、海と良好な関係を築くこと、ひいては人魚を神のように祀るのはごく当たり前のことであった。
「神様として祀っている人魚が怒っていて、追加の供物ではその怒りは収まらず、化け物を仕向けた。そう考えるのが自然でしょうか」
事件の概要を繋ぎ合わせ、推察を述べる安曇。同意を求めて八雲を見やるが、彼は考え込んでいるようだった。返ってくるのは「うん……」といった気のない相槌だ。
「社長、どうしたんです?」
「いや……和久井さん、今滝つぼへは行ける状態ですか?」
「滝つぼ? あそこは規制線が貼られとるが、まあ……ずっと警察がおるわけやないな」
「では、なんでも結構ですのでお酒を一本用意していただけますか? 今夜、滝つぼへ行こうと思います」
「今夜?」
安曇と和久井の声が重なる。
「酒なんてすぐ用意しちゃるが……夜の山なんてなんも見えやんぞ」
「いえ、いいんです。暗いほうが」
相変わらず八雲の考えていることはわからない。だが、きっとなにか答えに辿り着いたのだろう。その証拠に、気づけば八雲はいつもの柔和な笑みを湛えていた。
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