5人が本棚に入れています
本棚に追加
依頼3-1 八雲の帰省
W県での依頼ののち、八雲は見事に風邪をひき、『出張万屋やくも』は一週間ほど休業を余儀なくされた。右手の怪我は八雲の言っていたとおり傷は浅く、生活にはまったく支障はないとのことだった。
営業を再開するからと連絡が入り、出勤した安曇を迎えたのは大量の留守電留守電留守電……。こんなに依頼が!?と喜びを通り越しておっかなびっくり確認すると、それはすべて同じ電話番号からだった。
「社長、同じ番号から何度も留守電が……」
「ああ、消しておいて」
用件を聞きもせず即答する八雲。怪しい。
「でも依頼なんじゃ」
「いや、それは違うから」
視線を合わせずソファに寝そべりスマートフォンをタップしている。画面が逆さまだ。
怪しい。
安曇は電話機を前にここ数ヶ月を振り返った。
二ヶ月前――体調を崩して「やくも」のソファで寝てしまった日。あの日も留守電が入っていた。しかし八雲が安曇の前で留守電を再生することはなく、いつの間にか消去されていたのだ。あれからたびたび電話がかかってくるが、彼は番号を見るなりいたずら電話だと言って出なかった。
この番号にはなにかがある……。
相も変わらず逆さまのスマートフォンをいじる八雲を横目に、安曇は留守電の再生ボタンを押した。好奇心に勝るものはなし。
数秒の沈黙のあと、再生されたのは――。
『鬼一ぃいいいぃいいいいいい!!』
八雲の名を呼ぶ怒号。その声に振り向く彼の動きは錆びつき始めた機械仕掛けの人形のようにぎこちない。安曇は無慈悲にも次々と留守電を再生した。ほとんどは怒り狂っている電話の主。八雲がまったく電話に出ないので無理もない。が、時折、たまには帰って来いだとか、お前は昔っから……だとか、仕事を頼まれているというメッセージが入っていた。
「社長」
「ナニカナマヤクン」
テクマ◯マヤコンみたいに言わないでほしい。
「この電話の方、とても怒ってますね」
安曇は八雲から逆さまのスマートフォンを取り上げると、顔をずいと近づけた。逃しはしない。
「社長を下の名前で呼んで、昔からだとか、帰って来いと言ってますね」
無言の八雲。瞳は右往左往している。
「……社長のことをよーく知ってる方のように思われます。まるで父親みたいに」
安曇がじっと見つめると、八雲は観念したようにため息をついた。
「真夜くん、こんなことで名推理をしなくていいんだよ」
「依頼もあるそうですよ」
「……そのようだね」
「折返しは、どうしますか?」
「……ぼくがしておこう」
――こうして、二人は数日後には八雲の帰省も兼ねてF県F市へと向かうことになった。新幹線で一時間半、その後、最寄駅からタクシーで三十分ほど走る。八雲は自身の過去についてなにも語らないが、彼の故郷もしくは所縁のある土地なのだろう。安曇は初めて見られるかもしれない八雲の背景に少し……いや、かなり、だいぶ、わくわくしていた。
F県は南北に延びる山脈によって、県内を三地域にわけることができる。積雪量や特化した産業なども地域により異なっており、行政の機能分担をしていると言える。
安曇と八雲が降り立ったのは三つにわかれた地域の中央、山地に挟まれた内陸部だ。行政機能が集中し、果樹地帯を有するF市は至るところに果物狩りの看板が見受けられる。
「あっ! さくらんぼ狩り! あっちはいちご狩り……ぶどう狩りもあるんですね、社長!」
「うん……ソウダネマヤクン」
はしゃぐ安曇とは対照的に八雲の目はどこか遠くを見つめている。帰省を避けていた理由はわからないが、相当憂鬱なようだ。
二人を乗せたタクシーはどんどん山のほうへと向かう。市街では見られなかったが道路の端には積雪もあり、景色は灰色がかってゆく。普段、滅多に見ることのない雪――と言っても現在進行形で降っているわけではないが――に安曇が気を取られていると「ツイタヨ」と一言、八雲の暗い声が聞こえた。
降り立った場所は広々とした駐車場。辺りを見回すと『福寿院』と書かれた看板があった。どうやら寺のようだ。あの電話の主はここにいるのか……?
駐車場を抜けると、正面にも左側にも道が伸びている。まっすぐに進もうとする安曇の首根っこを掴み、八雲は「コッチニイコウ」と左側の階段へと引っ張った。どうやら正面は都合の悪いことがあるらしい。
境内の案内図を見たところ、ずいぶん広い寺のようだ。本堂のほかにとげ抜き地蔵や奥の院から繋がる洞窟、滝に池まで有しており、あと二ヶ月ほど遅ければ池には水芭蕉の白い花が咲き始める。奥の院を始めとする建物は朱色を基調としていて、積もった雪との対比が見事だ。
依頼があるのだから、決して遊びに来たわけではない。だが、ちょっと観光気分で境内を散策する程度なら問題はないだろう。依頼主も、この寺のどこにいるのかわからないのだし。そんなふうに自分に許可を出し、安曇は砂利を踏みしめた。
階段を上った先では朱色のお堂が安曇と八雲を迎え、上層と下層それぞれから中へ入ることができる造りとなっていた。
「下は洞窟に繋がってるんですか。初めて見る造りです」
「じゃあ下層から入ってみようか」
洞窟に興味を持った安曇の一言で、二人は下層からお堂の中へと進んだ。
――が、ものの数歩で安曇は頭を抱えた。足取りもふらふらとおぼつかない。
「真夜くん……? どうしたんだい?」
「いえ……なんでしょう……急に、身体が重く」
どうしたんでしょうね、と眉を八の字にしつつも笑ってみせる安曇だが、八雲は彼女の身体を支えると入口に戻るよう促した。戸惑う安曇に強引だと思われたかもしれないが、なんとなく、八雲にはただの体調不良には見えなかったのだ。その証拠に、お堂から出た途端に彼女は不思議そうな顔をした。
「あれ、もうなんともありません……」
八雲は顎に手を添えて、ふむ、と少しばかり思案すると上層からお堂を抜けることを提案した。
「きみとは相性が良くないようだね」
「このお寺が、ですか?」
「いや、その様子だと洞窟が、かな」
これまでに似た経験は……と、そこまで言って八雲は黙り込んだ。お堂を抜けた先には、清らかな水流の音が響き渡る一瀑の滝。
八雲は滝を見るや、急に辺りを警戒し始め、足早に通り過ぎようとした。
「社長? どうしたんですか?」
「イヤ、アノ、ボクハタキトハアイショウガワルインダヨ」
前回の依頼では平気そうだったのだが。
怪しい。
訝しみながらも朱色の橋を渡り、「ホラー、コノサキハイケダヨー」と片言で案内する八雲のあとをついてゆく。水芭蕉が咲くという池、茶屋、本堂――二人は道に沿って進んだが、本堂へ来たところで再び八雲の様子が変わった。「イヤータクサンアルイテツカレタネー。モウカエロウカー」などと言って出口へと向かおうとする。前回の依頼で山を歩いたときはまったく疲れを見せていなかったのだが。
怪しい。
「社長、なにか――」
「鬼一」
問いただそうとした安曇の声を、優しくも老熟した声が遮った。
最初のコメントを投稿しよう!