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依頼3-4 古きものを大切に
雪が積もってからでは行動に支障が出ると、八雲は安曇を連れて部屋を出た。まだ積もり始めてはいないが、雪は降り続けているし、旅館に着いたときよりも気温が下がっているように感じられる。二人はフロントで傘を借り、旅館の裏手へと回った。
「どこに行くんです?」
「んーそうだなあ……そんなに離れてないと思うんだけど……」と、八雲はなにかを探すように歩き続ける。
「あ、あそこかなあ」
歩を止めた場所は、旅館の裏山に通じる遊歩道の入口。通常であれば開放されていて自由に散策ができるが、今は立入禁止と書かれた看板が入口を塞いでいた。
「よいしょ」
「えっ!? 立入禁止って書いてありますよ!?」
看板を跨いで遊歩道へと進む八雲を慌てて止めようとするが、当の本人はへらへらと笑っている。
「大丈夫、大丈夫。なにかあったとしても、不運な真夜くんが足を滑らせて転ぶくらいだよ」
……確かにそれはあり得る。
「もーっ!」
言っても聞かないことはわかっている。渋々、安曇も看板を跨いで、八雲のいる側へと足を踏み入れた。
「大丈夫、大丈夫。怒られてもぼくの責任だから」
柔和な笑みを浮かべる八雲の後ろをついて行く。苔むした地面は濡れていることでいっそう滑りそうだ。転ばないようにと足元を見て歩いていたら、立ち止まった八雲に気づかずにその背に傘の露先を刺してしまうくらいには真剣になっていた。思っていたより勢いが強かったらしく「ぁいだぁっ!」と叫ぶ八雲の声が響く。不運は彼のほうだったようだ。
「あっ、すみませんっ! あれ、ここ……」
歩道右側の斜面が崩れ、一部分だけ土が露出している。その土を被り、泥だらけになっている小さな祠があった。
「原因はこれかもしれないね」
「こんなに汚れて……可哀想ですね……」
土を払おうと近づく安曇を、八雲が制する。
「おっと。不用意に触れてはいけないよ、真夜くん。触らぬ神に祟りなし、と言うだろう?」
道端にある社や祠――そこに祀られているものは神とは限らない。神社を簡略化したものではあるが、神に成りすました別のものが潜んでいる可能性もあるのだ。
ほんの数週間前に経験した悼ましい事件が思い起こされ、ぞくりと悪寒が走る。いったいこの祠はなにを祀っているのか。
二人は祠をそのままに一度旅館へ戻り、女将に話を聞くことにした。
♦︎♦︎♦︎
安曇と八雲の問いに対し、女将は二人が立入禁止の場所へ入ったことに怪訝な顔をしたものの「ああ、そういえば」と間の抜けた声を出した。今の今まで祠のことなど忘れていて、二人に言われて初めて存在を思い出したようだ。
「福地家で代々大切にされてきた神様、ではないのですか?」
「ええと……それは、そうなのですが……わたしはあまり、よくわからなくて……」
歯切れの悪い返事ではあったが、やがて女将は意を決したように話し始めた。
あの祠は毎日、女将の父親が米や酒を供えていた。父親は祠の神を厚く信仰し、大切にしていたようだが、女将自身は神の力や加護などは信じていなかったらしい。神頼みのような行為を、古臭い考えだとまで思っていた。そのため祠については関わったことがなく、なにも知ろうとしなかったのだ。
一年前に父親が亡くなってからは旅館で働く者が交代でお供えを行っていたが、それは信心ではなく惰性によるものだったそうだ。父親が亡くなった今、この祠がどんな神を祀っているのか知る者はいない。毎日供物を捧げたところで、加護があるのかもわからない。そんなよくわからないものを敬えるほど、人間は軽率ではないし、信心深くもない。
十一月の大雨は、そんな惰性の信仰に悪い意味で終止符を打つものとなった。きわめて小規模ではあるが裏山の斜面が崩れていることがわかり、危険を考慮して土砂対策を終えるまで遊歩道への立ち入りを禁止したことで、お供えの習慣も途絶えてしまったのだ。もともと祠の神を崇めていた者はいなかったのだから、声を上げる者もいなかった。仕事が一つ減って良かったと思う者すらいたかもしれない。
土砂対策自体は後回しにしていたわけではない。むしろ雪が降る前に取りかかりたかったのだが、急に悪化した旅館の経営状況に、そうも言っていられない事態となってしまったのだという。
話し終える頃、女将はぼろぼろと涙を零していた。まるで自身が罪人であるかのように、救いを求めて縋りつくような眼差しで八雲を見つめている。
「女将さん。経営不振の原因は、あの祠にあると言っていいと思います」
「ああ……そうですか……」
八雲の言葉に、女将はがっくりと肩を落とした。
父が大切にしていた神がなんなのかはわからない。だが、無下にしていいものではなかったのだ。その証拠に、先祖代々受け継いできた旅館は自分の判断のせいで廃業の危機に陥っている。もっと自分が父の想いを汲んでいれば、こんなことにはならなかったのだろうかと後悔の念ばかりが渦を巻く。
「彼は自分を蔑ろにされたと怒っているようです。それで少し、いたずらをしたのだと思います」
「いたずらって……社長、そんな生易しいものじゃないと思いますけど」
小声で安曇が口を挟む。
「それは人間の価値基準、だろう?」
それ以外の存在に、人間の価値観や考えなど、通用しない。いたずらで身体の一部を欠損したり、命を落とすことだってある。
「あの……もう、どうしようもないのでしょうか……? このまま……経営を諦めるしか……」
震える声の女将に、八雲は笑顔を向けた。
「いえ、解決する方法はあります」
「ほ、本当ですか!?」
「はい。ですがその前に。お父様が祀っていた神について、知っていただきましょう――女将さん、山童という存在を、聞いたことはありますか?」
安曇と女将は揃って首を捻る。
山童は、山の神の子どもと考えられている妖怪だ。
なぜ神の子どもが妖怪なのか?という疑問もあるが、そもそも神と妖怪の境界は非常に曖昧だ。例えば一つ目小僧や一本ダタラは有名な妖怪であるが、もともとは一つ目や一本足の神であったと言われている。それがまったく別の信仰が影響し、妖怪として扱われるようになったのだ。
神を妖怪とするのも、妖怪を神とするのも、人間の匙加減。神として畏れるのか妖怪として恐れるのか、神として崇めるのか妖怪として蔑むのか。
山童は人間が敬えば危害を加えることはなく、人助けをしてくれる。しかし怒らせてしまうとさまざまないたずらで人間を困らせる。
女将の先祖は、代々山童を神として祀ってきたのだろう。その心に応え、彼は福地家の人々を助けてきたのだ。
「建物が汚れたように見えるのも、客足が遠のいているのも、電気系統の不具合も、彼のいたずらの一つです」
なんせ神の子どもだ。その力を侮ることなかれ。
「では、わたしたちがきちんと祀ることで事態は好転するのですか……?」
「ええ」
八雲は頷くと、土を被った祠を移動することを提案した。方角はそのまま、土砂崩れの危険のない建物の近くへ。
「山童はお酒が大好きです。安全な場所へ祠を移して、お酒を供えてあげてください。心を込めて謝罪をすれば、わかってくれると思いますよ」
今すぐにでも駆け出しそうな女将を前に、八雲は「ただし」と人差し指を立てる。
「もちろんそれだけですべてがうまくいくわけではありません。あまり山童に頼りすぎないようにしてくださいね」
そしてもう一つ。
「祠の移動には正式な儀式が必要ですから、ひとまず今日はぼくがお酒を供えてきます。女将さんは作業ができるように、具体的な段取りを『福寿院』の住職や施工業者と相談してください」
「はい……!」
女将は泣きはらした顔を引き締めると、「万屋さんにお酒をお渡しして!」とスタッフへ声をかけながらさっそく電話へと走った。
♦︎♦︎♦︎
「これで廃業の危機は免れるんでしょうか?」
祠の土を払い、酒を供えると安曇は尋ねた。
「多分ね。まああとは旅館の人たち次第……かな」
「というと?」
「旅館の経営が傾いたのはこの祠に来なくなってからと言っていたけれど、前兆はあったと思うよ。……だってあの主張の激しい調度品、見ただろう?」
館内と調和していない、女将の独断で選んだのであろう調度品の数々を思い浮かべ、二人は苦笑した。
「きっと父親が亡くなったことで、女将に意見する人もいなくなっていたんだよ。なんでもそうだけれど、独りよがりではうまくいかないからね。少しずつ経営は悪化していたんじゃないかな」
「そこに山童のいたずらですか」
「それが追い打ちをかけたんだろうね。新しいことをするのも大切だけど、古いものも大切にしなきゃね」
「これからは全員で、旅館を立て直してほしいですね」
八雲は満足そうに頷くと、「さて」とスマートフォンを取り出した。
「あっ! アプリが動く!」
きゃっきゃと喜ぶ八雲に嘆息する安曇。さっきまでの真面目な雰囲気だったらかっこよかったのに……。でも、まあ、ずっと真面目というのも社長らしくない。
ソシャゲに勤しむ八雲を引っ張り、二人は祠をあとにした。
♦︎♦︎♦︎
旅館へ戻ると、ロビーに響く電話の音。スタッフの話している内容から予約のようだとわかる。祠に酒を供えた効果だろうか。
八雲が土産物屋を覗くと言うので、安曇は先に部屋へ向かった。これで今回の依頼は無事に終了だ。この旅館の温泉を楽しんでいってもいいし、付近の足湯を巡ってもいいだろう。雪は降っているが屋根があるから、多少ならそれも風情があるというもの。社長が戻って来たら誘ってみよう。
依頼を終えたあとは足取りが軽くなる。普通に過ごしていたら出会すことのない、怪異と呼ばれるものに対峙したり、おそろしい思いをすることもあるけれど、依頼者が笑顔になってくれるのは嬉しい。「やくも」で働くようになって五ヶ月、受けた依頼はまだ少ないが、これがこの仕事のやりがいなのだろうか。社長もやる気のない態度ばかりとるが、住職の言うように仕事に関してはやる人だ。同じように、やりがいを感じているのだろうか。
――客室へ入ると、中央のテーブルの上に赤い実をつけた植物が一房置かれていることに気づいた。
「なんだろう、これ」
出る前はなかったはずだ。手に取ってみると、つやつやと光を受ける小判のような形の葉は濡れており、雫がぽたりとテーブルに垂れた。
「千両だね」
八雲の顔が真横から赤い実を覗き込んでいる。
「わあっ!! 社長いつの間にっ!!」
ふわりと揺れる髪。距離が近すぎる。
「なっ、なななんでしょうこれ、誰か部屋に入ったんでしょうか、ぁいだぁっ!!」
動揺を隠すように立ち上がるが、勢いがありすぎてテーブルに足をぶつけた。まったく隠せていない。なんなら安曇自身も、なぜこんなに動揺しているのかわからない。
「どうしたの真夜くん……? 大丈夫……?」
足をさすりながらぶんぶん頷く安曇に八雲はきょとんとしていたが、やがて小さな笑みを向けると、千両に視線を落とした。
晩秋から赤い実をつけるこの植物は縁起が良いとされ、正月飾りとして親しまれている。
「山童からのプレゼントかもしれないね」
「わたしたちに、ですか?」
「うん」と口角を上げる八雲の横顔に、安曇も自然と笑顔が零れる。この仕事は人間以外にも喜んでもらえることがあるらしい。
「そうだ、ぼくからもプレゼントがあるんだ」
八雲は安曇の手にころんとなにかを乗せた。
「……こけし」
「この前、ハンカチを貸してくれただろう? そのお礼に」
手の平に収まる程度の大きさのこけしは穏やかに微笑み、ピンク色の水蓮のような花模様に彩られている。
「通信筒っていうらしいんだ。中に手紙を入れて、実際に送れるそうだ」
こけしの下部にはネジ状の蓋がついており、外すと丸めた手紙を入れられるようになっていた。
「へえ……可愛いですね。お礼なんて良かったのに……すみません、ありがとうございます」
「この辺りの名産品だしね」
ぼくの育ててるこけしも同じような花柄でね……とスマートフォンを取り出して話す八雲の話は右から左へ聞き流す。手紙を入れて送ってしまうなんてもったいない。せっかくだからアパートにでも飾ろう。初めてのプレゼントなのだし。
そう思い、千両の隣にこけしを並べる。
安曇が思った以上ににこやかにこけしを見つめていることに、八雲は――安曇自身ですら――気づいていなかった。そんな二人の様子を知っていたのは、さまざまな人助けを行ってきた山の神の子どもだけかもしれない――。
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-安曇の営業日誌-
山で作業をするときは酒を持って行き供えると、山童が代わりに行ってくれるらしい。
酒が好きな妖怪は多い。
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