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依頼4-3 不自然な死体
安曇が物置兼仮眠室を掃除している最中に八雲が受けた依頼は、T県N町からのものだった。新幹線とバスを乗り継ぎ、二時間半。
駅から山のほうへと走るバスを降りると、依頼者の高木という男性が二人を迎えた。歳の頃は五十代といったところか。それぞれに簡単な自己紹介を済ませると、高木はさっそく安曇と八雲を自動車へ乗せ目的地へと向かった。車内は暖房が効いていたが、窓際はひんやりと外気の冷たさを感じる。
「高木さん、詳しいお話を伺えますか」
八雲がいつもとなんら変わらぬ調子で尋ねたが、高木は「あー……」とか「えー……」と言っては口籠った。なかなか話が進まないままに目的地が近づいてゆく。
「あの……なにか、訳ありなんでしょうか」
耐えかねた安曇が問う。八雲からは石が割れたという説明しか受けていないのだから、高木からきちんと依頼内容を聞いておきたい。自分にできる仕事は限られているが、だからといっていい加減にはできないし、したくない。
「高木さん、お話していただけませんか?」
できるだけやんわりと、相手に圧迫感を与えぬように再度問いかけた。高木は小さく、はい、と了承の意を口にすると「実はこの依頼は、わたしが勝手にやっていることなんです」と話し始めた。
T県N町には有毒の火山性ガスが噴出する一帯があり、そこではある伝説を持つ大きな石が祀られている。観光客も多く訪れる国指定名勝だ。そんな場所で、異変が起きている。もともとガスの噴出が多いときは辺りへの立ち入りが禁止されるような場所で、時折、野生動物が命を落とすほどだ。
動物が死ぬ――それ自体はこれまでもあったことで自然なのだが、「わたしは一帯の管理事務所で働いているんです。だから、ガスで死んだ動物を目にすることもあります。でも」
高木が言い淀む。
「でも……?」
「最近の死体は、変なんです」
「変とはどういうことです?」
これには八雲も反応した。
ガスで亡くなった動物ならば死体の損壊は少ない。しかし明らかに裂傷を負っている個体がいるという。
「野生動物同士で喧嘩をしたとか」
安曇の推測に、高木は首を横に振る。
「そういう傷には見えないんです。喧嘩なら、小さな傷も顔や体についているでしょう。それがまったくない。傷は一ヶ所で、それも致命傷になるような深い傷を与えているんです。頭部が丸々なくなっているときもありますが……」
「食べている、とか……」
Y県での狒狒の食事が、否が応でも思い起こされる。
高木は少し悩むように唸ったあと、違うと思いますと否定した。食事ならばわざわざ硬い部分を選ばないのではないか、柔らかい肉の部分を食べるのではないか、と。
「確かにそうですね……」
国指定名勝で起きているこの野生動物の不自然な死体の発見に、高木は違和感を覚えた。人為的とまで言っていいかはわからないが、なんらかの意図を感じるという。しかし、場所の管轄が管轄なだけに調査をしようにも手続きがややこしい。
「つまり、これはなるべく隠密に、ということですね?」
高木の意図を汲んで、八雲は確認をした。簡単に立ち入ることができないうえ、万屋などという職種に仕事を委託することはまずないであろう場所。堂々と立ち振る舞えないのは少々やっかいだ。
八雲はふむ、と顎に手を添えると考えごとを始めたのか黙り込んでしまった。その沈黙がなにを意味するのか、安曇に推し量ることはできなかった。もちろん、なんの意味もないかもしれないが。
静まり返った車内で、安曇は窓の外へ意識を向けた。相変わらず山中を走っているが、観光地らしく何度もほかの自動車とすれ違う。前方を見れば、目的地はもう目と鼻の先だった。
件の石の場所までは駐車場から遊歩道を進まなくてはならないため、高木の案内で一行は歩き始めた。降り積もった雪が辺りを白く染めている。二月のN町は日中でも気温が氷点下の日もあるらしい。
ふと、安曇が後ろを振り返る。広い駐車場に並ぶ自動車、行き来する観光客。なんら変わったところはない。ただ、視線を感じた気がしたのだ。
「真夜くん、どうしたんだい」
気のせいだろう。
これだけ人がいるのなら、誰かがこちらを見ていた可能性はおおいにある。知り合いなら声をかけるだろうし、そっくりさんを見つけて、じっと見てしまうことは自身にもある。
ほとんど気にする素振りを見せず歩き出す安曇であったが、その後ろ姿を見つめる瞳が、確かにあった――。
♦︎♦︎♦︎
祀られている石は溶岩で、付近には同じような石がごろごろと転がっていた。その隙間を縫うように遊歩道が整備され、石を見物したあとはこれから来る人とすれ違うことのないよう一方通行の順路が示されている。辺りは硫黄の臭いが立ち込め、ここに来るまでの冷たく刺すような空気とは一転して重たい空気が流れていた。
石だらけの場所であるが、ひときわ大きく、しめ縄をつけられているのが祀っているものだ。有毒ガスによって生き物を殺す石と呼ばれている。それが二年ほど前に自然と割れた。不自然な死体を見るようになったのはそれからだと高木は眉根を寄せる。
「初めは頻度も少なくて、あまり気にしていなかったんですが……だんだんと、その、先ほど話したような死体が増えてきまして」
高木の話に相槌を打ちながら、二人は石を見上げた。割れてしまったためか、しめ縄は外れかかっている。
「そういえば伝説ってなんなんですか?」
「九尾の狐の伝説です」
妖怪にあまり詳しくない者でも名前を聞いたことはあるだろう。安曇は、ああ!とひと声上げた。
これは妖狐――九尾の狐が玉藻前という女性に化けていたが、正体を見破られて退治されたのち、逃れた魂がこの地で石となったという伝説だ。石は毒を放ち、人や動物の命を奪った。多くの人々が犠牲になり石をおそれたが、あるとき一人の僧侶によって打ち砕かれ、欠片が全国へ飛んでいったという。そのため、N町以外にもこの石にまつわる伝説が残る土地がある。
「その伝説と割れた石、不自然な動物の死体と関係あるんでしょうか」
「さあ……どうだろうね?」
八雲は肩をすくめたが、もしそうだとしたら、と付け加えた。
「相手はなかなか尻尾を出さないかもしれないね」
どことなく引っかかる言い回しに安曇は八雲を見たが、彼は柔らかな笑顔を浮かべるばかりだった。ふと、八雲を捉えた視界の端でなにかと目が合う。あっと声を上げたときには、その姿はどこかへ消えてしまった。
「今、動物がいたような……真っ白な……」
動物自体はなにもおかしなことではない。だが、安曇が再び感じた視線――それは駐車場で感じたものとよく似ていた。
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