依頼4-5 山中の集落

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依頼4-5 山中の集落

 生き物の命を奪う石――それが祀られている場所は山の中だ。自動車やバスで訪れる観光客がほとんどだが、安曇(あずみ)に声をかけた青年は徒歩で来ているという。なんでもすぐ近くに集落があるのだとか。安曇はまったく気づいていなかったが、言われてみれば広い駐車場の端にひっそりと細道がある。 「ここを通ると集落に出るよ」  青年はくねくねとした道を案内した。N町はどこもかしこも雪が積もっているが、なぜかこの道は積雪がなく地面が露出している。集落の人々がよく利用しているのだろうか。火山ガスの影響を受けないのかと心配したが、集落ではなんの問題もなく百人が暮らしているという。  山を少々下りながら歩き続けていると次第に視界が開け、小さな集落に辿り着いた。   「コノオ村へようこそ」  青年は満面の笑みでそう言った。 「コノオ村? 集落だけど、村?」 「昔の名残りだよ。もともとは村だったけれど、今は合併したから正確には村じゃないんだ。名前だけが残ってしまって」  ちょっとややこしいかな?と青年が首を傾げる。  コノオ村は不思議な所だった。  皆、身体が細く、作務衣のような服を着ていた。おまけになぜか顔に狐の面をつけている。安曇と青年が歩けば二人に声をかける者もおり、人々は親しみの持てる雰囲気だったが、全員が同じような姿をしているのは異様だった。 「あの……どうしてみんな狐のお面を?」 「ああ、やっぱり気になる?」  苦笑する青年に、何度も頷く安曇。 「ここは職人の集落なんだよ。松明行列、知ってる?」 「はい、写真を見ました」 「そのときのお面はここでつくっているんだよ。嬉しいことやお祝いごとがあると、こうしてみんなでお面をつけるんだ」 「嬉しいこと?」 「うん。()()()()()()()()()()()。お客さんなんて滅多にないから」  青年が笑うと、もともと細い目がさらに細くなる。彼はお面をつけていないが、その顔は動物に例えるとまるで狐のようだった。 「()()()()、こっちだよ」  集落で最も伝説に詳しい者が住んでいるという民家へと案内される。立派な門構えで、ほかの家よりも古そうだ。  ……そういえば、この青年に名前を教えただろうか。覚えていない。今さら、自己紹介しましたっけ?なんて言うのは恥ずかしい。  ついて行っていいのかと、この段になって疑念が芽生える。    この青年は信用できるのか……?  立ち止まる安曇を不思議そうに見つめる青年。それに気づき、安曇は心に生まれたもやもやを振り払った。自分が忘れているだけで、会話の流れで名乗ったのかもしれない。親切に案内してくれているのにこんなことを考えるなんて失礼だ。「おじゃまします」と玄関をくぐると、青年はほっとしたような表情を浮かべた。 「彼女は身体が弱くてね、あまり動けないんだ」  青年の言葉に安曇はしわしわのお婆さんを想像する。一番伝説に詳しいというくらいだから、だいぶ歳をとっているのかもしれないなと考えつつ、軋む廊下を進んだ。  門構えに比例して、家は広く立派だった。長い廊下に面していくつもの部屋があり、障子の開け放たれた部屋をちらりと覗くと、掛け軸や大きな壺などが置いてある。どれも高そうだ。障子の閉まった最奥の部屋の前へ辿り着くと、青年が部屋の中へいる人物へ声をかけた。「どうぞ」と返ってきた声は思いのほか艶やかで可愛らしい。  障子が開けられ、安曇はあっと小さく声を漏らすほど驚いてしまった。部屋の奥に座していたのは若々しく美しい女性であったからだ。面食らったのは予想外の若さだけではない。その容姿の美しさは同性でも惚れぼれするものだった。色素が薄いのか腰まである長髪は白鼠(しろねず)のような色をしており、切れ長のつり目を覆うまつ毛に至っては白と言っても差し支えない。肌も透き通るように白く、赤みのない頬はいっそう彼女を病弱に見せたが、それがまた儚さを強調してもいた。 「ふふ、そんな所へ立っていないで、どうぞ中へ」  女性に促され、安曇は用意された座布団へ座った。まさか同性に見惚れることがあろうとは。  すぐにどこかから狐面をした使用人がやって来て、二人分の茶が出される。青年は安曇の斜め後ろに正座しているが、彼の分はないようだ。女性の身分が高いことが窺えた。 「わたしはコノオ村を治めている、タマと申します。こんな可愛らしい方が来てくださって嬉しいわ」  安曇がタマを見ると、彼女はにこりと微笑んだ。若い女性に可愛らしいと言われるのは違和感がある。タマは何歳なのだろうか。二十代……いや、十代か、三十代……わからない。例えば百歳を越えていると言われても納得してしまうような次元を越えた美しさと、見た目の若々しさに反した威厳がある。  万屋の仕事を伏せ、ここまで案内してもらった理由を説明するとタマは快く応じた。他愛もない世間話をしながら、九尾の狐伝説について語る。妖狐であることを見破ったのは陰陽師だとか、討った人間は誰だとか、そういった事柄を臨場感たっぷりに話し、安曇も聞き入った。その話しぶりはまるで目の前で見てきたかのように、体験したかのように現実味がある。    気づけば一時間ほど経過しており、外からは雨粒が木々の葉を打つ音が聞こえた。 「あら、あんなに晴れているのに。真夜さん、せっかくだから雨がやむまでこちらにいて。今、新しいお茶を持って来てもらうわ」  タマが青年に目配せすると彼は廊下に顔を出し、茶を持って来るよう使用人に声をかけた。安曇はその間にトイレへと席を立つ。廊下へ出ると、確かに太陽が顔を出しているのに雨が降っている。そんなに長居することにはならないだろうが、念のため八雲に連絡を入れた。あんな別れ方をしたので気まずい部分もあったが、遅くなってはさすがに心配をかけてしまう。少し時間が経ったためか、観光案内センターを出たときの苛立ちは落ち着いていた。     メッセージアプリを開くと、コノオ村で九尾の狐伝説について詳しい話を聞かせてもらったこと、雨宿りをさせてもらっていることを簡潔に入力して送信した。トイレを出て玄関の前を通り、突き当たりを右に曲がると長い廊下がまっすぐに伸びている。最奥の部屋へと来た道を戻り、部屋の前まで行った所でタマと青年の会話が聞こえた。 「お身体はいかがですか」 「このくらいなら大丈夫よ」  身体が弱いタマを気遣っているようだ。一時間も喋り続け、疲れが出ているのだろう。 「早く準備を進めましょう」 「そうね、やっと見つけたのだもの」  準備とはなんのことだろう。なにか大事な話を聞いてしまったのだろうか。盗み聞きをしたようで少々後味が悪く、安曇は開いている障子の陰からそっと中を見た。そこには白鼠の髪を持った美しい女性と、作務衣を着た細身の青年がいる――はずであった。  しかし安曇が見たのは、手足が真っ白な毛に覆われ、鼻は前に伸び、人間よりも高い位置に耳のある生き物だった。おまけに尻尾まで生えている。衣服こそ身につけているが、その姿は獣そのものだ。  安曇は静かにあとずさりをした。廊下の中ほどまで行った所で踵を返し玄関へと急ぐ。すぐにここを出なければいけない。床板がみしりと音を立てたがそんなことに構ってはいられない。勢いよく玄関扉を開ける――が、そこで足が止まってしまった。雨だというのに、家の前には大勢の人が詰めかけていたのだ。  否――人ではない。    皆、真っ白な毛に覆われ、二股にわかれた尻尾を生やしていた。狐の面もつけていない。つけずとも、その顔は狐そのもの。駐車場や祀られた石の前で感じた視線と同じものがいっせいに安曇に突き刺さる。 「どうしたんですか、真夜さん」と青年が肩を叩いたのと、安曇の視界が揺らぎ始めたのはほぼ同時だった。  薄れゆく意識のなかで見た青年の姿は、真っ白な狐であった。
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