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「あ…紅茶、淹れ直してきましょうか」
私は立ち上がった。
総輔の目の前にあるティーカップに手を伸ばし「それかコーヒーでも」と言いかけて、ぴたり。手が止まる。
「六花」
しっかりと重なった視線が、蠢く唇が、呼ばれた名前が、時を止めた。
「俺のこと、覚えてるでしょ」
その目は試すような眼差しを送る。
どきん、跳ねた心臓が一気に加速して私は思わず「総輔」と口走った。
手元のティーカップが危なげにバランスを崩せば、冷え切った紅茶はテーブルの上に小さな水溜りを作る。
「あ、ご、ごめ…」
慌てて布巾を取りにキッチンへ。
だけどこんなときに限っていつものところに置いてないから、新品を取り出そうと戸棚の引き出しを開ける。
頭はすっかり混乱していて、呼ばれた名前だけがいつまでもこだましていた。
「(……覚えてたの?)」
私だって分かっていて、他人のフリをしていた?
そりゃあ彼女の家に行って姉が元カノだった気持ちを考えたら咄嗟にそうするのも頷ける。だけどあまりにも出来すぎている気がして──
「……、?」
ふと、戸棚にかかる人影に気がついた。私の影と、もうひとつ。ゆっくり振り向けば、それは背後でこちらを見下ろしている総輔のものだった。
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