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——私は、雨女だ。
私が外に出るといつも雨が降る。
雨の音が私を表していて、きっと私の存在自体が雨なんだろう。
私のせいで雨が降るようになったのは、つい最近のことだ。
最初はたまたま私が外に出るときと重なってるだけだろうと思ってた。
だけど偶然にしては降雨が重なりすぎた。
雨が降ると、皆悲しむ。
外で遊べなくなるから子供たちはみんな悲しい顔で家に帰っていくし、空気も顔色も重くなることは当たり前だった。
私はいつの間にか、私は外に出ないようになった。
その方が皆のためだから。
でも私も買い物をしなきゃいけない。外に出ないといけない。
だから人の反応を伺って外に出るようにした。
小学生が外に遊びに出る放課後の時間帯は家にいて、日の落ちた夜に買い物したり、なるべく夕方は家にいたり。
そんな細かな気遣いが私の心を蝕んで腐らせていく。
だけどどの時間帯でも、外に出れば雨が降ってみんなの悲しい顔が目に入る。
ーー今日はハイキングだったのに。
ーー遠出したかったのになぁ。
私は次第に毎日家にこもるようになった。
部屋の限られた家具の中、ひときわ存在感を放つ書斎の前で、誰とも喋らずに一日を過ごす。
でもずっと家にいれば、雨が降らないから凶作だとニュースで報道される。
ーー米が育たない。
ーーお花の水やり、毎日するの面倒だな。
私のせいで雨が降ったり降らなかったりするなら、私が調節しなきゃいけない。
まるで、突然世界の天気を任されたみたいだった。
いつも周りの声に耳をかたむけて。みんなの声を拾って。みんなの望む通りに。
それが疲れた。
何で私がみんなのために天気を調節しなきゃいけないの。
急に自分が雨女だって分かって、自分でもどうすれば良いのか分からないのに。
蝕まれた心は次第に感情に疎くなる。
自分が自分じゃないみたいに、正気のない瞳でうつらうつら日々を過ごす。
でも、あの日。
とうとう私は気持ちが爆発してしまった。
この日は近くの小学校のマラソン大会の日。
隣に住む男子小学生が「マラソン嫌だなぁ」って、玄関にてるてる坊主を逆さまにするぐらい雨が降ってほしそうだったから、午前中は外に出ていた。
私を、必要としてくれているのなら。
それなら私は声を拾って生きていくことができる。
それが自分に見出された唯一の存在価値のような気がして。
「ねえ、知ってる? この街に雨女がいるって噂なんだけど」
近所のお婆さんたちの会話は、必要以上に私を深く刺した。
傘に落ちる雨音がザーッといっそう強くなる。
「知ってるわよー。最近、雨降りすぎじゃない?」
「やっぱり? この時期あまり降らない雨がたくさん降るから、お米が洪水の時みたいになって大変だって農家さん困ってたわよー」
「でも近所の小学校に通ってる男の子、雨でマラソン大会無くなって喜んでたわね。でも午後は外で遊びたいから雨止んでほしいって言ってたけど」
「そんな都合のいいことは起こらないわよねぇ」
傘に打ちつける雨がどんどん強くなっていく。
心が、暗い深い、底へ底へ沈んでいくのが分かった。
でも逆に頭は燃えるように熱くなる。
——あぁ。その程度の利用価値だったのか、私は。
カッとなる頭の中で、劣化してヒビが入っている心が崩れ落ちていく。
なんて自分勝手な人たちだ。
あの男の子が雨が降ってほしいって言うから降らせてあげたのに。
午後は雨が止んで欲しい?
なら、私は午後はずっと家にいれば良いのか。
他人の心情で私の行動が制限される。
誰かのに私の自由が奪われて、私の人生は雨に奪われる。
いつもこうだ。
誰かのために雨を降らせると、誰かが悲しむ。
誰かのために家にいると、誰かが雨を待ってる。
うんざりだ。
誰かのために頑張るのが、誰かのために自分のやりたいことを抑えるのが、疲れた。
何もかも放り出して、どこかへ消えてしまいたい気分だった。
逃亡、逃避。
思考が全て雨音に奪われて消えていく。
こんなにちっぽけな存在だったのか、私は。
それからは本当に毎日家にこもっていた。
押しつぶされそうになる感情は、絶望というよりは幻滅だった。
この世界は私がいてもいなくても変わらずまわっていく。
誰かのために頑張るのが馬鹿馬鹿しくなった。
もうみんなのために頑張るのはやめた。
私にだって好きなように生きていく権利がある。
たとえ自分が、世界から嫌われる雨女でも。
鬱々とした気分とは対照に、外は焼け付くような暑さ。日照り。
ある日、書斎の奥にあった一冊の本を見つけた。
前に買った雨女の伝記の本。
埃を被った拍子と黄色く黄ばんだ紙は、ザラザラと気色が悪い。
無意識に本をめくっていたら、目が吸い寄せられるようにあるページを追った。
外国の歴史で、雨女が外に出たら体が焼けたという話だった。
丁寧に書き記されている、恐怖の歴史。
おどろおどろしい文章はヒヤリとした部屋の空気をさらに不気味なものにしていく。
……でも私は大丈夫だ。私には関係のないこと。
きっともう、一生、外に出ることはない。
日の目を浴びないで誰からも干渉されることなく、自分の人生を生きていくんだ。
私が外に出ないから窓の外はずっと晴れ。
それも毎日、カーテンを開けるだけで目がしみるぐらい眩しい晴れだ。
街の人はそれを喜んでる。
どんなときでも天気は晴れの方がいいから。
雨だと自然と気分は落ち込む。
私だって、小さい頃はそうだった。
でも私が窓みたいな間に挟むものがない中、見られる景色は雨だけだった。
太陽の光を浴びられない。
明るい景色は家の中からしから見れなかった。
ーー羨ましい。
唐突に、そんな考えが頭に浮かんだ。
天邪鬼のように心に住み着いていた暗い感情が焼けて、別の感情が生まれてくる。
ーー良いな。私も太陽の光を浴びたい。暖かい空気に包まれたい。
私の暗い心に反して、そんな考えが頭の中を駆け巡った。
いてもたってもいられない。
外へ出たい衝動で体が震えてきてしまった。
でも理性が必死に自分を抑え込む。
ーー私は雨女だ。外に出ると、必ず雨が降る。
体は外へ出ようとしているけど、心は重い岩のように動かない。
だけど、もう人のために天気を調節するのはやめた。
誰かのために自分を制限するのはやめたんだ。
……なら、自分勝手に生きてみてもいいんじゃない?
だけど窓の外の空気が誘ってるみたいだ。
キラキラと光って、暗い場所に囚われている私に語りかけている。
気づいたら体が動いてた。
外に出ようと、フラフラと歩いて靴を履く。
ドアの取っ手をつかんで、ぐっと目を閉じた。
外に出るのに緊張するなんて久しぶり。
自分が雨女だと信じたくなくて、雨が降らないように祈っていた、あの頃以来。
深く、深く、深呼吸をした。
誰かのためじゃない。自分の意思で、自分のために外に出る。
心に突き動かされた行動が、ひどく自分勝手な行動をしようとしていることが心地いいと思ってしまった。
今なら、自分を少しだけでも好きになれる気がする。
そしてバンッと強くドアを開いて玄関の外に踏み出す。
日の当たる、暖かい、眩しい世界へ。
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