新月が満ちるまで

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新月が満ちるまで

   人間は燃えるゴミだっけ。    私はぼんやりとそんなことを思いながら、ゴミ捨て場の前に佇む。そこにうち捨てられているのは、ボロボロで、ヒョロヒョロで、いかにもなよなよした青年。俯いていて顔は見えないが、少し伸びたその髪は月光のような金色だった。  私は持っていた傘で男をつんつん、と突いてみる。「ううん……」と反応があった。どうやら、遺体の第一発見者にはならずに済んだらしい。 「……大丈夫ですか」  このまま放っておくのも良心が咎めたので、社交辞令ながらに聞いてみた。 「……なんとか」  青年は顔を上げ、力なくへらっと笑う。涼しげな、美しい顔をしている。もっと違う出会い方をしていれば「美青年だな」と素直に思えただろう。だが、この状況では厄介な訳ありの人間でしかない。 「……とりあえず、警察呼びますね」  この美青年のことは警察に丸投げにしてしまおう。そう思ってスマホを手に取った瞬間、美青年は今にも泣き出しそうな声と表情で私に縋った。 「お願い、警察には言わないで。実家に戻されちゃう」  一一〇番通報しかけた、私の手が止まる。   数十分後、私はこの美青年を家にあげていた。     その日の気分は最悪だった。大型連休を終え、職場が帰省や家族旅行の話題で盛り上がっていたからだ。もちろん、私も「帰省していないのか」と聞かれた。これだから温室育ちの人間は嫌いだ。ぬくぬくとした現実に浸かって、想像力というものが欠如してしまっている。世の中には、家族という存在を素直に喜べない人間がいるなんて考えもつかないんだろう。「うち、両親が離婚してるんですよね」とはっきり言って、その場の空気を凍らしてやろうかとも思った。だが、私は大人だ。相手の事情も考えず、雰囲気を壊したりしない。とはいえ、行き場のない苛つきは溜まるもの。金髪の美青年を拾ったのは、どこかむしゃくしゃした気持ちを抱えていた、仕事の帰り道のことだった。  普段の私なら、人間、それも男を拾うなんて絶対にしなかっただろう。今回、実家を恐れる美青年を拾ったのは、変な仲間意識を彼に感じたからかもしれない。  美青年を家に上げ、シャワーを浴びせ、食事を与えると、彼はようやくほっとした表情を見せた。 「助けてくれてありがとう、おねーさん」 「別に。あのままだと目覚めが悪かっただけ」  私は二人分のココアを、大きさがばらばらのマグカップに入れる。大きい方のカップを美青年に手渡すと、彼は愛嬌のある笑みを見せた。 「おねーさん、クールだけど優しいね。俺、見つかったとき実家に戻されるかと思ったよ」 「……実家が嫌なのは、別におかしいことじゃない」  両親が離婚して、妹は気の強い母との生活を、私は精神的に不安定な父との生活を選んだ。どうせ父親は今日も家で一人、酒を飲んで泣きながら荒れていることだろう。そんな実家に帰ったところで、羽なんて伸ばせやしない。子どもみたいな父をなだめる役になるだけだ。  実家を思い出して真顔になった私を、美青年はコップで手を温めながらじっと見つめる。 「……おねーさんも、実家、嫌い?」 「帰らなくて済むなら、それに越したことはない」 「そっか」  美青年はココアを一口飲んで、ふっと微笑んだ。 「じゃあ、俺たちお揃いだ。俺はミツキ。おねーさんは?」 「……透野涙子(とうのるいこ)」 「綺麗な名前だね、おねーさんにぴったりだよ」  親につけられた名前を褒められても、素直に嬉しいと思えない。だが、その気持ちをミツキにぶつけるのは八つ当たりもいいところだろう。私は複雑な心境をごまかすため、彼に話しかけた。   「……ミツキはさ」 「なあに?」 「行く当て、あるの?」  私の質問に、ミツキは困ったように笑う。どうやら、行く当てはないらしい。 「……今まではどうしてたの?」 「えっとね。俺、飼ってもらってたんだけど、ヘマして追い出されちゃってさ。それでこの有様」 「つまり、ヒモってことね」 「そういうこと」  ミツキはあっさり自分がヒモであることを認めると、今度は庇護欲をそそる、可愛らしい猫なで声で私に話しかけてきた。 「ねえ……おねーさん」 「私は、ミツキのこと飼わないよ」 「まだ何も言ってないんだけどな」 「行く当てのないヒモが女に言うことなんて、簡単に予想できるでしょ」 「クールだねえ。もちろん、ただで飼ってなんて言わないよ」 「……どういうこと?」  私が問いかけると、ミツキは可愛らしい姿から一変して、全身から色気を放つ。気づけばミツキを家に上げてしまっていたときのような、気づけば心の中に彼を入れてしまっているかのような。ミツキは美しい声でさえずり、私に禁断の果実を差し出してきた。 「おねーさんを愛してあげる。おねーさんが寂しいとき、欲しいものを、欲しいだけあげるよ。だから、俺のことも慰めて?」  ああ、ミツキはこうやって生きてきたのか。  彼の色香に抗いながら、私は悟った。  気づけば、ミツキは私の隣に腰を下ろしていた。彼は私の頬に手を添え、そっと口づけを――。
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