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「お願いします」
あれが病人? 呆気に取られてその様子を眺めていると、彼に付き添ってきたオペ室ナースの山田に声をかけられ慌てて振り返る。
「あっ、はい。今行きます」
「病室は何号室になりますか?」
「508号室の大部屋です。一緒に行きますね」
富田が病室にいったため、麻里亜が引き継ぎをすることになった。
「お名前は安東紘太さん、三十二歳、今日の午後にマンションの階段から転落、午後一時十三分に搬送されてきました。頭を強く打っていたのでCTを撮ってますが異常は見当たらず、額に大きく切傷があったため、縫合手術をしています」
今後の予定について話している間も、病室からは楽しそうな声が響いてくる。怪訝な表情を浮かべた麻里亜に、山田は苦笑いをした。
「局所麻酔だったので、意識はずっとありますからね。手術中からあんな感じでしたよ」
「そうなんですか」
いろいろ説明があるとはいえ、富田がなかなか帰ってこないところを見ると、相当楽しい時間が流れているに違いない。
「後で先生が来ると思いますので、よろしくお願いします」
「お疲れ様です」
頭を下げて来た道を戻っていく山田を見送ると、ナースステーションの程近くにある508号室に目をやった。先ほどは一瞬しか顔が見えなかったし、声は聞こえているものの、記憶にある声が昔のものすぎて、比較することは困難だった。
その時、再びエレベーターホールの方から二人組の男性がやってくるのが見える。面会の人だろうかーーグレーの髪がエレガントに見える初老の男性と、もう一人は短く艶やかな黒髪が爽やかな三十代半ばの男性で、二人ともきちんとしたスーツを身を包んでいた。
その身なりから、会社の重役などを想像したが麻里亜は、近づいてくる人の顔を見た途端、目を大きく見開き、両手で口を覆った。
それは相手も同じだったようで、男性たちは麻里亜を見るなり驚いたように口を開けた。
「あれっ、もしかして麻里亜ちゃん?」
「お久しぶりです」
声をかけられ、麻里亜は慌てて頭を下げた。年上の男性は安東警備株式会社の安東龍彦相談役で、警察官である父親の先輩にあたる人だった。
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