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ね?と最後の念押しに、うん、と声もなく頷くと、彼は満足げに微笑んで、軽いリップ音を立ててキスをした。
「いい子だね、菫」
触れるだけの唇から紡がれる、まやかしのような褒め言葉。この優しさが偽物だと薄々気付いていたのに、気力丸ごと奪われたみたいに私は彼への反論を捨てた。
去っていく蛍の背を眺めると、ありありと蘇る中学時代。翻弄され、惑わされ、恐れ、追従した日々。
彼は甘くて気まぐれで、時折別人のように冷酷になれる。
成長して性格が変わったんじゃない。成長して、隠すのが上手くなっただけだ。人間の本質はそう変わらない。
それに気付きたくなかった私が思い込んでいただけ。信じたかっただけ。
蛍は優しい、と。
もう少しで掴めそうな違和感の正体を、我が身可愛さに知らないふりをした。みっこ元気かなぁ。なんて、掠れた思考でかつての親友を考えながら。
夕食を食べ回診を受けシャワーを浴びる。早々にベッドに潜り込んだが、気掛かりが多すぎて結局眠りに就けなかった。
嫌でも思い浮かぶ蛍の顔。思考にこべり付く彼を消せないまま、唇を指でなぞる。
8年ぶりのキスだった。
混乱はある。だが、嫌悪感はない。
それが一層恐ろしい。
美しい魔物に簡単に魅せられてしまいそうで。
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