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さっき食べた肉のスジがまだ、歯の裏に残っている気がして、青年は自分の舌をもにょもにょ、と動かす。ずいぶんスジ張った肉だったなあ。
まあ、おいしかったから良かったけれど。
独特の風味を思い出して、舌がおいしかった、なんて同調しているように、唇にそって動く。
たれもうまかった。次出てくるときは、ぜひ、白いごはんもセットで出してほしいな。
ここに来た当初よりも、幾分かグルメになったみたいな錯覚をかかえながら、のんびりと歩く。ある種、危機感の抜け落ちたすがたとも言えた。
あの肉、なんの肉なんだろう。うまかったな。
そう、ひとりごとが零れる。焼肉屋さんには、彼はめったに行かない人間だったので、この世にどんな種類の肉があるのか、あまり詳しい知識を持っていないのだった。
あいつにも、食べさせてやりたいな。知ってるかな、どこの部位の肉か。
ブツブツと言って、目をくるり、と、上に回転
させる。
……そういえば。
後輩の顔を、幾分ひさしぶりに、彼は脳裏へとうかべる。
彼から今度、いっしょに焼肉屋に行ってメシを食おう、と、誘われていたんだった。
センパイ、いつもマトモなもの食ってなさそうだから、おごってあげますよ――そう胸を叩き、ひとの好さそうに笑む彼の顔。その勢いと今月のフトコロのさびしさから、一も二もなく了承したのを、覚えていた。
■■■、元気にしてるかな。
なにげなくわらいながら言った、そのとき。
何某かの異変に気づいたみたいに、彼は綺麗な栗色の目をいっぱいに、みはる。
彼の思考が、その刹那から、ぴたりと止まる。
後輩の名前を呼ぶ、彼の脳内の声に、……正体不明のノイズがそれを覆い隠すように、かかっていたのだった。
あれ。
彼はうわごとのように疑問符を浮かべ、何回も何回も、その名を口に出さずに呼ぶ。
だが、その後輩の名前はついぞ、思い出せないままだった。
ぼうぜんと、立ちつくす。
砂嵐がどこかで、ざー、ざざ、と段々、自身の音量を増してきている気が、した。
はやく、ここを出ないと。
感情の抜け落ちた声色で、彼はそう言う。
後輩の顔が、声が、存在が、
自分の前から永遠に、うしなわれてしまうその前に、
はやく、ここを出ないと。
繰り返して、また、歩き出す。
全身が、意思に反してだらしなく、重力に対し怠惰にしなだれかかっていた。
左右に慣性じみて身体を揺らしながら、また、歩き出す。
すでに死んだ人間のような目をしつつ、彼は、
遅々とした歩みに戻っていった。
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