明けない夜など、ない。

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 青年はふと、首をひねる。  どうも先ほどから、左の足が、少しだけ動かしにくかったのだ。  地面を踏む手応えが、やけに薄い。  歩けることは歩けるのだが、どうも、変なのである。  そちらに目を向ける。  ぐにゃぐにゃと、ゴムでつくられたおもちゃのように変形した自分の足が、その視界に映った。  青年はかすかに目を見開き、それをながめる。  ――しかし、それはほんのわずかな間だった。  その無様にねじ曲がった足をずる、ずるっ、と引きずって、歩きつづける。  あるきにくい。  こどものような発音で、青年は口にする。道をきょろきょろと、苛ついたようすで慎重に見回しながら、ずる、ずるっ、と、左足を引きずって、いっしんに歩行をつづける。  しばらく、無言のままにあるく。  舌打ちをして、左足に視線を向ける。  じゃまだな。  トゲの生えた声が、そう吐き捨てる。  すこし先の路面に落ちていたものに、彼はつかつかと歩み寄り、ためらいなく拾い上げる。  それは大振りのマチェットだった。  刃の部分が異様に大きく、なにものかの血に、あざやかに赤く濡れている。  ぽたぽたと、したたる。  それを見つめる目は、暗い狂気に歪んでいる。  ゴム製の足は、こんなオモチャでも斬り落とせそうなほど、やわらかい質感をしている。  手に力がこもる。  そこに向かって、振りかぶろうとした瞬間に、足がぱっ、と元の、通常の人間のものに戻った。  青年はふう、と息を吐き、マチェットを路面にほうり捨てる。その顔はどこか、ほっとしているようにも見えた。  変形する前よりも、こころなしか、その左足は健康になったようだった。足をぷらぷらとかるく振り動かして、青年はうなずく。  また、あるき始める。  前に向かって。  ……数歩進んで、彼は先ほど道にほうり投げたマチェットを見やった。  首をかしげて、じっと、うらみがましい感じのする刃物と、みつめあう。  ああいうふうにして、何人とも知れない足を、食ってきたのだろうか。  青年の瞳がすう、と細くなる。  残念だったね。  口の端を微妙につりあげ、彼は冷たく言った。その瞳が、くろぐろと光っている。  ふいに、その平静さを欠いた両目が、柔らかくゆるんだ。  正気が、彼のもとに、遅ればせながらではあるけれど戻ってきていた。  マチェットに向け、言葉をつづける。  でも、おかげで回復できたよ。ありがとう。  几帳面にお礼を言い、しゃがみ込んでその刃に手を沿わせる。  赤い、きっと無辜だったひとの涙が、彼のまだぬくい手を、濡らした。
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