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健康になった足で、青年は意気揚々と、歩みを進めていく。足取りは軽い。
けっこう歩いたし、そろそろゴールできたっていいはずなのにな、と、誰にともなくつぶやく。あと、どれくらい歩いたら、この長過ぎる旅は、終りを迎えることになるんだろうか。
そんなことはでも、当然ながら、彼に分かろうはずもなかった。なのでしかたなく、着々と彼は歩んでいく。
一秒でも先に、ゴールにたどり着けるよう。
そうしたらきっと、かならず、会えるから。
そんな気が、するから。
脳裏に先ほどから、ちらちらと色濃く浮かんでくる彼の微笑む顔をたよりに、いまの彼は暗闇を進み続けていた。
やさしく、きっと彼は言ってくれる。
頑張ったんだね、つらかったんだね、と。
きっと。
息を乱しながらも、青年は気丈に、片頬をつり上げて無理に、笑う。
そうでもしなければ、とっくのとうに限界まで切り詰められた精神が、こなごなになって崩れてしまいそうだった。
後輩の大好きだった、ほろほろ食感のクッキー
みたいに。
センパイ、という快活な声が、脳内にログインしてくる。彼は歩きつづける。
◇
立ち止まる。
目の前には、背の高い街灯が立っていた。
明るい、乳白色の光。近くを一匹、気持ち悪い模様をした蛾が、ぶうんぶうんと音を立てて飛び回っていた。
暗闇のなかを、煌々と照らす光。その根もとに身体をあずけて、青年はほっ、とひと息つく。
言いしれないほどの、安心感があった。
張りつめていた神経が、ほわりとゆるみ緊張を解いていく感覚。
上を見上げる。――まるで、その街灯が守ってくれているような、錯覚をする。
眉間にシワを寄せて、顔の横にさっ、と俊敏に視線をよこす。
汚い蛾が、その顔の周囲をぶんぶんと、嘲笑うように回りまくっている。まき散らされた鱗粉が鼻に入って、吐き気を催す。
青年の目に、明確な殺意が宿る。
潰してしまおうかコイツ、と思った矢先。
蛾が、急に上昇し始めた。蛍光灯の光に向け、一直線にのぼっていく。
今にもぶつかりそうな勢いだ。
青年は知らず、やめろ、と呟く。
蛾のほうは当たり前のように、知ったこっちゃなく速度を増していく。
ばちッ、という激突の音。――その瞬間。
耳をつんざく甲高い響きとともに、街灯が崩落した。
がらがらとあっという間に、瓦礫と砂粒、埃の塊となって、それは地面に倒れ伏す。
青年は呆然としたようすで、ただただそこに、抜け殻のように立ち尽くしていた。
最後に残った光の粒が微風に舞い、消えた。
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