明けない夜など、ない。

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 またね。  そう呟くちいさな声が、溶暗する。  光。        ◇  青年はマットレスのうえで目を覚ました。  浮遊するような奇妙な感覚がまだ、彼の身体に残っていた。  となりでは、おなかを出した後輩がすうすうと寝息を立てて眠っている。  そのダークブロンドの髪を、ゆっくりと青年はくしけずる。  周囲には、業務スーパーの安い肉や野菜、茸をたらふく焼いた夢の跡。  青年はぼうっと、その部屋を見渡していた。  食べ過ぎたから、変な夢を見たんだな――そうひとりごちて、後片付けに取り掛かる。ぐっすり眠っている後輩は、かなり深酒していたようで、あたりには果実酒の缶が散乱していた。きっと、しばらくは目を覚まさないだろう。  あちこちに置かれた空の缶を、ひとつひとつ、分別の袋にほうり込む。部屋には、ほかにひとのいた形跡はなかった。  けれど。  ――嗅ぎ慣れた異界の香りが、まだ、その空間からは消えることなく、強く存在感を放ちながら滞留していた。  アウトレットで買った、いままでずっと納戸にしまい込まれていたホットプレートにひっついた肉の切れ端を食みながら、いままで見ていた妙な夢について、しばらく、なんとはなしに考える。  その輪郭は徐々にうすれて、彼の頭のなかから消えていきつつあった。  特に、最後のシーン。  あの部分だけが、まるで削除されたそぐわない表現のように、けたたましい規制音に隠れて再生できない。  なんでだろう。  後輩を起こしてしまわないよう、ひそめた声で彼は言った。  しなびたピーマンを箸で器用につまみ、もぐ、と咀嚼する。あいかわらず寝ている後輩は、なぜだろうか、やけに切羽詰まった表情をしていた。  その閉じた瞳から、つう、と涙が流れて、煎餅布団にむかってゆっくりと、落ちていく。  青年は数秒、考え込んでいた。  後輩の寝ている布団にそろり、と戻り、次々にそこを伝う涙を、ぬぐう。  手がびしょびしょになってもなお、その動きは続けられた。  やがて、後輩が顔を少ししかめて、ゆるゆると瞼をあげる。  ……センパイ。きょとんとした顔をし、周囲を見わたす。  ああ。夢か。嗄れた声で静かに、そう、言葉を落とした。  こわい夢でも見たのか。  青年が尋ねる。  ハイ、すこし。  後輩は応える。  泣いてたぞ、と言いかけて、青年は思い直したように、口を結んだ。  さっきの行動が急に、酷く出しゃばったもののように思われた。  センパイは? 大丈夫?  硬い表情で、問われる。  そんなに哀しくはなかったよ。  青年は微笑し、そう返した。
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