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足をただ、前に進める。
周囲はあいかわらず、暗い。
一歩、進むごとに、青年を取り巻く闇が、後退して彼に道を開ける。その事実だけをたよりに、彼は茶色い野うさぎに似た髪を振り乱しながら、この何処とも知れない世界をさまよっていた。
つかれた、と。
そんな台詞がしぜんと、彼の口から出る。
膝が折れそうになる。
だん、と地面を、喝を入れるように踏みしめる足は、がくがくと震えていた。
すこし、休憩したい。
彼の頭のなかはいつしか、やすみたい、という気持ちで覆い尽くされていた。
アスファルトの道を、ゆるやかに頭を左右へとめぐらせながら、酒に酔ったようによろよろと、進む。
どこか、座れそうなところ。やや喘鳴の交ざる声で、つぶやいたそのときだった。
「やあ。ここ、あいてるよ」
ひとの声がした。
それは、この空間に青年が入って、はじめてのことだった。
◇
目を見張る。彼は声のしたほうに、のろり、と視線を向けた。
それは、しろい人影だった。
まるで子どもの落書きの棒人間のように、点のような両目と一本線の鼻、そして逆三角形の口がある。
「すわらないのかい? つかれているのだろう」
きょとんとした感じの声で、彼……?が言う。
声色の割に変わらない表情のなかで、口だけがやけに赤くぬらぬらと光っているのが、青年にはやたらに、不気味に思われた。
罠かもしれない、あぶないやつかも、……そう思いつつも、疲労困憊の足が意思に反して、その人影の座る青いベンチへと向かう。
となりに腰掛けると、彼はうれしそうにあは、と笑う。よろしくねえ、と朗らかな声で言った。
そろっと身を乗り出し、青年は訊ねる。
「あの。……ここの、ひとですか?」
「ここのひと、って何」
彼は愉快そうな笑い声を立て、右の手を口元に持っていった。
「ここのひと、なんてのはねぇ、ほんとうの意味では、いないんだよ。みんな、「何となく怖い」もの達が、ここには「何となく」で、連れてこられてる」
ぼくもそう……というか。彼は一瞬口ごもり、ちら、と上を向く。
「ぼく、元々、きみとおんなじだったんだよね。――迷い込んだの。ここに」
じっ、と、青年を見つめる。
自分のすがたとか、記憶とか、おとなとしてのしゃべり方とか。いろいろなものをここに、ぽろぽろ落っことして、いま、このざまさ。
きゅっ、と彼の口の両端が、ほんのすこしだけ細く変形する。青年はそれをしばらく見つめて、ようやく、それが今の彼なりの微笑みなのだ、と気が付いた。
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