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「――じゃけぇ、前にも言ったけど、店は継がんよ! うちは東京へ行って、アイドル目指すんよ! 別にそれくらい、ええじゃろ?」  隠岐柚那(おきゆな)はあまりにも腹が立ち、ダイニングテーブルを両手でバンッと叩き、立ち上がる。父・吉朗(よしろう)はそれには動じず、黙って食事をする。折角の楽しい夕食が台無しだ。今日は大好物の肉じゃがだというのに、父から高校卒業後の進路を聞かれる。今日で通算何回目だろうか。柚那は見向きもしない父を鋭い目で見た。 「柚那、落ち着きなさい。食事中でしょ。お父さんも別に今話すことじゃないでしょ? 柚那が怒るに決まってるじゃないの」 「安佐子(あさこ)さんは柚那が東京行ってもええんと思っとるんか? そんなとこ、行かせられんわ。柚那は卒業したら、ここで働くんじゃ。そう決まっとる」 「はぁ? なんで私の将来をお父さんが勝手に決めるん? あーっ、マジではがええわ」 「お父さんも柚那もここで喧嘩するの、やめて頂戴。喧嘩する人は外に出てやってください」 「お母さん、うちは別に喧嘩したい訳じゃないけぇ」  母はにこやかながら、怒った目をして、柚那たちを見る。いつもは朗らかで優しいが、怒らせると本当に怖い。柚那はあえて聞こえるように大きなため息をつき、力が抜けたようにストンと椅子に座り直す。  柚那の実家は、創業五十年以上も経つ老舗和菓子店だ。厳島神社の対岸に店を構え、お供物やお土産として、伝統の味を守り続け、もみじ饅頭と地元にまつわる菓子の製造販売をしている。柚那は小さい頃、店の手伝いをよくしていたし、「将来は最高のもみじ饅頭屋さんになるんじゃ」とか言ったかもしれないが、アレはアレ。今はテレビでキラキラ輝いているアイドルになりたいのだ。いわゆる、年頃の路線変更だ。 「でも、柚那。東京へ行っただけじゃアイドルにはなれないわよ。それに、どうやって生活していくの? バイトでもするの?」 「……それくらい分かっちょるよ。でさ、うちもうちなりに考えたんよ」  柚那は両親にニッコリと微笑むと、ドタバタと自室へ向かう。そして、リビングへ戻ると、とある学校のパンフレットを両親に突きつけた。そのパンフレットは東京にある二年制の製菓学校の入学パンフレットだ。 「柚那、貴方これどうしたの?」 「うちだって、ちゃんと考えとるんよ。もし、ここで働くなら、国家資格の製菓衛生師がいるでしょ? それに、食品衛生責任者。他にも沢山あるんよ。父さんが本気で私をここで働かせたいなら、まずは製菓のイロハを学んで、きちんとした資格があった方が良いじゃろ?」 「確かに資格があった方が自信つくし、柚那なりにちゃんと調べてたのね。だったら、父さんも考えを押し付けるだけじゃなくて、柚那の話もきちんと最後まで聞いたら? こうやって学校の資料を自分で請求しているんだから」  母は諭すように父へ声をかけた。父は母が見せてくるパンフレットを横目でチラリと見ると、目頭を押さえ、静かに箸を置いた。 「そんなに言うんじゃったら、お前が行きたい学校で菓子づくりのイロハを学んでこい。だが、アイドルは知らん。とにかく勉学のために上京するんなら、わしは何も言わん」 「お父さん……。はぁ、お母さんは心配よ。何かあったらじゃ遅いし、不安だわ」 「大丈夫じゃけぇ、安心して。ほいじゃ、製菓学校へ行くために上京するのは良いってことだよね! 後で願書書こっと」  柚那はそそくさと食事を済ませ、自室へ戻った。そして、あまりの嬉しさでパンフレットを抱き締めながら、ぴょんぴょんと跳ね、くるりと一回転した。柚那はしてやったりな不敵な笑みを浮かべ、机に向かい、すでに記入済みの願書の最終チェックをして、封筒に入れる。そして、翌日の学校帰り、郵便局へ向かい、願書を提出した。
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