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「春なの? 冬なの? ほんっとツッコミたくなるわぁ、アンタの名前」
「春にも降るじゃないですか、雪」
なごり雪ね、と黒い日傘の下で女が肯く。
実際の季節は、二人の会話と無関係の秋だった。
「あたし、好きじゃないけど。なんだか、諦め悪くて」
「姐さんに好かれなくていいです、別に」
男が住宅地にぽっかりと現れた緑地の柵に沿って歩きながら呟くと、すかさず女から切れ長の瞳を研ぎ澄ませた視線が突きつけられる。
「かわいくないわね。誰が手取り足取りここまで面倒見てやったと思ってるのよ」
「スミマセン。感謝してます」
満足そうに女は豊かな黒髪を波打たせると、黒いワンピースの裾をつまんでゆったりとベンチに腰かけた。
「なんにせよ。名前覚えてるのいいじゃない。あたしわかんないわぁ」
低い柵にもたれて向かい合った男は、黒いシャツの腕を組んだ。
「じゃあ。自分でつけたらいいじゃないですか。姐さんの、好きに」
「アレクサンドラ・雅・クレオパトラ・麗華・ザ・ゴージャスってカンジ? 美女のための美女を讃える美麗な名前よね」
「お似合いです。覚えきれないですけど」
「マジメくさった顔して、覚える気ないでしょアンタ。お似合いですー、ってまるっきり棒読みじゃないの。つまんない」
そっぽを向かれて溜息が出た。
「ムリして僕に付き合わなくても」
「一人でいたらどうせ家族のこと考えてうじうじするんでしょ、アンタ」
男が丸い目を瞬かせる。
「何もできない状況は、理解してますよ」
大丈夫です、と続けようとした言葉は黒いレースをまとった人差し指に遮られた。立ち上がって、男の目の前で左右に振る。
「上っ面だけなぞっても、全然腑に落ちてないでしょ。アンタ顔には出ないけど、目つきで物語ってるわよ全部。つまり、わかっちゃいないのよ。いい? 繰り返すけど、たまたまだからね。意味はないの。あるのは偶然、たまたま、それだけ」
くるりと背中を向けると、ひらひらと肩越しに手を泳がせた。
「何度でも、釘さしてあげる」
いつも、言いたい放題だな、自分だけ。苦笑いで黒い後ろ姿を見送る。冷たいようで、どこか気にかけてくれているようで。手厳しい口調もなんだか憎めなかった。
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