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初めて会ったときも。
〝ちょっと、そこの初心者。アンタよアンタ〟
呆然と街角に立ち尽くす男を見つけ声をかけてくれた。
〝その様子じゃ、初めてかしら〟
黒い日傘をさした、長い黒髪の女に美しく微笑みかけられてますます戸惑う。不意に見慣れない場所で意識が戻った男には、なぜ自分がここにいるのかわからない。少しずつ、働き始めた頭で懸命に記憶をたどると、とんでもない場面を思い出して背筋を冷やした。
〝僕、車に――〟
ブレーキもかけず迫る真っ赤な車体。思わず目を閉じた、その瞬間からいきなり、全然違う景色の街並みに、ケガの一つもなしにこうして立っていられるこの状況は、にわかに信じがたい。それに服装。
〝なぜ、真っ黒――普段、着ないのに〟
〝そうなるのよ、それ。好みに関わらず、全員全身黒ずくめなの〟
女はシンプルながら洒落たシルエットの黒のワンピースが気に入っている。
〝だから会えばわかる。ちなみにあたしは、病気〟
親し気な笑みを投げかける赤い唇に、男にも結論が見えてきた。
〝もしかして、僕は、もうこの世には〟
〝そういうことよね。あたしなんかもっと驚いたわよ。何もかも、変わってるんだもん。こんな高いビルやマンション建ってなかったし、道路も舗装されてなかったわ。あたしの病気も、今なら治るみたいだけど。あの頃は、治らない病だったの〟
そして、体がこの世に生きているのなら、顕在意識がひっかかってこっちに拾えない、と説明してくれた。そんな説明をされても、余計眉をひそめるしかないのだが、女も、そう聞いただけだという。
〝聞かされた以上のことは知らないわ〟
〝こっち、というのは〟
〝無意識よ。一言でいえばね。たまたま、この世の人間に意識されれば、あたしたちの形をとって存在する。見えるし話せるし、触れることもできるわ〟
〝あの。僕〟
思い出して青ざめる。
〝車に轢かれたとき、家族が一緒で、妻と子供たちは〟
肩をすくめて女は答えた。
〝あたしにはわからない。アンタより先にこの世から消えてるの〟
〝どうしたらわかるんですか〟
〝さぁ。そんなの知らないし、ムリなんじゃないの。たまたま、あれ関連で出てきただけなのよ、あたしたち〟
と、男の傍らに佇むポストを指さす。
〝いくらアンタが知りたくても、家族の安否を確かめるためでも何でもなく。ましてや自分の最期を受け入れられないとしても、変えられるわけじゃないから〟
〝じゃあ、もし。あんまり考えたくないけど、でももし、家族もこの世から消えてたら〟
諦めきれずに男は食い下がった。
〝会えますか〟
〝知らないわ〟
女は答えをためらわなかった。
〝知らないものはそうとしか言えない。可能性はゼロじゃない、かもしれない。でも限りなくゼロなんじゃないの? こっちで出くわす同類なんて、数少ないし。生前知ってる人間に再会したなんて聞いたこともない。気付いてると思うけど。ここ、アンタの覚えのない場所でしょ? 住んでたところに出てきたわけでもないのよ。あたしなんか年代も違う。アンタ今、自分について、氏名と住所と生年月日、事故の日付、そういうのどこまで言える?〟
そんなの、すぐ、と口を開いたのに。男が思い出せたのは、自分と家族の下の名前だけだった。
〝みんなそうなの。人間関係とか、生活の記憶はあるみたいだけど、具体的な情報、抜けちゃうのよ。こっちじゃ別に必要ないしね〟
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