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雅、麗華、あと、なんだっけ。
緑地の柵を離れて、歩道を五メートル進むと赤い郵便ポストが立っている。肘をのせて、ひととき努力はしてみたが、カタカナの部分は忘れてしまった。結局名前をどれに決めたのか、全部連ねるつもりか。まぁいいか、と今度聞くことにする。
姐さんで、いいと思うんだけど。知ってることも知らないことも、ごまかさずに率直に教えてくれる。思いやりの仕方が姉御肌の彼女にぴったりしている。
ムリだと突きつけられたところで、家族の消息を知りたい気持ちが消えるわけではないから。諦めが悪いと言われればそのとおりだ。街路樹の葉の色が黄色がかったせいか、夏に比べて少し陰りのある青空を見上げる。願わくば、この世のどこかで、幸せに笑っていてほしい。
「あ!」
甲高い声に、視線を下ろすと、自分を指さす五六人の子供たちに取り囲まれていた。
「くろい! ポストのおにいさん!」
「ほかくだ!」
「ほかく!」
「え」
両手両脚にわらわらとまとわりつかれ、あれよあれよと引きずられていく。
「お月さま、とって!」
「え」
男が子供たちにさらわれていった先は、病院の一室だった。窓際のベッドに横たわっていた若い女性が身を起こして目を丸くする。
「どうしたの」
子供たちは、口々に広い窓から空を指さすばかりだ。
「ここから、お月さまが見えるの」
「とって!」
「おねがい!」
「そしたらね、キヨカちゃん、しゅじゅつするって」
「やくそくしたの!」
男は一つ瞬きをして、二十歳前後のベッドの女性と目を合わせた。
「えっと。そうだ」
清香はベッドわきの棚の引き出しから、クッキーの袋を取り出した。
「おやつ、みんなで食べてきていいよ」
「わぁ」
「いいの」
「ありがとー」
はしゃぎながら子供たちが病室を飛び出す。ようやく静かになって、清香は男に頭を下げた。
「なんかすみません、私のせいで。近所の公民館で、お仕事で親御さんが遅くなるおうちの子たち、預かるの手伝ってて。それで仲良くなった子たちなんですけど」
よかったら、とパイプ椅子を勧められて男は腰かけた。
「私、腫瘍が見つかって。放っておけるものじゃないので早めに手術するよう言われてるんですけど。手術だから、万一ってあるじゃないですか。七割成功しますって言われても、三割は、って。考えたら、怖くて。親からも受けてほしいって言われてるし、就活もしなくちゃなのに、どうしようって、頭いっぱいで。あの子たちがお見舞いに来てくれるのは嬉しいんですけど、少し一人で考えたくて、そんな、口から出まかせ――夜は、ホントによく見えるんです、ここから、月が」
清香と一緒に、男も視線を窓に投げた。
『お空に浮かぶお月さま、とってきてくれたら、手術成功して、すぐ治るよ』
「そしたら、あの子たち。黒いポストにお願いしたら、何でも叶うんだよって。出してくるから、お月さまとってってお手紙書いて、って。それで、持ってってくれたんですけど」
清香がベッドの足元に苦笑を漏らす。ポストに入れるはずの封筒が放り出されていた。子供たちは、黒いお兄さんを捕獲できたので投函するのをすっかり忘れたらしい。男が水色の封筒を拾いあげる。二通あった。
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