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 玄関のカギをあけ、家の中へと入る。無言のまま、手洗い、着替えを済ませ出かける準備をする。  私はしばらく「ただいま」を口にしていない。独り言で何度か言ったことはあった。  ただそれだけ。  ハムスターのココロがいたころは話し相手になってくれてたから、ただいまはよく言った。でも、それっきり。  考えてみれば「行ってきます」もないな。どちらも独り言程度の言葉に過ぎない。  そういえば学校で、ゴミ捨てに行く当番があったときのこと。私が行こうとするとクラスの子が「行ってらっしゃい」と私に言った。  聞きなれないその言葉に何も答えることができず、やや頷くのが精一杯だった。  戻った私は「おかえり」と声をかけられ、これまた困ったことを覚えてる。「うん」と返し、気を悪くさせたのではないかと眠れない夜を過ごしたのだった。  言うことはあっても、言われない言葉、「おかえり」。  私の口から何回「おかえり」が生産されたことだろうか。ものごころついたころから、ずうっと今まで……。  そして「行ってきます」を言おうにも、すでに母はでかけたあと。  テーブルには朝ごはんのおにぎりと、お昼用のおにぎり。  これは二人をつなぐ手紙のような役目を果してくれていて、母が何かしたいと言うからねだったものだった。  手間をかけさせたくなくねだったものがおにぎりだった。  母親としての尊厳を保たせるのが上手くなった証拠でもある。  朝ごはんを二人で食べたかった。  可愛いお弁当箱を持たせてほしかった。  ヒトリは…寂しかった。  日付が変わるか変わらないか、そんな時間に帰ってくる母。 「ただいま」は言うものじゃなく聞くもの。 「おかえり」は聞くものじゃなく言うもの。  私は自分の欲求と引き換えに、我慢の種を植え続けてきた。  どんなにお腹が空いてても待ち続ける我慢。  どんなに寂しくとも、それを口にしない我慢。  熱を出しても大人しくしている我慢。  常につきまとう我慢、我慢、我慢。  まだ私が小さいときは、母の帰宅がただ待ち遠しくて、それを我慢とは考えていなかった。  決定付けたのは母のひとこと。 「必死になって働いて帰ってくる母が待てないのか!?」  お腹が減ってお腹が減って、どうしても我慢できなかった六歳のあの日。夕飯を口にしてしまったあのときをきっかけに、私の中の我慢の種が成長し、内部を埋め尽くしている。  お願い、誰かこの我慢を止めて。
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