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②
玄関のカギをあけ、家の中へと入る。無言のまま、手洗い、着替えを済ませ出かける準備をする。
私はしばらく「ただいま」を口にしていない。独り言で何度か言ったことはあった。
ただそれだけ。
ハムスターのココロがいたころは話し相手になってくれてたから、ただいまはよく言った。でも、それっきり。
考えてみれば「行ってきます」もないな。どちらも独り言程度の言葉に過ぎない。
そういえば学校で、ゴミ捨てに行く当番があったときのこと。私が行こうとするとクラスの子が「行ってらっしゃい」と私に言った。
聞きなれないその言葉に何も答えることができず、やや頷くのが精一杯だった。
戻った私は「おかえり」と声をかけられ、これまた困ったことを覚えてる。「うん」と返し、気を悪くさせたのではないかと眠れない夜を過ごしたのだった。
言うことはあっても、言われない言葉、「おかえり」。
私の口から何回「おかえり」が生産されたことだろうか。ものごころついたころから、ずうっと今まで……。
そして「行ってきます」を言おうにも、すでに母はでかけたあと。
テーブルには朝ごはんのおにぎりと、お昼用のおにぎり。
これは二人をつなぐ手紙のような役目を果してくれていて、母が何かしたいと言うからねだったものだった。
手間をかけさせたくなくねだったものがおにぎりだった。
母親としての尊厳を保たせるのが上手くなった証拠でもある。
朝ごはんを二人で食べたかった。
可愛いお弁当箱を持たせてほしかった。
ヒトリは…寂しかった。
日付が変わるか変わらないか、そんな時間に帰ってくる母。
「ただいま」は言うものじゃなく聞くもの。
「おかえり」は聞くものじゃなく言うもの。
私は自分の欲求と引き換えに、我慢の種を植え続けてきた。
どんなにお腹が空いてても待ち続ける我慢。
どんなに寂しくとも、それを口にしない我慢。
熱を出しても大人しくしている我慢。
常につきまとう我慢、我慢、我慢。
まだ私が小さいときは、母の帰宅がただ待ち遠しくて、それを我慢とは考えていなかった。
決定付けたのは母のひとこと。
「必死になって働いて帰ってくる母が待てないのか!?」
お腹が減ってお腹が減って、どうしても我慢できなかった六歳のあの日。夕飯を口にしてしまったあのときをきっかけに、私の中の我慢の種が成長し、内部を埋め尽くしている。
お願い、誰かこの我慢を止めて。
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