星に願いを 君に灯を

2/10
前へ
/10ページ
次へ
(こんなの絶対どうかしてる)  僕はそう思いながら出かけることにした。忘れるって決めたのに。とりあえず、その場所だけでも見ておこうと思ったのだ。  サコッシュのなかにスマホを入れ、帽子を被って外にでる。黒いキャップはつばが長くて、顔を隠すのにちょうどいい。マスクはやめておいた。誰かと会うわけじゃないし、その方が歩いているとき風があたって気持ちいい。  水路沿いに見たことのある花を見つけて、目をとめる。あれは彼岸花だ。赤か白かわからないけど、たぶん赤色だろう。白色の彼岸花はここではめずらしいから。  色の見分けがつかなくなったのは一年前。気づけば、僕の世界はモノクロになっていた。すべての景色は濃い黒か灰色か薄い白。心因性のもので、目の組織に異常はないらしい。急速に色をなくした世界で、僕の心も灰色に染まっていった。用事がなければ外に出ることもない。両親はそんな僕を好きにさせてくれた。放っておかれたと言ってもいいけれど、僕にとってはありがたいことだった。色の識別がつかないだけで、日常生活を送るのに支障はない。世のなかにはもっと大変な障害をもってる人もいる。そう分かっていても、胸の奥にやるせなさは残った。  こうなったきっかけは覚えていない。一番の痛手は、好きなことができなくなったことだ。僕は絵を描くのが好きだった。水彩で風景の絵をよく描いていた――らしい。その記憶もほとんど残っていないけど。世界がグレーに染まった後、僕は絵を描くのをやめ、同時に高校も行かなくなった。描きかけの作品は全部捨ててしまった。もう絵筆を握ることもない。僕は感情も現状も持てあました。残っているのはこの体だけ。灰色の世界がどんどん薄まるように、自分も透明になれたらよかったのに。こんなふうに外に出られるようになっただけ、まだマシなのだろう。一時は部屋から一歩も出られなかった。遠くから吹いてきた風が僕の髪を揺らす。風は好きだった。風は透明で、色を持たないから。枯れ葉のような秋のにおいがする。  グーグルマップをたよりに歩いていくと、目的の家を見つけた。液晶のなかの地図と照らしあわせる。ここで間違いない。僕はもう一度、風のにおいを深く吸いこんだ。手紙は手元にあった。スマホと一緒にサコッシュに入れてきたのだ。住所が合ってるか確認するため。それだけのために持ってきたつもりだった。これを投函するなら、中身を確認しなければいけない。仮に不幸の手紙だったら、何の責任もとれないから。  手紙をとりだして封を開けてみる。幸いなことに小さなシールがひとつ付いてるだけで、簡単に開封できた。一枚の白い便箋。何も書かれていない可能性もある。そう思ったけれど、そこには彼女の短い言葉があった。 『ちーちゃんへ。いきなりいなくなってごめんね。ちーちゃんはずっと大好きな、わたしの親友でした。仲良くしてくれて本当にありがとう』  僕は文面を確認すると便箋を封筒にしまい、もとのシールでとめた。そして表札の下にある郵便受けにそっとすべりこませた。  
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加