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305号室。チャイムを鳴らすのは、すごく緊張した。できればまわれ右をして、逃げかえりたいくらいだった。ほどなくして、ガチャンと重い扉がひらく。出てきたのは、五十代くらいの女の人。あかりのお母さんだった。
「あ、燈真くん?」
その人は僕を下の名前で呼んだ。僕のことを覚えてくれているのだ。それだけで、申し訳なさがあふれて立っていられなくなりそうだった。今さらどの面下げて。そう思われてしまうだろうか。あかりを守れなかったのに、と。
「元気になったの? 具合悪かったんでしょう?」
目の前の人が心からそう言っているのが伝わって、僕は二の句が継げなくなる。言わなきゃいけないことを、今ここで言わなければ。
「おばさん、すみませんでした。あかりを、あかりさんと一緒にいたのに、守れなくて」
耳鳴りがする。その場で倒れそうになりながら、自分を罰していたことに気づく。誰も責めてくれないから、そうするしかなかったんだと。
世界の色をなくして、記憶ごと自分の過失をなかったことにしようとした。そんなことをしても、あかりは戻ってこないのに。そう告げると、あかりの母親はみるみる目をうるませて、
「ばかねぇ」
と笑った。
その笑顔はハッとするほど生前のあかりによく似ていた。
どうやら僕の謝罪は必要なかったみたいだ。あかりの母親も最初から僕を責めていなかった。その事実に耐えきれなくて、僕は自分で自分の首を絞めることしかできなかった。ふたつめの用件を思いだす。ここであかりの家族に会えたら、訊こうと自分で決めたこと。
「あの、あかりさんのお墓を教えてもらえませんか? ひとりで手を合わせに行けたらと思ってるんです」
僕がそう訊くと、墓地の住所をおばさんは教えてくれた。僕は依然弱いままだ。過去を思いだせても、ふがいない自分が変わるわけじゃない。過去の後悔や痛みは、この先もずっと残るだろう。でも、そんなことをあかりは望んでいないって、夢のなかでわかったから。
お礼を言ったあと、思わずおばさんに訊いてみた。
「あの、手紙は読みましたか?」
「手紙?」
おばさんが怪訝な顔をする。ポストを間違えたんだろうか。いや、そんなはずはない。僕はサコッシュのなかから、手紙を取りだそうとする。あかりからもらった手紙。
それなのに、もう手紙はなくなっていた。僕は愕然としてサコッシュのなかを探したけれど、何回見ても同じだった。
「手紙は届いてないけど、少し前ちーちゃんも来てくれたの。あかりの親友の女の子。燈真くんと同じようにお墓参りしたいって。偶然かもしれないけど、すごいタイミングよね。そういえばゆかりも、あかりの夢を見たって言ってたなぁ。おばさんも会いたかったなぁ」
「僕も夢を見たんです。あかりの」
それだけは本当に間違いない。
僕が思いださないから、彼女は三日間も続けて現れてくれたのだ。
「あかり、なんて言ってた?」
手紙の文面を思いだす。彼女が伝えたかった言葉。
たくさん頭に浮かぶのに急に胸がつまって、言えたのはたったひと言だった。
「風になって、会いにいくって」
そう言うと、おばさんはもう一度目に涙を浮かべて、「そうなの」とつぶやいた。
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