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親の死②
父の納骨で帰省した時に
母は実家の近くの施設に
入所していたので会いに行った。
少し前から寝たきりの状態で
会話も出来ない状態だった。
延命治療はせずに
施設で看取りまでお願いを
していたので
「もしも」の日に備えて
準備をしようと思った。
母が施設に入所当初は
「家に帰りたい」
と毎日言っていたそうだ。
だから「もしも」の時は
母を実家に連れて帰って
あげたかった。
葬儀会社に自宅で
通夜から葬儀まで
行いたいと相談に行った。
自宅で事前に準備する事と
亡くなったと連絡があった時の
流れを確認した。
畳用の椅子を借りられる数も聞いた。
施設にも「もしも」の時は
自宅で葬儀をする事を伝え
当日の流れを確認した。
今年の春に母に面会に行くと
もう長くないとわかるほど
衰弱していた。
実家の掃除と準備をして
自宅に帰った。
その1週間後の深夜に
施設より母が亡くなったと
連絡があり葬儀会社に連絡をした。
翌朝実家に帰省する荷物の
準備や考え事でその晩は
一睡も寝れなかった。
早朝に菩提寺に連絡して
葬儀の依頼と母を連れて帰った後の
枕経の依頼をした。
実家の隣の方に連絡をして
お仏飯用のご飯を炊いて
欲しいとお願いもした。
空港での待ち時間の間に
母が好きな胡蝶蘭を
以前問い合わせたお店に
在庫があるだけお願いをした。
空港から実家に直行し
実家の掃除と襖を外して
母用の敷布団を敷いた。
葬儀会社から敷布団は念の為
畳を汚さない為の準備だと
言われていた。
母を迎えに施設に行き
施設の方のお見送りの中
母を実家に連れて帰った。
家族葬だが近所の方が
夕方にお参りに
来てくれる事になり
接待するお茶とお菓子の
用意をした。
その後は係の方が
湯灌(故人の体を洗い清めること)
をして下さっている間に
葬儀会社の担当者と
日程や内容の打ち合わせをした。
夕方にお参りに来られた方に
その場で渡せるように
返礼品を急遽手配した。
菩提寺の住職に枕経を
あげていただいた後
次の日の通夜から告別式までの
打ち合わせをした。
夕方に近所の方や
知り合いの方が沢山お参りに
来てくれて母の顔を見て
昔話をして下さった。
夜は家族で母の近くに
布団を敷いて寝た。
翌日の通夜から葬儀の際は
母の棺の周りを
供花と胡蝶蘭に囲まれて
母は旅立った。
父の会館での葬儀の時と
比べると自宅での葬儀は
はるかに大変だったが
ゆっくり母を囲んで
日常の中で過ごせる時間もあった。
母の介護は施設にお任せで
何もしなかった罪悪感があり
母の希望に添えて良かったと
思う。
今まで必ず来る父と母の「死」を
どう受け止めていいのかわからず
怖かった。
昨年の父の死後は気分が沈み
ふとしたときに父の記憶が蘇り
悲しみが湧き出て無気力になった。
辛い現実を乗り越えるには
時間が必要だった。
49日が過ぎる頃になると
感情を抑えずに泣く事で
悲しみが和らいでいった。
エブリスタの切ない話の作品で
随分泣いて心が少しずつ軽く
なっていった。
その作品に出会えて良かったと
今でも思う。
その作家さんには感謝している。
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