帰宅

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 幽霊が出る物件に住んでいるという、栗原の言葉に興味をそそられて、彼の1DKの部屋を訪れたのはつい昨日のことだった。 「最初に断っておくけど、拍子抜けするかもしれないぜ。そこだけはくれぐれも念頭に置いておいてな」  玄関を入るなり、栗原が妙に真面目腐った顔で釘を刺してきた。 「なんだ、随分固い事言うじゃないか。いきなりどうしたのさ」 「つまり、何て言うか、ここは”静かな”物件なんだよな。あまり、強烈な現象は起きないんだよね。そもそも、お前、霊感無いよね。まあ、俺もそうだけど」 「確かに霊感は無いな」 「そうだろ?で、霊感が無いとなると、多分、ここで経験することは何も……うるせえなあ!ただいま!」  玄関を入って、リビングのテーブルに座ろうとしていた栗原が突然、大きな声を出したので、こちらは驚いてしまった。見ると、不愉快そうに顔を顰めている。 「ああ、すまんな。気にしないでくれ」  呆気にとられたこちらの顔を見ながら、栗原が気まずそうな表情を浮かべる。 「気にするなと言われても、気になるじゃないか。どうしたんだよ」 「つまり、これが”出る”ってことさ」 「出る?」 「出るんだよ。霊が」 「霊?」  そう言われても、こちらの目には何も見えない。 「まあ、お前の目にも何も見えてないようだな。実は俺の目にも何も見えないんだ。ただ、声だけが聴こえる。毎日、俺が外出から帰ってくると、”おかえりなさい”と、一言、声がするんだ」 「声だけの幽霊ってことか?」 「まあ、そういうことになるかな。実際は姿かたちもあるのかもしれないが、俺の視る能力がゼロだから見えないだけかもしれん。とりあえず、声だけは聴こえるんだ。女の声だ」 「女の声か。艶っぽいハスキーボイスとか?」 「いや、もっと普通っていうか……若い感じだが、そんなにきゃぴきゃぴしてる感じでもないし……結局、普通としか言いようが無いな。とにかく、帰ってくると”おかえりなさい”と一言言われる。それに対しては、”ただいま”と返事をしなきゃならない。返事するまで”おかえりなさい”を何度も繰り返してきやがる。”ただいま”と一言言えば、それ以降は静かになる」 「なるほど。その法則みたいなのはどうやって発見したんだ?」 「単に経験だな。最初は俺もびっくりしたが、あんまり、”おかえりなさい”を繰り返してくるから、やけくそになって、”ただいま!”って怒鳴りつけてやったら、そのままその日は静かになった。それ以来、同じパターンを試してみたが、ずっとそうなんだから、それが多分正しいんだろう」 「なるほどね。つまり、事故物件を引き当てちまったってことか」 「それなんだが、ここはいわゆる事故物件じゃないんだ。例のサイトにも何にも出ていないし」 「じゃ、ここで死んだ人じゃないってことか。何だろう。霊道でも通ってるのかな」 「うーん、そうかなあ。でも、霊道だったら、もっと大変なことになってるんじゃないか?沢山の霊がうじゃうじゃここに現れるわけだろう?今の所そんなことにはなっていない。たった一人の声だけだ」 「じゃ、お前がどこかでくっつけてきたってことか。お前のことが気に入ったんじゃないか?お前、結構イケメンだし」 「勘弁してくれよ。まあ、存在を認めてもらいたいんだろうなあ。承認欲求ってやつかな」 「まあ、あまり邪険にしたら可哀想じゃないか。友達も知り合いもなく、ずっと寂しい思いをしてきたんだろう。まあ、一言ただいまって言ってあげれば終わるんだろう?いいじゃないかそのくらい」 「鬱陶しいんだよ。毎日毎日。そりゃ、お前は当事者じゃないからいいけどさ」 「たしかにそれはそうだな。当事者云々より、そもそも霊感が無いしな。現に今でも何にも聴こえないし、勿論なんの姿も見えない」 「まったく、うらやましいよ。大体、俺だってそもそも霊感なんてなかったんだぜ。最初に”おかえり”って言われた時に、ついうっかり、”ただいま”って返事しちまったんだよなあ。あれが失敗だった。幽霊に遭遇したら、相手の存在が聞こえたり見えたりすることを知られちゃいけないって、よく言われてるじゃん?要は自分のことを無視せずに、認めてくれる人間に寄ってきちまうわけだな。なんで、あの時にあの声だけが、すっと耳に入っちまったんだよな」 「つまり、憑かれるってそういうことなんじゃないか。お前のことがよっぽど気に入ったから、霊感の無いお前にも強くアピールできたみたいなことなんじゃないかな」 「そう言われても嬉しくねえよ」  とにもかくにも、その日はそれ以降何も起きなかった。若干拍子抜けしたような気分のまま翌日の昼過ぎ頃、栗原の部屋を出て、近くのファミレスで朝昼兼用の軽い食事をしたあと、俺は帰宅した。  その日の夕刻、栗原から電話があった。 「ちょっと、気になることがあってさ」 「何よ、気になることって?」 「お前と別れてから、そのまま帰宅したんだけどさ。今に至るまでもう6時間経ってるんだけど、未だに例の”おかえりなさい”が無いんだよ」 「ふーん……何でだろうな。まあ、離れてくれたんなら、良かったじゃん」 「まあな。こっちはそれでいいんだけどさ。お前のことが気になって来たんだ」 「なんで?そもそも俺は霊感も何も無いし、霊のことは見たことも聞いたことも無いぜ」 「確かに見えないし、聴こえないかもしれない。でもお前、昨日、霊に対して理解と同情を言葉にして表しただろう?それって、単に見えたり聴こえたりするよりも、実はもっと深い”承認”とも言えるんじゃないか?」 「それは、屁理屈だろう。こじつけもいいとこだな」  俺が半ば笑いながら答えたその時。 「よろしくね」  耳元で若い女の声がした。 [了]
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