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「──…」
ふ、と。少しの沈黙の後、彼が笑った。
私は額にゆるく風が当たるのを感じながら、続く言葉を待っている。
お願い、何言ってんのって言って。
そして2人でお母さんにビデオ通話をかけて、だから言ったじゃんって怒りたい。嫌な汗かいたって、粟立った肌を見せて笑いたい。
「し、紫乃くん……」
縋る思いで彼を見る。
その名が彼のものでありますようにと願いながら、ゆっくりと見上げた先にいつも通りの穏やかな表情がある。
三日月みたいに薄くなった目が、ぴくりと動いた。黒々と飾られたふたつの瞳はぽっかり穴が空いたよう。
頬に刻まれるのは自嘲に満ちた寂しい笑みで、私は、呼吸が止まる。
「あぁ…なんだ、バレちゃった?」
その人は軽く言ってのけた。
あまりにも軽いから、まるで悪ノリしているようにも見えてしまったほどだ。
すぅ、と血の気が引いていくのを感じて、本能的に逃げなければと察知した体がベッドから抜け出そうと起き上がる。が、遅かった。
「どこに行くの」
がっちり掴まれた手首が痛いくらい捻り上げられ「ひ」と漏れた声は頼りなく消えていく。
「すずが好きなのは、"紫乃くん"じゃなくて俺でしょ?」
再びベッドに押し戻された体の上に馬乗りになったその人が圧倒的な力で押さえつける。私はなす術なく捕まった。
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