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 透馬は自室の前に立つと「やべえ……!」と呟いた。  「黒川、悪いんだけど! 一分待ってここで待っててくんね?」 「ええ!? う、うん……」  彼は蝶子を部屋の前に立たせると、急いでデスクの下に綺麗に並べてある写真ファイルをかき集めた。  ファイルの背表紙には番号が振ってあるが、透馬は順番をぐちゃぐちゃにしてカラーボックスに詰めるとウォークインクローゼットの一番高い棚に敷き詰めた。  それから透馬が急いで隠したのは表紙の色褪せたスクラップブックだ。こちらも背表紙に番号とアルファベットが振ってあり、規則性を持って順番に並んでいたものを鷲掴みにすると、ボックスに放り投げた。  蝶子がこうしている間にも痺れを切らして帰ってしまうかもしれない、と言う焦りから、透馬は確認もそこそこに部屋のドアを上げた。 「わ、悪い……。めっちゃ汚くってさ……」  毎日寝に帰るだけの部屋が汚くなるはずがないのだが、透馬は苦笑いをして誤魔化した。初めての言動に、彼の顔は不自然に強張っている。 「ふーん」    蝶子はそんな彼の顔をじっとりとした眼差しで見つめると、「ありがとう」と言ったものだから、透馬はカっと顔を火照らせた。 「お邪魔します」 「ごめんな、狭くって……。すぐ姉貴の部屋に――」  その時透馬の目に、しわくちゃになった紙が目に飛び込んできた。一度ぐしゃりと丸めて潰された紙を綺麗に引き延ばしたような様子だった。  彼がヤバい、と思ったのと同時にだった。  蝶子がそれに気づき、「あ!」と声を上げる。   「この前の模試の結果だ! 何でぐちゃぐちゃ?」 「ま、待て、それは……ッ」 <東京大学理科一類 C>と<東京大学理科二類 C>と言う文字が並ぶそれを、彼は彼女の手伸ばした手から掠め取るように奪った。 「え、なあに? 凄く怪しい」  彼女が悪戯っぽい笑みを浮かべて見つめる。「あ、分かった」と彼女が声を上げたときは、透馬はひっくり返るほど心底肝が冷えた。 「あはは、山口くん()悪かったんでしょう」 「は、はあ!? ち、違うから!!」  彼は真っ赤になって声を上げた。焦燥こそしていたものの、内心はホッとしていた。 「ふーん。そんなに隠さなくてもいいのに」  彼女は少し拗ねた様子だったが、新しい環境に好奇心が抑えられなかった様子できょろきょろと周りを見回した。 「すごい。これが男の子の部屋なのねえ!」 「い、いいからとりあえず座れよ……。恥ずかしいだろ」 「えーいいじゃん。初めてなんだもの」 「沢海の部屋だって入ったことあるだろう」  彼女は透馬の言葉に露骨に顔を曇らせると、「そりゃあそうだけどさ」と言った。やはりお互いの部屋を自由に行き来しているのだろうか? と、その言葉に透馬の胸の奥がほんの少しざわついた。  蝶子を座らせると、自分は床に座った。  はぁ、とため息をつきそうになるのを彼は抑えると、彼女の横顔を、こちらに気をとられていないのをいいことにうっとりとした眼差しで見つめた。  あの時、間違った選択をしなくてよかった、と透馬は強く思った。 ※  あの日――初めて蝶子の前で自慰をさせられた日に呼び出されたのは、龍弥のマンションからほど近くにある廃工場だった。  屋外に呼びつけられた瞬間、ああ、今日はリンチだな、とすぐに分かる。 「待ってたぜぇー、山口ぃ」  ねっとりとした喋り方で近づいてきたのはオールバックの黒髪、鼻から左目の下にかけてある抉れたような大きな傷があるのが特徴的な男だった。  たかちん、と呼ばれているこの男は龍弥の舎弟のようだったが、最も強い発言権を有しており、龍弥ともほぼ対等に話していた。 「おい、ちゃんとつけて来たか? ()()()()のプレゼント」   「うぅ……っ、てめえ……」  透馬はねちっこく睾丸を触られ、腰を浮かす。  脱げよ、と言われ、大人しく真っ裸になると、十人ほどの男らが全員大笑いした。それもそのはず、透馬の尿道にはプラグが深々と刺さっており、肛門にはペニスの張型が詰められていた。正確にはペニパンである。 「ベットべトじゃねえか。そんなに良かったか?」 「こんなことして楽しいかよ、ヘンタイ共が」  透馬はキッと睨んだが、スカーフェイスの男は大声を上げて笑うだけだった。 「そんなみっとももねえ姿で睨まれても俺は困っちゃうよ」 「……いいから、ヤるならさっさと犯すなり撮るなりしろよ」  彼がそう言うと、再び彼らは笑った。  「何でこんなに強気なんだ?」「こんな姿でここにあらわれるくらいなんだから相当の変態なんだろう」と皆は口々に彼のことを好き放題に言った。  彼は奥歯を噛み締めると込み上げる怒りと羞恥をぐっと堪えた。 「犯されたいとこごめーん。俺はこんな厳つい男に勃起するなんて無理無理。今日はお前はサンドバッグな?」  そう言って、高千穂は山口の首に腕を回した。二人の男に両腕をそれぞれ固定され、その瞬間、予告のない痛みに目を剝いた。「……ンぐッ!!」と声が洩れる。みぞおちに拳が入ったのだ。  痛みの余り、思わず膝を付く。ガヤガヤとギャラリーが、二人を囲んだ。 「たかちんのパンチでケツからなんか出たぞ」 「あはは、またいれてやんねえと」 「や、やめろ……ッ! ん、ぅッ!!」  再び張型を詰められ、透馬は呻く。 「出さねえようにしっかりガバマン締めとけよ。出したら今度は直腸に当てっからな」 「……く、くそが」  苦痛と羞恥心で震える透馬を蹴りつけると、彼は「立て」と命令した。  しかし、よろよろと立ち上がろうとする透馬を周りの男たちが、まるでボールのように蹴り上げた。そのせいで地に這いつくばるようにして四つん這いになるも、立ち上がれない。 「もたもたすんなや! 立て!! ブッコロされてぇのか!! あぁ!?」  巻き舌で怒鳴られると、彼はもう一度横腹を蹴りつけられ、もんどりを打った。殴られ、蹴られるために力を振り絞ってまで立つのはどう考えても理不尽ではあるが、もう一度歯を食いしばり、足に力を籠める。しかし、込める力が足りず、何度か足をコンクリに滑らせる。  床に鼻腔から、口腔から、ぽたぽたと血が滴った。 「使えねーなあ。今時の学生ってのは、辛抱も度胸もねーのかよ。あのガキ共も、人から! 借りたッ! 金返さねーって……まじでゴミ共がッ!!」  横腹、腿、腕……、蹲ったままで無抵抗の透馬に、彼は苛立ちを呪詛のように口にしながら蹴りつけた。  その様子を見た部下たちは喜びの声を上げた。  歯を食いしばり、透馬は最後の一発を堪える。ちょうどその瞬間舌が切れ、ドロリと吐血した。 「きったねえ! せっかく顔外してんのに、何血反吐はいてんだよ。ヤロウの吐血とか誰得だよ」  そう言うと、顔をぐりぐりと踏みつけられる。 「たかちん、そろそろ死んじゃうんじゃねぇの?」 「……それもそうだな。じゃあゲームでもすっか」  誰かがぼそりと言った言葉に、高千穂は答えた。 「スタンガンは安全性の面から、いくら当てても死なないようになってるらしいぜ」  殺さず、ちょうど良く痛めつけられる方法を考えあぐねていた高千穂は、別の誰かが言った名案に「いいな、それ」と即答した。  その時だった。冷ややかに割って入って来た男の声で、透馬は凍り付いた。 「……おもしれぇことやってんな、飛香(あすか)。俺も混ぜろ」  彼のことをそう呼ぶのは、あの男だけだ。 「おお、龍弥」 「よう。猛犬のしつけはちゃんとできてるか?」  龍弥は革靴で、まだプラグの刺さっている透馬の陰茎を踏みつけた。萎びたソレを見て「全然じゃねえか」と言って笑う。   「いいんだよ、俺ぁソイツのマンコ躾けるのは諦めた。今からゲームをやるんだ。ルールは……、おっと。最高に熱いやつ思いついた」 「なんだ」 「十五分膝つかずにスタンガンに堪えれたら、奴隷の勝ち。奴隷からの解放だ」  奴隷解放、の言葉に体が透馬の反応する。 「どーよ、龍弥」  二人が頭上で話しているのを聞きながら、思わず呼吸が荒くなった。 「だが……、もし負けたら――」 「蝶子の前でマスかきはどうだ。あぁ、でもお前にとってはこれもご褒美になるか?」  高千穂を遮って、龍弥が言った。 「じょ……冗談だろ。黒川を……」 「あ? ドレイ、何か言ったか?」 「ふ、ふざけんなッ! く、黒川を……ぐ……っ」  透馬は重い体を起こすと龍弥を睨みつけた。 「……黒川を、こ、こんなことに……、巻き込むなって……言ってんだ」  彼が言い終わった瞬間、しんと周りが静まり返った。その間は透馬の荒い吐息音だけが響いたかと思えば、次の瞬間ギャラリーがどっと笑った。 「はッ? ハハハ!! 龍弥? マジでコイツヤベエな。自分が今どの立場か分かってんのか? 言われてんぞお?」 「ハッ。これは分からせねえとな」  前髪をかきあげながら、龍弥はさもおかしそうに嘲笑した。 「コイツは自分を白馬の王子様かなんかと、勘違いしてるみてぇだからな」  そう言いながら、彼は床につけた透馬の大きな拳をぐりぐりと踏みつけた。 「もう一度聞く。自分の立場はわかっているよなあ? 人の女に好意を抱いた挙句、盗撮し、付け回していた。持ち物を盗んだ後、勝手にオカズにしやがって」 「おお。そりゃあ大罪人だ」  高千穂がおちょくった。 「それは……悪かった」 「悪かった、か」  透馬の謝罪を龍弥は冷たく笑い捨てる。 「アイツはな、一回()()()()()類のモンが出回りかけたことがある。お前の本性を知れば、アイツだってお前のことに対して容赦しねえぞ?」  血の滴る前髪を引っ掴み、腫れ上がった透馬の顔を無理矢理あげさせると、まっすぐに彼の瞳を見据えた。 「……分かってる。俺は、自分のやった罪を黒川に許してもらおうなんて思っちゃいねえよ。……けど、巻き込むのがいやなんだ」   「おもしれぇ。……クククッ! やっぱお前はおもしれぇ。そんなに言うなら、蝶子への愛を見せてもらおうじゃねーの」  龍弥はさもおかしそうに笑いながら、透馬の握りしめていた拳が緩むほど踏みつけた。声に出さないと誓った呻き声は、あまりの痛みに食いしばった唇から洩れだす。 「まず奴隷に服は要らないよな?」  そして服をカッターでズタズタにされると、両脇の男に無理矢理立ち上がらされた。脇腹を抑え、痛みに耐えながら直立する。  バチバチ、という気味の悪い音があちこちで鳴り響いた。  一発目はいきなり、乳首だった。「んんッ!」と吐息が洩れ、前に一歩大きく踏み出した。「センス良すぎだろ」と誰かがおちょくると、龍弥と高千穂がゲラゲラと笑った。  それから内腿、腹、首……、と猛攻が続いた。皮の薄いところは何度かよろめいたが、他の部位は当てられる瞬間に力を込めれば、何とかやり過ごせる程度の痛みだった。  ――いける……。これぐらいなら……。  ――あと、もう少し……だ。あともう少しで……。  そして、試合終了のアラームが鳴った。安堵したその瞬間だった。  朦朧とする意識の中、透馬は自分の周りがざわついていることに気付く。「ええ、それ使うのか?」「はは! ちんこ捥げんじゃねえ」「秘密兵器だ」と周りが騒いだ。  人混みから見えたスタンガンを見て、透馬は顔をひきつらせた。 「いい面構えだな、山口。使ったことでもあるのか?」  ニヤニヤと笑う龍弥の手には五十センチほどの警棒のようなものが握られていた。  バチィーンッ!!  一段と長く、スタンガンの音が鳴り響いた。 「ぐ、ぐあああああッ!!」    脇腹にあてられた瞬間、透馬の全身をまるで雷が脳天から地面に突き抜けたような痛みが、駆け巡った。 「へえ、まだ立つのか? 蝶子のためか? ククク」   「がはァーッ!! ……ああああああッ! く、く、……クソがァッ!!」  だが、次の瞬間だった。 「ぐああああああッ!!」  気付いたら、地面に転がり、透馬はのた打ち回っていた。  股間に手を当てて叫ぶ自分の声を聞いてようやく、陰茎に当てられたのだと気付いたのだった。 「はい、終了。お疲れさまでした、山口くん」 「はぁ、はぁ。クソッタレ……! 殺してやる! ……フーッ、フーッ」  苦悶しながら悪態を吐く透馬を、せせら笑ったのだった。 「ち、力つええ!!」 「おい、縛っとけよお前」 「いや縛ってるって!」    透馬は最後に力を振り絞り、両脇の男を振り払って龍弥に一矢報おうとした。両手は後ろで固定されているため、喉元に噛みつこうとしたのだ。しかし、もう一度スタンバトンを当てられ、首に何かを打たれる。 「五月蠅い野良犬だな」    その途端に力が入らなくなり、透馬は崩れ落ちるように倒れた。  高千穂と龍弥が去ると、それからは残った男たちに代わる代わる犯された。口の中に吐きそうになる臭いがする男根を咥えさせられても、薬のせいで噛み付くことすらできなかった。  腹も口も、精子まみれになった透馬はまるで貨物のように床に転がされた。 「きったねえ」  誰かが龍弥を見ていかにも吐きそうだ、と言った声音でいう。 「可哀想に、今頃後悔しても遅いさ」  ――後悔なんて、してねえ。   「ところでなんでコイツ、ここまでやんの? 蝶子って龍弥の女だよな?」  ――だったら、なんだ。 「こうなるって分かってんのに馬鹿だねえ」  ――うるせえ……。黙れよ……。  「さっさとガラ躱せばいいのにな。何考えてんだ? 不気味な奴。本当にドМだったりして」  ――俺が……俺が、黒川を支えてやんねえと……いけねえだろうが。俺が逃げたら、アイツはどうなるんだよ……。支えにしてるって、楽しみにしてるって……。そんなん言われて裏切れねえよ……。 ※ 「これ、使ってくれ」  透馬は彼女を座らせるとすぐに、氷を渡した。  それから自分は大きな体を窄めるようにしておずおずと少し距離を置く。そして、ベッドの下に座った。 「ありがとう」  腫れた顔でにっこりと微笑むと、彼女はぽつりぽつりと今の境遇を語り始めた。   「龍弥のせいで、もう、人生めちゃくちゃなの……。でも私の価値って、もうそれしかなくて。実家にも居場所とかなくて、相談できる友達とかもいなくて……」  蝶子はそこで言葉を止めると、「いや、……ただ一人、不思議な友達がいたの」と言った。 「文通相手なんだけどね。ふふ! 今時珍しいでしょ? 休みがちの私に板書をくれてね。それがきっかけで始まったの。  その人ね、きれいな字で、洗練された言葉をくれるのよ。私は学校に来ると、いつもルーズリーフいっぱいに書いたやり取りして三年目、顔も見たことないし名前すら知らない。だからこそかな? 本音が言えるの。正体不明のその子は、必ず返事をくれるの。それなのに、山口くんと仲良くし始めてから、返事のスパンが長くなってね。何でって聞いたら、<自分は必要ないんじゃないか>って言われた」   「黒川は、何でその話を俺に――」  そこまで聞くと、透馬は頭を抱えた。  蝶子は彼の顔を覗き込んだ。 「ねえ、名無しさんの正体って、山口くんだよね?」  彼女はそう言った。
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