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 山口透馬は帰宅ラッシュの人混みを分け入りながら街路を進む。足を止めた高級住宅街の一角で、透馬はふう、と大きく息を吐いた。  透馬がここに来るのは、今晩で何度目になるだろうか。  珍しいことに、今晩は龍弥がいた。彼はまるで王様のように高級ソファーに踏ん反り返って透馬を見下ろす。  彼の回りには自分よりも人相と目つきの悪い男たち四、五人が大麻(マリファナ)を吸っていて、その葉巻で、外から見えない体の個所を幾度となく根性焼きされた。 「顔はあんまにしとけよ」  龍弥は手荒く透馬を扱う男たちにピシャリと言い放った。  無抵抗の彼を何度も土足で蹴りつけながら、男たちは彼の衣服を乱雑に脱ぎ取っていく。  透馬は裸のまま両膝を付くと、取り巻きの内の誰かが「オナニー写真撮りてえな」と言い始める。 「お前、百戦錬磨のトーマだろ? 後輩が世話になったって聞いたぜ」 「記憶にない」  透馬が答えると、男はだろうな、と言って笑った。 「お前にとっちゃ、掃った塵の内の一つに過ぎねえもんな。でもさ、俺は後輩想いでさ。アイツ、お前の無様な姿を見せたらすっげー喜ぶんと思うんだわ」    こういった報復の仕方は透馬にとって何も一度や二度ではなかった。  龍弥の方をチラリと見ると、百戦錬磨と言われた透馬ですらゾクリと鳥肌が立った。彼の表情があまりにも冷ややかだったからだ。  言われた通り、透馬は大人しく陰茎を触り始めた。  ポロン、と誰かがスマホで動画を取り始めた音がし、ビクリと体を戦慄かせる。すると、別の声で怒号が飛んだ。 「手ぇ、止めてんじゃねえぞごらァ!」  そう言って、彼は透馬の一糸纏わぬ背中を土足で踏みつける。そのあとも、執拗に体重をかけ続け、透馬は()()()に背中を折る。とうとう苦しい吐息が漏れ、何とか半立ちにした陰茎が、痛みで萎えてしまった。 「あぁ? 不能か、てめぇは。萎えさせてんじゃねーぞ。しっかり扱け。イクところまで見せねぇと帰らせねーからな」  その言葉に、透馬は焦った。この日は黒川とビデオ通話で数学の問題を教える約束があったからだ。 「おい、ケツの方の手も動かせよ。ケツ使えねぇと売りモンになんねーよ」  誰かが言った。  ローションや潤滑油のようなものは与えられず、唾液で濡らした左の人差し指で、秘孔を突く。だが、快感はなかなかやってこなかった。焦りの余り、透馬の額とこめかみにじんわりと汗がにじんだ。一年近く度々この行為をさせられているが、一人でいけたことはなかったからだ。 『沢海會って知ってる? 龍弥のお父さんはそこの代表なの。お父さんって言うか養父、なんだけどね。それで今、若頭補佐の中で一番、若頭(カシラ)に近いって言われてるのがアイツ』 『まじかよ……。あいつは一体何歳なんだよ。若く見えるけど……』 『今年、三十かな』 『……へぇ、やっぱりか』 『そうだね。末端組織ならともかく、本家の若頭補佐としては異例の若さだよ。親の七光りだとか、若すぎるとか、色々言われてるらしい。だから、本当は私が支えてあげないといけないんだけど……』  彼女と昼休みを過ごすようになって、一週間が経とうとしていた。昼休みになると、彼女はちょこちょこと小動物のように透馬の席にやってくる。そして、屋上に出ると、必ず顔を覗き込むのだ。 『昨日は大丈夫だった?』  そう言って、まじまじと見つめてくる。くりくりとした二重の目元が、一瞬の変化も見逃さないというように彼を見上げる。 『あぁ、大丈夫だよ』  透馬はどっと押し寄せてくる気恥ずかしさを押し隠し、何とか返事を絞り出す。いつになってもこの瞬間は胸の高鳴りが消えなくて、彼女を目と鼻の先に感じながら荒くなる呼吸音や心臓の音がバレてしまうのではないかとヒヤヒヤする。  白くてむっちりとした頬、艶のいい薄い唇、くっきりとした睫毛に縁どられた三白眼……。透馬は男根を擦りながら、彼女を丁寧に思い出していく。  徐々に、陰茎が再び熱を帯びていくのが分かる。「ふっ、ふっ……」と何とも情けない息遣いを繰り返しながらぎゅっと竿を擦る手に力を籠める。  再び力を増して自立した陰茎にスマホを近づけられると、ギャハハ、と取り巻きの誰かが笑った。  外部からの不快音を締め出すように透馬は目を固く瞑る。そして、黒川蝶子を頭上に浮かび上がらせた。 『進路決めた?』 『いや、俺は……。……ところで、黒川はどこの指定校狙ってるんだ?』 『私はねえ、指定校推薦でカン大のシス理行こうと思ってるの』 『関西? 関東に残るのかと思ってた』 『んー。そういう時期もあったね。でも関西はアイツらのシマじゃないから気に入ってるの……。アイツにはトー大の理一って嘘ついてるけどねぇ』 『トー大は、もう行きたくねぇのか?』 『うん……。あ、てか、山口くんは指定校推薦使わないの? そしたら早く受験終わるし、たくさん遊べるよ? あーあ、山口くんと一緒の大学だったら絶対楽しいのにな……。なんてね』  恥ずかしいとき、蝶子は饒舌になることを知った。たった一週間で、彼女の色んな表情を見た。小動物のように怯える表情も、天真爛漫に笑う笑顔も、必死に問題を解いている真剣な眼差しも……時折見せる意志の強そうな目も。  一番透馬が好きな、はにかむ彼女を脳裏に映し出し、下品な男たちの野次を閉め出した。 「は……っ、ぅ……ッ。はあはあ……んぐッ」 「喘ぎ声、我慢できなくなって来てんじゃん」  ――……るせえ。    そして、透馬はあの夜、指を折られた夜を思い出した。  あの日、まるで透馬に見せつけるかのように龍弥は蝶子を抱き寄せ、激しくキスをした。その時の蝶子の表情と、吐息、二人の唾液が交じり合う音を思い出し、何度達しただろうか。  龍弥を自分に置き換え、何度も頭の中で蝶子の口内を弄った。  やがてジンジンと熱を帯びた体の中心が、絶頂期を迎える。それに合わせて、自ずと全身に力が籠り、鼻呼吸の音が荒くなる。 「んんぐッ! い、イキ、ます……!!」    やがて、ビクッと体を引きつらせ、透馬は下半身から吐き出した。  ドッと周りが湧き、同時に酷い罪悪感に見舞われた。 「おっし、乗った! おもれーわ、コイツ。いくら出しゃーいい?」  一連の流れを見ていた男たちの一人が、立ち上がった。上着の内ポケットから何かを出すと、葉巻を口に咥え、何かを書き始めた。 「あとで明細と規約作って送る」  龍弥の取り巻きの一人が葉巻の火を、まるで灰皿のように透馬の背中で消した。ジュッと肉の灼ける音と匂いがし、痛みが走る。透馬はぐっと呻き声を飲み込んだ。  中学時代、家族から見捨てられるほど喧嘩で荒れ回っていた。そのためか、透馬は、痛みにやたら強かった。根性焼き程度なら、声を出さずに堪えることが出来る。  ――大丈夫だ、こんくらい……。大した事、ねえ……。  透馬は屈辱と恥辱を受けるたび、何度もこう自分に言い聞かせて奮い立たせてきた。  吐精物を見つめながら動けないでいる透馬に、龍弥が近づいてきた。 「お前、まだ蝶子の回りうろついてんのか?」  彼は透馬の耳元で静かにそう言った。 「この前の一件で、俺はてっきり高校も辞めてこの町から去ると思ってたぜ。案外野太い神経してんのな。……ははっ、じゃねえとそもそも好きな女の前で自慰なんてしねえか」  透馬はその言葉にぎゅっと拳を握る。以前の彼なら殴りかかっていたに違いない。しかし、大きく息を吸うと龍弥に頭を下げた。  「もう、許してくれ……。十分辱めたはずだ。俺は――」    その瞬間、龍弥は透馬の髪を鷲掴みにして胴体に膝蹴りを食らわした。ドッという鈍い音と共に、「ざけんじゃねえ!」と大きな声が飛んでくる。 「許すだと? 勘違いしてんじゃねえ。お前のこと何か俺にとっちゃあ暇つぶしだ。嫌なら俺たちの前に二度と姿を現すな。簡単なことだろう」    痛みのあまり脂汗と冷や汗が止まらない透馬に向かって、龍弥は耳打ちをした。暇つぶし、というにはあまりに荒々しく、怒りを噛み殺すような言い草だった。  透馬は満身創痍の体を引き摺りながら家に帰ると、真っすぐ自室に向かった。  ギリギリ間に合った、と胸を撫で下ろしたのも束の間、部屋をノックされる。開けると、母親が腕を組んで睨み付けている。 「この前喧嘩して帰って来たばっかで、今日はこんな遅くまで……。アンタまさか――」 「アンタが思っているようなことは、何もやってない!!」 「分かってるんでしょうね? この家に戻って来たんなら、家族に迷惑を掛けないようにルールは守ってもらいますから。それが高校に通わせてあげる条件だったでしょ!?」 「分かってる!」  透馬は叩きつけるように返事をすると、勢いよく扉を閉める。  彼は扉の前に立つと、拳を握りしめ、ぎゅっと唇を噛んだ。  非行に走ったのも、施設に預けられたもの、今の高校に行きたくて勉強を始めたのも、学費を出してもらいたくて家に戻って来たのも……、そして奴隷になったのも全部自分の選択だった。どの選択肢をとっても、透馬に後悔はない。きっと、その内何か一つでも欠けていれば、黒川蝶子とこうして関わることもできなかったからだ。  蝶子だけが、生きる希望であり、透馬を形成しているすべてだった。  『この学校で、私なんかのこと見てる人がいてくれたことに感謝してる……』    蝶子はそう言ったが、透馬にはかつて自分を見てくれる人が一人も居なかった。  透馬は深呼吸すると蝶子の電話を繋げた。  一言目は何がいいだろうか。そして、そのあと何を話そう。どんな表情を作ろう。 「はーい」  数コールで画面が切り替わり、「黒川?」と自然に彼女を呼ぶ声が出て安堵する。  一瞬そこにスッピンの黒川が写り込み、「あ、ヤバ!」と彼女は叫んだ。そして、慌てて加工フィルターを掛ける。 「いっ……今の見えた!?」 「何が? ……くふっ」  ほぼ反射的に、惚(とぼ)けたふりをしてみたが、耐えきれずに頬が緩み、吹き出した。  いつもキレイに巻いている髪の毛がペタンコで、女の子らしいパステルカラーのパジャマが覗く。 「ああ……無加工のスッピン見られたかと思って焦った。……って笑ってるし! もう!!』  そう言いながら、彼女は自分の顔を確認しながら色んなフィルターに切り替えていく。どれがいいかなぁ、とブツブツ何やら呟いている。  仕切りに前髪を気にする彼女の様子が愛らしく、透馬は思わず見入ってしまう。女の扱いに慣れていれば、あるいは普通の人だったら、スッピンも可愛いよ、とかどのフィルターでも似合うよ、とか言えたのだろうか。  龍弥だったら何と言ったのだろうか。  ほとんど女性と話したことのない透馬は、教科書とノートを出すふりをして、気を紛らわすことしかできなかった。  蝶子が画面越しに彼を覗き込む。 「大丈夫ー?」  「ああ、ごめんな遅くなって」 「へーきへーき! 私の方こそ、忙しい中ありがとうね」    『この学校で、私なんかのこと見てる人がいてくれたことに感謝してる……』    透馬には()()()自分を見てくれる人が一人も居なかった。    ――でも、今は違う。  画面の向こうの彼女の視線は自分に向けられている。  先ほど受けた凌辱の熱の名残だろうか。下半身が再びジンジンと疼きだした。 「――そうそう、さっき解いてみて“(2)”までは解けたんだよね。その次が、何でこうなるのかわかんなくて」 「ああ、これな。コツがあってさ、こういう問題はこれ先に“x”求めるより“y”を求めた方が分かりやすいんだ」  透馬は何食わぬ顔で解説を始めた。だが、その死角では意志に反して硬度を増す下半身を、左手で必死に押さえつける羽目になった。  ――この時間のためだったら、何でもできる……。もう、以前とは違う。  透馬は買い取った男から連絡が来た。  言われたマンションの玄関を開けると、とたん、透馬は眩暈を覚えた。 「わーお! 思ったより、いい男じゃん? マサヤから乗り換えちゃおっかな」 「はあ? そんなことになったら、オレこの奴隷のこと去勢しちゃうかもよ?」  この間、透馬を()()()男と共に出迎えたのは、いかにも夜の仕事上がりというようないでたちの女だった。真っ赤なグロスを塗った唇が、テラテラと不気味に光った。 「……そんな、俺――」  やりたくない、そう言うとしたが、否応なしに腕を絡め取られる。 「まあまあま! 上がって頂戴な!」  半ば引き摺られる形で、女に奥に連れていかれたのだった。
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