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「椿様、私の太陽になって下さいまし」
「断る!」
差し込む朝日を全て返すほどの純白に塗り固められた渡り廊下で凛々しくも悲鳴のような声が響き渡る。
深窓の令嬢たちが集うと言われる学園には似つかわしくない大声で会ったが、令嬢たちはその声にきゃあと歓声を上げて、頬を染めて好奇心に満ちた目を『いつもの二人』に向ける。
声の主は、赤茶でショート、背も高く天に向かってすらりとまっすぐ背筋を伸ばしその身長に比べあまりにも小さな顔に並べられた口は小さく鼻筋はすっと通っており目は切れ長で美男子だと言われれば信じてしまうほどだが、真っ赤でぷるぷると震えていた。
それをじいっと見つめる灰色で大きな瞳が常人よりも顔の面積を占めている少女は美しく輝く長い銀髪を垂らしながら無表情で向かい合っている。
そして、銀髪の少女は頬に手を当てほおっと溜息を吐き一度視線を落とし、すぐに赤茶の美女の顔を見上げ呟く。
「ああ……! 椿様のその凛々しくもお顔を真っ赤にされた断る顔、りりかわで、わたくし、芽吹きそうです……!」
「芽吹くな! っていうか、なんなのよ! 百合様の言うその芽吹くって」
無表情な白い妖精と表情豊かな赤の女傑が向かい合うと、少女たちが遠巻きに見つめながら楽し気に話し始める。
「また、お二人が仲睦まじくお喧嘩なさってますわ」
「微笑ましいですわね」
「ちょっと! 貴方たち! これのどこが仲睦まじくお喧嘩なのよ!」
椿様と呼ばれた赤茶髪の女は、振り返って叫ぶが、女子たちはきゃあと楽しそうに悲鳴をあげ肩を寄せ合う。
一方で、百合と呼ばれた銀髪の女は無表情のまま頬を手で触り、ほうと息をつく。
「ふふふふふ、照れますね」
「真顔で笑うなー! こわいから!」
そして、またわいわいと騒ぎ始める。
その様子を遠巻きに眺めていた黒髪ボブの少女がそーっと騒いでいる女子たちに近づいていく。
「あ、あの……あのお二人は有名な方なのですか?」
「あら? 貴女、ご存知ないの?」
「す、すみません……! 日本を離れており、父の急な転勤でこちらに入ったので」
黒髪少女が申し訳なさそうに小さくなると聞かれた少女はふっと微笑み口を開く。頬をうっすらと桜色に染め、視線は再び二人の方へ向けている。
「そうなのですね。そうね、あのお二人は1年生にしてここ繚乱学園トップクラスとも言われているお二人なの」
「そ、そうなのですか? えと、あちらの白髪で長い髪の方は……」
「白銀百合様。日本有数の財閥、白銀財閥のお嬢様で、社長令嬢が多い繚乱学園でも5本の指に入る筋金入りのお嬢様。ですが、本人も素晴らしい才能の持ち主で、ありとあらゆる方面で素晴らしい成績をおさめていらっしゃいます。そして、あのお顔。真っ白な肌に神が完璧な位置に置かざるを得なかったと言わんばかりの目鼻立ち!」
百合が無表情にも関わらず女子達は一挙手一投足の美しさに息を吐く。
「あちらの赤茶のショートヘアーの方は、凄く凛々しいご様子ですが」
「あちらが、赤銅椿様。SYAKUDOグループのお嬢様で、あのすっとした美しい立ち姿からも分かるように凛々しくて、それでいて、誰とも分け隔てなく接して下さるお優しい方ですわ」
「えーと、ですが……」
黒髪少女の視線の先には、美しい姿勢を保ちながらも目を吊り上げて叫んでいる椿。黒髪少女の言い淀む様子を見て女生徒たちはくすりと笑い小さく頷く。
「白銀様に関しては特例というか……あまりにも白銀様が迫って来るので、赤銅様が身構えてしまって」
「な、なるほど……何故、あんなに白銀様は、赤銅様に迫っていらっしゃるのですか?」
「入学の際に、【連蕾】については聴かれました?」
「ああ、はい。あの、一年生の間に、ペアを作って二年からはそのペアで協力し合いながら学生生活を過ごすっていう……」
【連蕾】
入学の際に先生からその言葉について話されたが、正直なところ、黒髪少女は自分には関係ないと思っておりあまり話を聞いていなかった。
なので、罰が悪そうにしながらも、色々と教えてくれる女生徒達にちらりと視線を送ると、女生徒達も少し困ったような笑顔を浮かべる。
「まあ、概ね間違ってはいません。共に学び合うパートナーを作る規則といえば分かりやすいですかね。一学年の終わりに、先生が相応しい相手を判断して下さるのですが、本人たち二人の意志があえば、申請しペアを作ることも可能なのです」
「ということは、もしかして……」
「ええ、白銀様はずっと赤銅様のレンライとなりたくて、迫っていらっしゃるのです」
「でも」
「赤銅様は断り続けているのです」
改めて、黒髪少女がちらりと二人を見る。見れば見る程対照的だが美しく絵になる光景だ。
「芽吹くは……そうですね、椿様への愛おしさがあふれ出てきて吹き出しそうな様を……」
「説明するな説明するな! なんかやだからやめなさい!」
会話を聞かなければ。
黒髪少女はそう思ったが、周りの女生徒達はそれさえも甘美なもののように恍惚とした表情で見つめている。観衆の眼も耳も奪う舞台上の役者のようだと黒髪少女は思った。椿の声は凛々しく爽やかで百合の声は柔らかく心地よい。声の質さえも二人は格別で、美しいハーモニーを奏でているようだった。
「私の愛をただただ伝えたいだけなのですが」
「い、いい加減にしなさいよ!」
椿が声を荒げたその時だった。
「はい、そうします」
静かに声が響いた。
百合の穏やかで囁くような声をその瞬間だけその空間の全ての音が避けたようにはっきりと聞こえた。
「え?」
「いい加減期限も迫ってきておりますので、これを最後とします」
ざわつく少女たち。その輪の中で台風の目のように中心は静かで二人は見つめ合う。揺れる椿の瞳とは対照的に、百合の瞳は真っ直ぐに赤茶髪の少女を捉えて離さない。
「椿様、貴方をお慕いしております。今日、18時礼拝堂でお待ちしております」
百合は無表情のまま熱っぽい視線を向けると、渡り廊下を去っていく。
椿はその小さいながらも決意に満ちた背中をじっと見つめていた。
ただそれだけの光景のはずなのに、今生の別れのシーンかのように見え黒髪少女も女生徒達もじっと二人が去るまで見つめていた。
18時。
女生徒たちの賑やかな声から離れた礼拝堂で、一人百合は祈りを捧げていた。
絵画のようで音が全く存在しない空間に一人分の靴音が近づいてくる。
百合は足音の主に対しゆっくりと振り返り、じいっと見つめる。
「あら? 貴女は転校生の、黒野様でしたね?」
黒髪ボブの少女がにこりと笑って後ろ手に身体を傾けている。
「はい。覚えて下さっていたのですね」
「勿論、最近よく話しかけて下さっていたではありませんか」
「うふふ……ところで、白銀様。お願いが」
「なんでしょう?」
「白銀様のレンライに私ではだめでしょ」
「ごめんなさい」
「早すぎません!?」
銀髪を垂らし、しっかりと頭を下げる百合に対し、黒野は思わず声を荒げ礼拝堂に鳴り響く。
「私にはあの方しかいないのです。それはもうお母様の体内に生成された時から心に決めていたのです」
「早すぎません!? ……そうですか、じゃあ、諦めます」
黒野はうなだれながら百合に背を向け、コツンコツンと靴音を鳴らし離れていく。
顔を上げた百合が今度は横に傾げ、じっと見つめる。
「あら、すんなり手を引くんですね」
「いえ、そういうわけではなく。話し合いで手に入れるのを諦めますっ……!」
黒野が、スカートをたくし上げ警棒らしいものを取り出す。
そして、百合と入り口の丁度間に立ちはだかる。
「まあ、強引なのね」
「そっちの方が元々得意なので」
「目的はお金? それとも……まあいずれにせよ、財閥への攻撃でしょうね」
「随分と冷静ですね。やはり、襲われ慣れているからでしょうか?」
「まあ、白銀財閥の女となると狙われることも色んな意味で多いですから」
油断なく警棒を構えた黒野に対しじっと動かず淡々と百合は答える。
「話が早くて助かります。これ、スタンガンになってます。出来るだけ穏便に済ませたいので大人しくしていただけますか?」
黒野が警棒の握りについたスイッチを入れるとジリと不吉な音が静かな礼拝堂で小さく響く。百合は音の先、警棒に視線を動かすと小さな溜息を吐く。
「私も電気はちょっと……」
「助かります。いや、ほんとに。色々と助かります。まさか、人払いまでして一人になってくれるとは。ああ、あと、外の人間の配置はもう少し考えさせた方がよかったですよ。ザルにもほどがある」
「いえ、貴方が相当デキる人ということですよ」
「お褒めに預かり光栄です。それにしても……本当に椿様が来ると思ったんですか?」
百合の髪と同じ白銀の眉がぴくりと動く。
黒野は、じりじりと距離を詰め始める。出来るだけ判断力を奪い、移動が不自然に見えず、相手が苛立ちで前のめりになるように語りかける。
「椿様は、百合様のことが苦手のようでしたし、それに、ああやってしつこく迫られるのも嫌なタイプでは? こういう静かな場所で告白めいたことをやるのも好きではないと思いますよ」
「……」
「人を束ねることに長けた白銀一族のその中でも優れた力を持つと言われる百合様らしからぬ戦略でしたね」
「……知っているのでしたら、話は早いですね。結論から言いましょう」
百合は無表情のまま、だが、瞳には決意を漲らせて一歩黒野に向かって歩き出す。
「椿様は、かわいいのです」
「は?」
黒野は思わず間抜けな声を漏らしてしまう。
だが、そんな黒野に構わず百合は言葉を紡ぎ続ける。
「貴方はまだ椿様を知らないのです。椿様は確かに皆に頼られ自分から何かをしてあげたい騎士のような方。ですが、実際は可愛らしいところも数えきれないほどあるのですよ」
「いや、あの」
「ぬいぐるみやキャラクターものがお好きでお友達がそういったグッズを付けてきていると聞きたそうにチラチラしているのもかわいいし、それに気付かないままお友達がそのグッズの話を始めた時に興奮するのを我慢して大人っぽく対応しているのもかわいいし、ほんの僅かだけ髪型を変えて誰か気付かないかなーと普段より多めに髪をいじったり、人の頭を撫でて気付いてほしそうにするのもかわいいのです。そして、」
ダン!
と、足音が響き渡る。
ハッと黒野が振り返ると、赤茶の髪よりも真っ赤な顔の椿がわなわなと震えながらこっちを睨みつけている。
「こうやって、律儀に来てくださることも、出るタイミングを失ってまごついているのも、私の言葉で照れていらっしゃるのも、可愛くて……芽吹きそうです」
「勝手に芽吹かないでくれるかなあ!」
「まあ、椿様お越しくださったのですね、感動です。じーん」
「無表情で感動しないでよ!」
「く……いつの間に!」
入り口の椿と奥に控える百合に挟まれ黒野は素早く百合に向かって駆け出す。
百合も運動神経は良いと聞いているが、それ以上に椿の格闘術の腕は学内一だという情報は頭に入っていた。
(出来れば、静かに抜け出したかったが、百合を人質に椿も利用し抜け出す!)
黒野は警棒に電気を奔らせ迫る。だが、百合は相変わらず表情一つ変えず、すっと左手を前に出す。
そして、小さくてかわいらしい口を僅かに動かす。
「右」
(右!? 何を言って、いや、罠だ! 何も考えるな、今は……!)
百合の声に惑わされないようじっと百合の、表情に集中する黒野。
ちらり。
と、百合が上を見た。
一瞬だった。
一瞬、黒野は上を確認する。一瞬だけだ。
だが、そこには美しい天井画があるのみ。
そして、その天井画が一回転、いや、黒野の視界が一回転する。
(馬鹿な!)
視界に入る白銀。見間違いようのないその姿は黒野の獲物だった女。
その女が細腕で黒野を投げ飛ばしていたのだ。しかも、腕、指を極め、警棒を奪い取りながら。
なんとか態勢を立て直して着地し安定した黒野の視界に次に移ったのは、
「痛いよ。頑張って耐えな」
赤茶の髪の毛を揺らしながらその高い身長、長い脚から蹴りを振り下ろそうとする椿だった。
「あぐう!」
肩口に踵落としを極められ、黒野は悶絶する。
作戦は完璧なはずだった。
百合が椿に告白する為に一人になる。それで攫う。
それだけだった。
「…………………え?」
黒野の驚きの声が漏れた。その驚きの対象は外ならぬ、自分。
(それだけ? それが……『完璧な作戦』?)
黒野はどっと汗をかき始める。
こんなの作戦と呼べない。なのに、何故?
判断力が落ちていた? 我を忘れて前のめりになっていた?
いつの間に?
記憶を辿る黒野の耳に黒野を見下ろす百合と椿の声が流れ込む。
「ねえ……態々、こんなことする必要あった?」
「え……」
「ええ。だって、どこかの誰か様が、切欠がないと動けない臆病様のようでしたので」
「誰が臆病様よ! っていうか、自分を囮にするような女の基準で語らないで。随分と楽しそうに口説いてさあ」
「あら、嫉妬ですか?」
「ちがーう!」
その瞬間、黒野は百合を見上げる。椿に対し無表情のままぺろと出した舌が目に入る。
肌の白さや桃色の唇のせいかやけに赤く見えるその舌に震える。
白銀一族でも飛び抜けた話術、人心掌握の術を持つと噂の女の真っ赤な舌に。
「まさか……全部、気付いた上で」
「当たり前でしょ。この一挙三反深謀遠慮怜悧狡猾用意周到女が何も考えなしに連蕾の為だけに一人になるわけないじゃない」
「ふふ、お褒めの言葉ありがとうございます。そうですね、椿様の仰る通りです。……今、思うと不思議だと思いませんか? 今まで数々のミッションをこなしてきた貴方がこんなにも簡単に私の行動を信じ、動くなんて」
「私の経歴まで……? く、くそおおおおおおおお!」
黒野は今までやったこともない己の愚行の恥ずかしさと絶望的な状況に叫ばずにはいられなかった。そして、ただただその白銀の口目掛けて襲い掛かる。
口が小さく開かれる。
「「無粋」」
身動きせずに待ち構える百合の声と重なりながら椿が黒野の手を取り、腕、両足に一撃ずつ加え無力化させる。数々の『仕事』をこなした黒野が一矢も報いることの出来ない圧倒的な『力』。近づけば焼かれる真っ赤な太陽の背中を見つめながら黒野は諦めたように笑い意識を手離した。
「ふう……あんたさあ! あんまり無茶しないの! 顔を狙われたんだよ! 微動だにしないなんて!」
「でも、椿様が守ってくれると信じておりましたから」
「あー! あーそう!」
「ふふふふふ、敵であれ、顔やお腹を狙わないのが椿様らしくて私好きですよ」
「うるさいなあ!」
そんな二人のやりとりを気にせずに、百合の護衛達がやってきて黒野を捉え連れ去っていく。椿はその手際の良さに嘆息し、そして、百合の無事にほっと胸をなでおろす。
「ところで、椿様」
そして、二人。
「な、なに?」
静かな礼拝堂に戻り、小さな声も妙に響く。
「私の愛を受け入れてくださいますか?」
「そ、そういう言い方するからアタシは!」
「そうでしたか! では、言い方を変えれば良かったのですね!」
「……いじわる」
「ふふふ……ジト目というのでしたっけ? そういう椿様もかわいくて、芽吹きそうです……!」
「芽吹くなー!」
「では、改めまして、連蕾の誓いを」
「こ、ここで!?」
「ああ、そうですわね。皆さんの前で誓った方が」
「ここでいい! ここがいい!」
「……ええ、ここがいいのです。見えないでしょうが私も緊張しております。長年の夢がかなうのですから」
「……!」
椿には分からない。百合の言う長年の夢が。
だが、百合にはあるらしい。椿ではなければならない理由が。
椿を想うきっかけとなった思い出が。
その重さ、大きさは百合の瞳を見れば分かった。
「わたくし、白銀百合は、赤銅椿様を太陽と崇め己の花を咲かせることを誓い、また、赤銅椿様を咲かせるための太陽であり続けることを誓います」
椿には分からない。
自分がこの百合の想いを受け止めきる事が出来るのか。
それでも、彼女の寂しそうな瞳を離したくはなかった。
「……わたくし、赤銅椿は、白銀百合様を太陽と崇め己の花を咲かせることを誓い、また、白銀百合様を咲かせるための太陽であり続けることを誓います」
「「共に花であり、太陽であることを誓います」」
礼拝堂に声が重なり、響き渡る。
そして、二人は……。
春。桜舞い散る繚乱学園で二人は並んで立っていた。
一年生は見目麗しい二人を見て憧れの眼差しを、三年生は自分たちの地位を脅かす才気あふるる二人に畏怖の目を、二年生は二人を愛憎様々入り混じった目で見つめていた。
「……椿様。現在、私たちは繚乱学園の序列8位です。上には7組。全て3年生。勉強、運動、生活、社会活動、全てにおいて鍛錬を欠かさず実績を積み重ねなければこれ以上上にはいけません」
「いいね、分かりやすくて好きだよ」
「私の事もすきですか?」
「……! 分かりにくくて苦手!」
「ふふふ、嫌いとはいわないんですね」
「そういうとこはきらい! あと、真顔で笑わないで! 怖い!」
「ああ……椿様がかわいくて芽吹きそうです」
「芽吹くなー!」
二人は、学園での二度目の春を始めるために校門をくぐる。
誓いに贈り合った赤銅と白銀の腕輪を輝かせながら。
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