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3.車の正体と羨望
社用車の点検をするために入庫したカーディーラーのショールームで、俺はコーヒーを飲みながら作業が終わるのを待っていた。三十分くらいたった頃、クリームのエンジニアスーツに身を包んだ整備士がこちらに近寄ってくる。
「お待たせ。異常はないけど、エアコンフィルターが汚れてたから交換しておいたぜ」
点検内容の書かれたカルテを見せながら、その整備士がそう言ってきた。
「ありがとう。持つべきものは整備士の友人だな」
にししと笑う整備士は高校の時からの悪友、逢阪祐希だ。毎日使っている社用車がたまに調子が悪くなることがあるので、こうしてこまめに点検してもらっている。
「おだてても何も出ないよ。まだ外回り続けるの?」
逢坂は俺の向かいの椅子に座り、そう聞いてきた。
「いや今日はもうあがるわ。最近朝が早いから、フレックスで早上がりしてる」
「へえ? 朝早いこともあるのか」
「うん。あ、そうだ。俺らが大学生あたりに流行ったセルビア、あったじゃん」
「あー! あれはいい車だよ。かっこいいし力強く走るし、何より峠攻めするにはもってこいで……。でももう古いからなあ」
「その名車がさ、よく行くマンションの隣の駐車場に止めてあるんだけどさ」
「へええ! 現役かあ、うらやましい」
「ボディーカラーがレモンみたいな黄色なんだけど。あの車にそんな色あったんだな。めっちゃ、乗るのに勇気いりそうだ」
俺がそう言うと、逢阪はキョトンとして少し考え込んだ。
「いや、中野。あの車には黄色のボディーカラーはないはずだよ。俺すっごい好きだったからカラーも覚えてるけどさ」
「え、でも」
「そりゃ『全塗装』したんだろうな! うわあマニアだわ」
俺は『全塗装』と聞いて一瞬よくわからなかったのだが、どうやら車好きの中には元々のボディーカラーを自分の好きな色に全塗装する奴もいるらしい。費用は二十万くらいとかなり高額でそんな額を出してまで好きな色に変えようとする奴の気が知れない。
あの気だるそうな彼が、そんなことをするようには思えなかった。だけど髪の色もグリーンだし、ひょっとしたら派手好きなのかもしれない。彼の頭を思い出して笑っていると、逢阪が不思議そうな顔をして俺を見ていた。
それから何度も彼とあの車を見るようになった。大抵同じ時間に、二人は手を振りながら別れを惜しむような感じ。まあよく飽きないなあと思いながらも、俺自身も飽きることなく見ていて、いつの間にかこの幸せそうな二人が羨ましくなっていた。
何故なら俺にはいま、恋人がいない。というか今までもいなかった。特定の相手なんかいらない、どうせ結婚できないんだし、一晩限りで気楽に過ごすのが俺の考えだったのに。この二人を見ると、とてつもなく、自分が寂しいやつだと思うようになった。
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