第7章 混沌の狂宴

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第60話 終わりの始まり(一)  この事件は、秘密裏に処理された。  今、柳子は遠方の女子校に転校したことになっている。  多くの生徒達が喜んだ。特に、柳子と同じクラスだった者たちは。  《高天原特権》を振りかざし、理不尽ないじめを繰り返し、何の罪もない生徒や教職員を精神疾患に追い込み、退職や退学にして追い出してきた《高天原の捌》。  もう、顔色を伺わなくていいのだ。もう、脅えなくてもいいのだ。  これからやっと、青春を謳歌できる。  事件直後に、忍の手配で生徒会室から昇降口までの経路を人目に晒さないように、速やかに封鎖。  叫ぶ声も嗄れ、ぐったりとした柳子は、サイレンを鳴らさずに来た救急車で病院に運ばれた。  鍵がかけられた扉を、伊織が力ずくで蹴飛ばして開けた時に見たものは、左腕を負傷した直人、頭部を庇いうずくまって狂乱する柳子、床に落ちているウィッグ、そして微かに血の跡が残るナイフだった。  目撃者は伊織、睦、紅の三人。  三人とも、扉を開ける前に、柳子の「死んで」という叫び声、直人の「やめろ」という静止の声を聞いていた。  寧ろ、聞こえたから無理矢理に扉を開けて押し入ったのだ。  どう見ても、どう聞いても、『柳子が直人を殺そうとして失敗した』、『暴れてウィッグが落ちた姿を見られた柳子が発狂』という、柳子の自業自得だった。  ――――監視カメラの映像と音声を、。  三人の目撃者が、共謀して柳子を陥れる可能性は、極めて低かった。  兄妹とはいえ三人とも母親が違い、そのうちの伊織は柳子を甘やかしてきた兄だからだ。  沙也香が直人の所為だ泣き喚いたが、それは娘が廃人となってしまった母親の、やり場のない悲しみの八つ当たりでしかない。  誰の所為にも、出来ないのだ。  たとえ、柳子の精神が壊れて、母親が泣いて名前を呼んでも、口を利くことさえ出来なくなってしまったとしても。  直人は、屋上から広い学内の景色を眺めながら、言った。 「忍が、証拠映像を当主に提出したら、どうするつもりだったんだ?――――了」  名を呼んで振り返れば、直人から少し離れた所に、いつの間にか金髪碧眼の子供が立っていた。 「うちの監視カメラ映像は、スローにすれば弾丸はハッキリ見えるぞ」 「スローにするのは、する必要がある時だけでしょ?――――直兄だって、僕が撃った銃弾隠したじゃない。…っていうか、そもそも、生徒会室の窓を開けたのって直兄でしょ?」 「俺ひとりじゃなくて、紅と睦が一緒に入っても、窓は開けるつもりだった。二階なら、紅を抱えて飛び降りて逃げられる」 「はぁ…直兄って滅茶苦茶だなあ」  直人は、柳子を信用したことは一度も無い。  だから、再び紅や睦に柳子の悪意が向く可能性は、考慮に入れていた。 「現場に残っちゃまずいだろ」  了の小さな掌に、直人の大きな手から2発の銃弾がころりと載せられた。  見事な腕だった。直人が撃てば、もう少し雑になる。  了が一発目に撃った弾丸は、『ナイフに目立つ傷が付かないように』柳子の手から弾き飛ばし、二発目の弾丸は『柳子がバランスを崩して転ぶように』髪の毛に掠らせた。 「直兄が、柳子ちゃんにわざと腕を切らせなければ、僕だって撃たなかったよ。直兄って案外情が深いから、柳子ちゃんの気が済むまで切らせてあげちゃうんじゃないかって思ったよ」 「それは無い。あいつは、本気で俺を殺しに来てた」  了が、つぶらな青い目を見開いた。 「何で…?柳子ちゃんが殺したかったのは、くれちゃんだよ。直兄が間に合わなかったら、柳子ちゃんはくれちゃんの体まで刺す所だったけど、直兄だけは殺したい訳がないのに!」 「だけは…とか、訳がないとか、何を根拠に言ってるんだ?」 「…………」  了は、少し黙ってから、伏し目がちに言った。 「……それは、僕の口から言うことじゃ、ないんだよ」 「…………」  ――――私、ずっと、あんたのこと、好きだったみたい――――  わからない、ままだ。 「……俺は、柳子は俺を嫌いなんだと思ってた」 「直兄が、過去形で言うのなら、柳子ちゃんは、ちょっとだけ…報われたんだよ」  出会いは、覚えている。  直人が継人に優しくされていることに嫉妬して、罵ってきた我が侭な少女。 「俺は、思い入れはなかったけど、仲の悪い《妹》なんだと思ってた」 「くれちゃんは?」 「有り得ない侵入者だと思った」 「何それ?」  直人は、答えなかった。  ――――紅を、妹だと思ったことは、一度も無い。  紅を害することを諦めた柳子の望みは、直人との心中だった。  わからない。きっと、一生わからないのだろう。  直人は、紅を貶めたことはないから。紅は、笑っている時も、そうでない時も「大好き」と言うから。  直人は、紅と共に死にたいと思ったことはないから。共に生きたいと、強く思うから。 「柳子は、宗寿と言うこと殆ど被ってるから、母親は違うけどそっくりだなって思ってた」 「あ、宗寿くんは、直兄のことしっかり嫌いだよ」 「俺も嫌いだ。…そこだけ気が合うのもイヤだな」  了が、くい、と直人のシャツを引っ張った。 「何だ?」 「えっと、僕の正体を知らない宗寿くんから、使いっ走りにされちゃいました……」 「宗寿がアホじゃなくても、お前みたいなちびっ子が、だとは思わねえだろ」  宗寿が了に持たせたものは、紅あての結び文だった。 「何で、雅な感じに和紙なんだよ。恋文か?」 「そうなんじゃないのー?紅梅の柄の和紙なんて、くれちゃんのために選んだのに決まってるよ。宗寿くん案外ロマンチストだねえ」 「…………」  何かムカつくさっさとあのバカ殺 「直兄、何か怖いお顔になってるよ?僕が宗寿くんの頭ぶち抜いてきていい?」 「やめろ」  直人は、金色の小さな頭に、ぽんと手を置いた。 「宗寿を殺るのは、お前じゃないんだ」 「…………」  了は、ぽふっと直人に抱き付いた。 「僕…、柳子ちゃんのこと、嫌いじゃなかったよ。……ぶたれたけど、嫌いじゃなかったんだよ」 「…………」 「僕は、柳子ちゃんを確実に止められれば、それでよかったんだ。でも……くれちゃんにとって、綺麗な髪の毛は命じゃなかったけど、柳子ちゃんには命だったんだ。……僕は、何にも、わかってなかったんだよ」  直人は、何も言わなかった。  ただ、小さくしゃくり上げる《弟》の髪を、そっと撫でた。
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