第1章 天女降臨

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第1章 天女降臨

第1話 最年少の継承者  今夜、この舞台で人間がひとり死ぬ。  文明の灯が届かない山奥の崖に、その決闘場は突き出るように築かれていた。  板張りの舞台に、柵はない。踏み外せば谷底に転落する。  命を懸けた決闘の場に、人命への配慮は無用だからだ。  天から照らす光は、鏡のような白金の月と、満天の星空、それのみ。  その微かな明かりの下で、圧倒的な黒い闇の中で、戦いが始まろうとしていた。 「両者、前へ」  重々しい声が告げ、二つの人影が舞台に上がった。  ひとりは、逞しい体躯の大柄な男。もうひとりは細身の、まだ少年。  声変わりして間もない声が言った。 「…俺は、頭領の座に興味は無いって、言ったはずだけど?師匠」 「だが、お前は逃げずに此処に来た」 「師匠が、遺言だって言うからだろ。育てて貰った恩がある俺は、聞かない訳にはいかない。聞きたくないけど」 「それでいい。お前は、誠実で――――優しい」  闇の中で、男が微笑したのを、正面にいる少年だけ見て取れた。  そして、少年が眉をひそめて年相応に反抗的な顔をしたのも、男には良く見えた。 「優しい弟子の恩返しに、人殺しさせんのって卑怯だろ」 「お前がこれから帰って行く世界に、卑怯も何も無い。生き残りたいなら、殺されてやるのが癪なら、殺される前に殺せ。何かを守りたいなら、手段を選ぶな」 「…………」  ――――お前は、誰かを守るということを覚えろ。  それが、師の口癖だった。  引き取られてから7年、何度聞いたのか少年は覚えていない。  『守る』ことがどうして『殺す』に繋がるのか、少年は納得しないというよりも、単に解らないと思っていた。尋ねても、師は答えなかったから。でも、今は、 「……そっか。よ」  少年は、いつかのように、いつもそうであるように、不満も反抗も、全ての感情を風に散らすにまかせて、無表情に言った。 「師匠、手加減は無しだ」 「ああ、当然だ」  開始の合図も、何も無かった。  殺しは武道ではない。死は、何の用意をしていなくとも突然に、無差別に降りかかる。  そして、例えこの場が昼間の太陽の下であっても、殆どの人間には何が起こったのか見えなかっただろう。  一瞬で、師と弟子の位置が入れ替わっていた。ただし、お互いに背を向けて。そして、師であった男だけが、どうと前のめりに倒れ伏した。  一瞬で、勝負は付いたのだった。  目にも止まらぬ速さで両者が突撃し、すれ違い様に少年の拳が師の脇腹を突き抜き、えぐり取ったのだ。  少年は、月明かりの下で赤黒く染まり、血が滴る自分の手を静かに見つめた。  この温度を、一生忘れないだろう。ぬくもりというには熱い、生きている人間の内側の体温を。    致命傷だ。だが、即死ではないことは判っていた。並の人間ならショック死していただろうが、師は並の人間ではない。  殺人術の達人であり頂点にあった男は、その激痛に気を失ったまま苦しまずに死ねるような弱者ではないのだ。  確実に息の根を止めて、苦しみを終わらせてやることも出来る。弟子から師への恩返しの終わりに。  でも、少年はそうはしなかった。 「戦闘不能にすれば勝ちなんだろ。さっさと判定しろよ」 「勝負あった」    暗闇から、審判の声が聞こえた。 「異議なし」 「異議なし」 「異議なし」  複数の声が続いて、少年が勝利を収めて決闘は終わった。――――否、まだだ。  少年は静かに、しかし闇夜に通る声で告げた。 「ここに宣言する。《高天原(たかまがはら)(しち)》、高天原(たかまがはら)直人(なおと)が、この時を以て第101代玄冬(げんとう)を襲名する」  今ここに、殺人武闘団・玄冬一族の歴代最年少の頂点が誕生した。  きっと、この宣言は敗れた師の耳に聞こえていただろう。――――聞かせる為に、少年はとどめを刺さなかったのだから。  頭領の代替わり戦は、片方を戦闘不能にすれば成立する掟だ。だが、殺してその屍を超えて頂点に立てと彼の師が遺言したから、少年――――高天原直人は、師の願いを叶えたのだ。  戦う前から、戦わなくても、結果は分かっていた。直人の体術は師を超えてから半年は経っていたのだから。  ただし、経験値には大きな差があった。直人は、天賦の才で最短距離で最強に上り詰めたが、『いつでも殺せる』優位に立ったことはあっても、実戦で人を殺したことはなかった。  でも、この決闘が直人の初の実戦となり、かつての最強を倒したことが、千の殺しに匹敵する経験となった。  ふわり、と直人の足元に何かが舞い落ちた。とうに暗闇には目が慣れている。早咲きの山桜の花びらだ。    夜は冬のように冷え込む修験者の山にも、初めて人を殺した自分の元にも、等しく春は訪れていたのだと、直人は思い出した。  もうすぐ、自分が13歳になるということも。  この闇の世界では、子供も子供ではいられないということも。
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