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第59話 脱落者(二)
《暴君》宗寿の次に、継人が生徒会長になると名君を通り越して《聖君》と呼ばれた。
蜜花は《白薔薇》。忍は小中高を飛ばしてアメリカ留学し、その後は自分の研究所にいたので除外。伊織は《王子》。
「私は何て言われるのか、今から心配よ…」
「蜜花ちゃんが白薔薇なら、睦ちゃんは白百合じゃない?」
「そんな麗しい異名が付いちゃったら、柳子ちゃんが怒るわ」
――――そう言えば、今一年生には、高天原が三人いる。
「会長。直人君と紅ちゃんを連れて来ました」
睦は、生徒会では公私を区別しているらしい。
「やあ、直人と紅ちゃん。話を聞きに来てくれただけでもありがたいよ」
生徒会室で、伊織がにこやかに迎えた。
確かに、ルックスだけではなく、王子様なキラキラオーラを発散しているかもしれない。
しかし、既にそこにいたもうひとりの一年生、《高天原の捌》柳子は黙ったままで、いつもの華やかさはなかった。
燃えたという長い髪は、今は肩よりも短いブラウンの巻き毛だ。
紅は、睦のイメチェンは褒めていたが、柳子に対しては何も言わなかった。
ただ、率直に聞いた。
「僕がいると、柳子ちゃんが嫌がるんじゃない?」
「……あんたは、もう、いいわ」
柳子が、虚ろな目をして言った。
「直人に話があるの。……全員席を外して」
俺には無い、といつもの直人なら言うところだが、何かが引っ掛かり、紅に言った。
「べに。伊織と睦と一緒に、廊下に出て待っていてくれるか?」
「んー、いいよ。他の女の子ならちょっと妬けちゃうけど、柳子ちゃんならいいや」
案外素直に紅は出て行った。
先日は腹を立てていた睦とも普通に話していたし、伊織も《浅い》玄冬一族の体術を持っているし、大丈夫だろう。
奥の席から立ち上がった柳子は、部屋の鍵をカチャリと内側から閉めて、逆に直人は窓を全開にした。
「何してるの?冷房入ってるのに」
「埃っぽい。たまには換気しろよ。…で、俺に話って珍しいな」
直人が向き直ると、生気のない白い顔の柳子が立っていた。
こんな顔色で、よく伊織が連れ出したな、と一瞬思ったが、柳子は伊織と同じ車で登校するような『貧乏くさい』ことはしないので、自分の意志でやって来たのだろうか。
「珍しくもないでしょ。あんたが相手にしなかっただけで」
「……アレって、話しかけるうちに入るのか?」
顔を見れば偽物、不義の子、田舎臭い、辛気臭い、等々と罵り放題だったと思うのだが。
「あんたには、入らないんでしょうね。あんたにとって、私は面倒くさいだけだから」
「…………」
確かに面倒くさい。だから無視してきた。
「本題に入れよ」
「ごめんなさい」
不覚にも、何が起こったのかわからなかった。
この瞬間に柳子が鋏を持って飛びかかってきたら、かすり傷くらいは出来たかもしれない。
「……悪い物でも食ったのか?」
「ごめんなさい」
正直、本当に面食らっている直人を見て、柳子はもう一度言った。
「怪我させて、ごめんなさい」
「……大した傷じゃない」
「今まで、いっぱい酷いこと言って、ごめんなさい」
「何だよ。訳わかんねえよ」
柳子は、見た。直人が、驚いている。
真っ直ぐに、柳子を見ている。
「…ふふ。もういいわ。許して欲しいなんて、言わないわよ」
柳子は、小さく笑った。やっと、直人がその黒い瞳に柳子の姿を映したのを見て。
「ただ、謝りたかっただけよ。あんたには、私の事なんてどうでもよくて、謝っても謝らなくても同じだと思うけど」
「…………」
「ごめんなさい、っていう言葉も、あんたは本気にしてるのかしてないのかわからないし、…きっと、これも嘘に聞こえるんだわ」
柳子は、泣きそうになって、でも泣かなかった。
「私、死ぬわ」
「…は?」
柳子は、笑った。
「私、ずっと、あんたのこと、好きだったみたい」
直人は、何が起きているのかわからなかった。
でも、本能でわかる。柳子は、嘘をついていない。
「だから…直人、死んで!!」
柳子がパチンとナイフの刃を立てて、飛びかかってきた。
柳子が刃物を持っていることには、気付いていた。
それを、また紅に使うかも知れないと思って、紅を遠ざけたのだ。
だが、柳子が狙ったのは、直人の命だった。
「死んで!死んでよ!!私も死ぬから!!」
ナイフを振り回す柳子の目は、狂っていた。
狂おしいほどに、本気だった。
高天原家の女達は、玄冬の一族とは別系統の、女に向いた護身術を習っている。
そして、攻撃を最大の防御にする術も身に着けている。
ガタン、と長机と椅子が倒れたが、一向に障害ともせずに、柳子のナイフは直人の命を取りに来る。
シュッと、直人の腕に赤い線が一筋走り、血が滲んだ。
「柳子!!やめろ!!お前じゃ俺に勝てない!!」
直人は叫んだ。
「俺は生きる!べにと生きるって決めた!!」
「だから、死んで欲しいの!!!」
柳子のナイフが、窓から差し込む光にキラリと光った。
――――終わった。
「きゃあっ!」
キィン、とナイフを弾いた金属音。
直人の耳は、ほぼ同時に、消音装置が付いた拳銃の音を捉えていた。
二発目。
それは、柳子の頭蓋骨から数センチ外れ、ブラウンの巻き毛を通過した。大きな虫に襲われたような感覚に、柳子は悲鳴を上げて髪を強く払ってしまい、バランスを崩した。
「あ…、あぁ……っ」
床に倒れ込んだ柳子の目に、頭から落ちたブラウンのウィッグが映った。
その悪夢が、ただの悪い夢であって欲しいと、祈るように、震える白い両手が、柳子の頭部に触れた。
「う…あ、あああ…っ」
その指に触れたのは、治療のために、ウィッグよりも短く切られた髪の毛と、火傷の傷を覆う包帯とネットの感触。
短くなった髪だけならば、時間とともに元に戻る。しかし、火傷の跡からは毛穴は消え、もう二度と波打つブラウンの髪が生えてくることはない。
柳子の手が届くよりも先に、大きな手がウィッグを拾い上げていた。
柳子の方を見ることもなく、ただそれが何なのか、確かめているような仕種だった。
――――見られた。
――――もう、二度と綺麗な姿には戻れない、醜い姿を、見られた。
直人に、見られた。
「い…、や………」
柳子は叫んだ。
「いや…!いやあああああああああ!!!」
叫びながら、真っ黒な闇に落ちてゆくような気がした。
……ああ。
これで……
――――もう、夢も見えないわ――――
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