第7章 混沌の狂宴

2/4
前へ
/61ページ
次へ
第59話 脱落者(二)  《暴君》宗寿の次に、継人が生徒会長になると名君を通り越して《聖君》と呼ばれた。  蜜花は《白薔薇》。忍は小中高を飛ばしてアメリカ留学し、その後は自分の研究所にいたので除外。伊織は《王子》。 「私は何て言われるのか、今から心配よ…」 「蜜花ちゃんが白薔薇なら、睦ちゃんは白百合じゃない?」 「そんな麗しい異名が付いちゃったら、柳子ちゃんが怒るわ」  ――――そう言えば、今一年生には、高天原が三人いる。 「会長。直人君と紅ちゃんを連れて来ました」  睦は、生徒会では公私を区別しているらしい。 「やあ、直人と紅ちゃん。話を聞きに来てくれただけでもありがたいよ」  生徒会室で、伊織がにこやかに迎えた。  確かに、ルックスだけではなく、王子様なキラキラオーラを発散しているかもしれない。  しかし、既にそこにいたもうひとりの一年生、《高天原の捌》柳子は黙ったままで、いつもの華やかさはなかった。  燃えたという長い髪は、今は肩よりも短いブラウンの巻き毛だ。  紅は、睦のイメチェンは褒めていたが、柳子に対しては何も言わなかった。  ただ、率直に聞いた。 「僕がいると、柳子ちゃんが嫌がるんじゃない?」 「……あんたは、もう、いいわ」  柳子が、虚ろな目をして言った。 「直人に話があるの。……全員席を外して」  俺には無い、といつもの直人なら言うところだが、何かが引っ掛かり、紅に言った。 「べに。伊織と睦と一緒に、廊下に出て待っていてくれるか?」 「んー、いいよ。ちょっと妬けちゃうけど、柳子ちゃんならいいや」  案外素直に紅は出て行った。  先日は腹を立てていた睦とも普通に話していたし、伊織も《浅い》玄冬一族の体術を持っているし、大丈夫だろう。  奥の席から立ち上がった柳子は、部屋の鍵をカチャリと内側から閉めて、逆に直人は窓を全開にした。 「何してるの?冷房入ってるのに」 「埃っぽい。たまには換気しろよ。…で、俺に話って珍しいな」  直人が向き直ると、生気のない白い顔の柳子が立っていた。  こんな顔色で、よく伊織が連れ出したな、と一瞬思ったが、柳子は伊織と同じ車で登校するような『貧乏くさい』ことはしないので、自分の意志でやって来たのだろうか。 「珍しくもないでしょ。あんたが相手にしなかっただけで」 「……アレって、話しかけるうちに入るのか?」  顔を見れば偽物、不義の子、田舎臭い、辛気臭い、等々と罵り放題だったと思うのだが。 「あんたには、入らないんでしょうね。あんたにとって、私は面倒くさいだけだから」 「…………」  確かに面倒くさい。だから無視してきた。 「本題に入れよ」 「ごめんなさい」  不覚にも、何が起こったのかわからなかった。  この瞬間に柳子が鋏を持って飛びかかってきたら、かすり傷くらいは出来たかもしれない。 「……悪い物でも食ったのか?」 「ごめんなさい」  正直、本当に面食らっている直人を見て、柳子はもう一度言った。 「怪我させて、ごめんなさい」 「……大した傷じゃない」 「今まで、いっぱい酷いこと言って、ごめんなさい」 「何だよ。訳わかんねえよ」  柳子は、見た。直人が、驚いている。  真っ直ぐに、柳子を見ている。 「…ふふ。もういいわ。許して欲しいなんて、言わないわよ」  柳子は、小さく笑った。やっと、直人がその黒い瞳に柳子の姿を映したのを見て。 「ただ、謝りたかっただけよ。あんたには、私の事なんてどうでもよくて、謝っても謝らなくても同じだと思うけど」 「…………」 「ごめんなさい、っていう言葉も、あんたは本気にしてるのかしてないのかわからないし、…きっと、これも嘘に聞こえるんだわ」  柳子は、泣きそうになって、でも泣かなかった。 「私、死ぬわ」 「…は?」  柳子は、笑った。 「私、ずっと、あんたのこと、好きだったみたい」  直人は、何が起きているのかわからなかった。  でも、本能でわかる。柳子は、嘘をついていない。 「だから…直人、死んで!!」  柳子がパチンとナイフの刃を立てて、飛びかかってきた。  柳子が刃物を持っていることには、気付いていた。  それを、また紅に使うかも知れないと思って、紅を遠ざけたのだ。  だが、柳子が狙ったのは、直人の命だった。 「死んで!死んでよ!!私も死ぬから!!」  ナイフを振り回す柳子の目は、狂っていた。  狂おしいほどに、本気だった。  高天原家の女達は、玄冬の一族とは別系統の、女に向いた護身術を習っている。  そして、攻撃を最大の防御にする術も身に着けている。  ガタン、と長机と椅子が倒れたが、一向に障害ともせずに、柳子のナイフは直人の命を取りに来る。  シュッと、直人の腕に赤い線が一筋走り、血が滲んだ。 「柳子!!やめろ!!お前じゃ俺に勝てない!!」  直人は叫んだ。 「俺は生きる!べにと生きるって決めた!!」 「だから、死んで欲しいの!!!」  柳子のナイフが、窓から差し込む光にキラリと光った。  ――――終わった。 「きゃあっ!」  キィン、とナイフを弾いた金属音。  直人の耳は、ほぼ同時に、消音装置が付いた拳銃の音を捉えていた。  二発目。  それは、柳子の頭蓋骨から数センチ外れ、ブラウンの巻き毛を通過した。大きな虫に襲われたような感覚に、柳子は悲鳴を上げて、バランスを崩した。 「あ…、あぁ……っ」  床に倒れ込んだ柳子の目に、頭から落ちたブラウンのウィッグが映った。  その悪夢が、ただの悪い夢であって欲しいと、祈るように、震える白い両手が、柳子の頭部に触れた。 「う…あ、あああ…っ」  その指に触れたのは、治療のために、ウィッグよりも短く切られた髪の毛と、火傷の傷を覆う包帯とネットの感触。  短くなった髪だけならば、時間とともに元に戻る。しかし、火傷の跡からは毛穴は消え、もう二度と波打つブラウンの髪が生えてくることはない。  柳子の手が届くよりも先に、大きな手がウィッグを拾い上げていた。  柳子の方を見ることもなく、ただそれが何なのか、確かめているような仕種だった。  ――――見られた。  ――――もう、二度と綺麗な姿には戻れない、醜い姿を、見られた。  直人に、見られた。 「い…、や………」  柳子は叫んだ。 「いや…!いやあああああああああ!!!」  叫びながら、真っ黒な闇に落ちてゆくような気がした。  ……ああ。  これで……  ――――もう、夢も見えないわ――――
/61ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加