『リトル・バディ』

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「——君、辻君!」     「え、あぁ、はい。なんですか?」     「電話!」      言葉の意図が分からずキョトンとしていたら、先輩が私を押し退け、テーブルの受話器を取った。電話が鳴っていたのか。得心が行き、あぁ、と頷くと、私を呼んでいた上司が大きく溜息をつき、私を手招きで呼んだ。用がある時は自分が来い、と普段言っている癖に、だ。     「なんでしょう」     「何故電話に出なかった?」     「気付きませんでした」      また溜息。これみよがしな溜息も、相手をただ苛立たせる効果しかないのに、なぜわざわざやるのだろうか。     「君ねぇ、もう少し周りに気を遣ったらどうだ」     「気付いたことは全てやっています。課長のお手元の資料は私がコピーして配ったものです。今の電話は気付きませんでしたが、その前の電話にはきちんと出ましたし、内容の伝言も済ませました。それを今の一件だけ取り上げて、私が何も出来ていないかのように説教するのは、いくらなんでも理不尽ではないでしょうか」     「それだよ。その自分のミスは過去の実績を見れば目を瞑って然るべし、と言う考え方が良くない。気を遣え、というのは、やらかしたからには相応の態度を取りなさい、という意味だ。君、代わりに出てくれた西条君にお礼も謝罪も、頭を下げることもしなかっただろう」     「課長は電話対応している人に、その対応を中断してまで謝罪の相手をしろ、と仰るのですか?」     「頭を下げるくらいは出来るだろう」     「そもそも課長も、電話、の一言ではなく、「電話が鳴っているよ」くらい言ってくれても良かったと思います。私が気付かなかったのは確かですし、そこは申し訳なく思っていますが、今の流れの責任を私一人に押し付けるのは、いくらなんでも無理筋だと思います。私も悪かった。でもちゃんと指示しない課長も悪かった。これが落とし所だと思いますが」     「あぁいい、もういい。わかったから、次からは気を付けてくれよ」      都合が悪くなると、そうやって一方的に話を切り上げる。振り返ると、同僚たちの視線が刺さった。      同情ではない。それくらいはわかる。誰もが、私の言葉を受け入れてくれていないのだ。      席に戻ると、西条が困ったように笑っていた。     「大丈夫か? 課長もなぁ、わざわざ人前で叱らなくてもいいのにな」     「えぇ、別に気にしてないわ」      そう返すと、西条は困ったように笑った。      言いたいことがあるなら言えばいいのに。その曖昧な微笑みも気に食わない。      やはり、私の話し相手は一人しかいないのだ。   ★  仕事場が苦痛だった。      正確には、仕事場の人間が苦痛だった。      自分の業務に集中していればそつなくこなせるのに、何処かで他人とかち合うと、大抵上手くいかない。      相手の言葉が小さく、滑舌が悪く聞き取れない。こちらの言葉をちゃんと聞き取ってくれない。自分の意図を妙な曲解をして急に怒り出す。      私の不備を詰めることを目的とした会話を、自分が正義だという顔で押し付けてくる。      決して会話が出来ないわけではない。西条とも、今は亡き両親とも、学生の頃は教師とだって対等に会話ができた。ただ、今の自分の周りに、言葉が通じないが多過ぎるのだ。      彼らが自分を理解しない事が、彼らが自分を受け入れない事が、耐え難い屈辱であった。その屈辱を語れる恋人も家族もいない事が、ますます私を鬱屈とさせていた。      そんな時に、『リトル・バディ』のコマーシャルを見た。無駄な買い物はしない主義だが、現代の煩わしい会話に疲れた貴方に、という文言が、自分と重なった。      身を削る程の高値を支払い、注文から数日して届いた『リトル・バディ』は、本当に、手のひらに乗ってしまうような、小さな卵型のロボットだった。カメラの役割を果たす二つの目に、私を認識させ、スイッチを入れる。     「……ねぇ」     「はい、どうかしましたか? なんでも言ってみてくださいね」      性別を感じさせない合成音声で返事が来た。自分の言葉にそんな反応を貰えたのはいつ以来だろうか。その日はずっと、「ねぇ」と声を掛け続けた。『リトル・バディ』は、何度も何度も、「はい、どうかしましたか?」と返事をくれた。     『リトル・バディ』の声色や言葉遣いは、好きなように設定することができた。しばらく悩み、いろいろ試したが、男性の伴侶、ということで設定した。デフォルトでは他人行儀な敬語であったが、これだと優しげに、けれど気安く話してくれるのだ。     「ねぇ、この本を読んだことがある? 私は昔読んだの」     「そうなの? 凄いね。僕は一度も読んだことないよ。どんな話なのか教えて?」     「言われなくても教えてあげる。これはね……」     「凄い、そんな面白い話があるなんて全然知らなかったよ。君って物知りなんだね」     「ねぇ、見てよ。この子、昔私と同じ職場にいたの。いつのまにか雑誌に顔を出すようなモデルになっちゃった」     「君だって負けていないよ。どんな人だったの?」     「どんな……いや、よく知らない。別の仕事をしてたから」     「そう。なら仕方ないね。いつか何か思い出したら教えてね」      心地が良かった。      私の話を聞いてもうんざりした顔をしない。私が話したくない部分を深掘りしようとしない。私が語り損ねた箇所をこれみよがしに指摘したりもしない。     『リトル・バディ』は、人工知能で言葉をつぎはぎにしているからか、所々文章がズレるところがあった。     「今日のご飯はハンバーグにしようと思ったんだけど、面倒になっちゃった。たまには晩御飯なしでもいいかな」     「ご飯はちゃんと食べないといけないよ。でもたまにはいいかもね。ハンバーグ、とても美味しそうだ」      という具合だ。その度に、     「だからハンバーグは食べないってば。ちゃんと話聞いてる?」      と指摘してやると、     「そうだった。食べないんだったね、気付かなかったよ。申し訳ない」      と、素直に認めて謝罪をしてくれた。      間違いを素直に認め、そして謝罪をする。人として当たり前のことを、『リトル・バディ』は人より流暢にやってくれた。なんてストレスがかからないのだろう。家庭を持つ、とはこういうことなのだろうか。いつしか私は、仕事から帰ってからの時間も、休日の大半も、『リトル・バディ』との会話に費やすようになっていった。
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