ミスティーク

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ミスティーク

 秋になり肌寒くなると、人肌が恋しくなると言う。  確かに分からない訳でもないが、自分はけっしてそうはならないという根拠のない自信が彼にはあった。元妻と別れて以来誰も好きにならないし、誰からも惚れられることはない。今までの経験則でしか判断できないものの、近年で恋人が居た試しがない彼は今日も同じ店の扉を押し開ける。 「いらっしゃ…」 「よう。今日は誰も居ないんだな」 「…なんだ、あんたかよ…」  一瞬バーテンダーの表情が揺らいだことに、ジャケットを脱いだ男性客は気付いていない。山﨑信長というこの男は、仕事帰りの乾いた喉を潤す為にほぼ隔日で通っている。毎日でないのは自宅で待つ娘のことが心配になるからではあるが、今年中学一年生になった彼女はこのところ急に大人びてきており、むしろ煙たがられるくらいになった。家にいるのが居心地悪い日すらあり、毎日通うようになるのも時間の問題かも知れない。 「お疲れ様…。なぁ、女の子って難しいもんなのか」  いつものカウンター席に腰かけ、対面のバーテンダーに向けて唐突に口を開く。拍子抜けした店員、霧島九朗(きりしまくろう)はオーダーを聞く前に怪訝な顔で向かいの客を見つめた。 「…オレに聞かれても分かる訳ないでしょう」 「ま、そうだよな。でも、長い事ここで店やってるなら…浮いた話とかほろ苦い経験のひとつやふたつ、あるんじゃない?」 「それってオレ自身のこと?」 「もちろん」  店名にもなっている神秘的な雰囲気とは裏腹に、店員は端正なつくりの表情を僅かに歪ませる。イケメンバーテンダーと謳われ確かに女性人気は高いが、客と色恋沙汰になるのは絶対にあってはならないことだと避けてきた。それに、彼の恋愛対象は山﨑が抱いているような綺麗なものではない。はぐらかす様に話題をすり替え、この感情を押し留めることにする。 「…てっきり海鈴ちゃんのことかと」 「ああ…うん。すずが最近反抗期なのか冷たくて…これからの時期は家に帰ると夜が長いだろ?家族がいるのにリビングにひとり…居た堪れないんだよな…」  霧島は父親というものの苦労を少しだけ、垣間見たような気がした。内心、何故子育てという大変な任務を担っているのかと疑問を抱いてしまう。しかし、彼から『父親』というポジションを奪ってしまうのは些か気が引けた。自分にとって彼が大切な人であるように、彼の娘にとってもたった一人の父親なのだ。 「まぁ、距離を置くのもひとつの策じゃないか?なんなら…平日は毎日ここに来てもいい」 「えっ?そんなことしたら破産しちまうよ」 「元より繁盛している訳ではないからな。たまにオーダー出してくれさえすれば…その代わり」 「ん?」 「のぶ…山﨑さん、土日の休みも家空けてないか?それじゃ海鈴ちゃんがかわいそうだろ。何処か連れて行ったり、家でゲームしたりとかは?」  ぎく、と油を差していない機械から出る音が聞こえてきそうなくらい、山﨑の態度は分かりやすい。その表情から、どうやら図星のようだと悟る。普段から留守番のできるしっかりした娘であっても、まだ中学生だ。土日くらいは甘えたいのではと思い、苦言を呈する覚悟でそう聞いてみたのだが。 「なら、おまえが俺んち来るか?」 「…え?」  一瞬、時が止まったように感じてしまう。頭の中が真っ白になった。 「もちろん、定員と客としてじゃなくて…すずの父親の幼馴染みとして、だよ…あいつ、おまえのことは気に入ってるみたいだから」 「…なんだ…そ、そうか」  付け足された言葉に固まっていた思考が解ける。だが、それなら毎日…山﨑に会うということになる。これは千載一遇のチャンスなのかも知れないと、自分を奮い立たせた。 「今週末なら、空いてるよ」
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