何気ない一言で……

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何気ない一言で……

 「ただいま」それは帰宅の言葉、でも時々でそのニュアンスは違ってくる。  「ただいま」そう言うと祖父母と母親が「おかえり」と、言ってくれる。何気ないいつもの言葉、気が付けば使っていた帰宅の言葉。  「ただいま」と、父親が帰ってくる「おかえり」と、全員で言う。何気ないいつもの言葉。  そして暖かいお風呂と食事、リビングに接した寝室で姉弟で布団を並べて眠る。 「ただいま」そう言うと祖父母が「おかえり」と言ってくれる。母親も仕事に出てるようだ、姉弟で遊ぶいつもの毎日、夜に両親が帰ってくる「ただいま」と。  遅めの食事とお風呂に入ってそそくさと寝る、いつもの事だ。  「ただいま」と言う、まず最初に犬が尻尾を振って飛びついてくる「おかえり」のサインだ。祖父母の「おかえり」も聞かず家を出る、姉は学年が上がり違う学校に行っていた。もっぱら近所の友人と日が沈む迄遊ぶ。  「ただいま」と、姉が帰ってくる。「おかえり」とは言うがもう仲は良くない。何気ない何時もの事だ。  時は経ち自分も大人になり始めた頃一人暮らしを始めた。  「ただいま」と、言う、四畳半一間の部屋に虚しさだけが響く。初めて味わった孤独だ。  「ただいま」とは言わなくなった。独り無言で部屋に座りコンビニで買った弁当を食べ煙草を吹かす。何気ないいつもの生活になった。  「……」気が付けば帰宅後すぐにパソコンの前に座る様になった。「ただいま」と、入力すれば「おかえり」と言ってくれる存在がディスプレイの向こうにいたからだ。目の色を変えてキーボードを叩き、浴びるように酒を飲み、喉がおかしくなるくらい煙草を吸った。それが何気ない毎日になった。  「ただいま」と、産まれた家へ帰ってきた。新しく我が家に来ていた犬が初対面だが「おかえり」のサインをくれた、祖父母はもうこの世を去っていた。老いた両親も「おかえり」と言ってくれる、荒んだ心が洗われる様だ。  コレも何気ないいつもの毎日になった頃新しい家族ができた。妻ができた。  「ただいま」と、言う。妻が笑顔で「おかえり」と、言う。何気ない毎日、ラジオを聴きながら語り合ったり「おやすみ」も言えるようになった。  子供が産まれ大きくなった。学校にも行くようになり帰宅後「ただいま」と、言ってくれる。自分も笑顔で「おかえり」と、言う。何気ない、本当に何気ない一言で一番幸せと感じる魔法だと思う。
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