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プロローグ
梅雨の真っ只中の今日も土砂降り。
小嶋千景は濡れた傘をたたみながら地下への階段を下り、店の裏口の扉を開ける。
控室には休憩中の吉野誠がいた。
「誠、おはよ」
「あ、千景おはよ。来るの早くない?」
「最後の講義が休講になったから早く来た。課題やって時間潰すよ」
千景が大学3年になった4月、同時期に店でバイトを始めた誠は調理師専門学校に通う学生で、千景と歳も近い。大学での勉強とバイトに必要なこと以外はあまり周囲と話をしない千景でも、顔を合わせればたわいない話をする。出会ってまだ2か月くらいしかたっていないが、誠の人懐こい性格のおかげかもしれない。
「大学3年ってやっぱり勉強大変なの?……あ、休憩終わりだ!今日は忙しいよ。雨の日はお店が込む気がしない?じゃ、また後でね!」
誠は千景の返事を聞くことなく、慌ててフロアへ戻っていった。
誠がフロアへの扉を開けると、賑やかな音楽と客の笑い声が控室にどっと押し寄せた。
「確かに今夜は忙しそうだな」
千景は呟き、参考書をバッグから取り出してテーブルに広げた。
黙々と大学の課題をこなしていると、あっという間にフロアへ出る時間が近付いてきた。
(そろそろ時間だな。課題、これだけ済ませておけば十分か)
華奢な体で大きく伸びをしてから、フロアへ出る準備を始める。
千景がバイトをしているゲイバー「マスカレード」は、店名の由来でもあるが、フロアではスタッフも客も皆、仮面を着けるという決まりごとがある。少しの時間だけでも日常を離れて楽しんで欲しいというマスターの思いが込められている。仮面は店に様々な種類を用意してあり、入店時にその日の気分で選び、それからフロアに入る。
千景のお気に入りの仮面は、店のシンボルマークにもなっている黒い仮面だ。なぜだかわからないが、初めて目にした時に強く惹かれて、それ以来この仮面しか着けていない。
千景はさらさらとした艶のある黒髪で、すっと伸びた鼻筋を中心に整った顔立ちをしている。大学では「イケメン」「美人」などと陰で言われることは日常茶飯事である。あまり周囲と関わらず、自分のことを話そうとしない千景は、一部の学生に高嶺の花と位置づけられている。
上品で繊細な黒いレース素材でできた仮面は、千景のミステリアスな雰囲気によく馴染む。
千景は仮面を着けるこの時間が気に入っている。
普段、頑丈な檻の中にぎゅうぎゅうに押し込んでいる自分の心を、少しだけ解放してくれる仮面は、心のバランスを保つために欠かせないものとなっている。
ロッカーで制服に着替え、最後にお気に入りの仮面を着けたら、気持ちを完全に切り替える。
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