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9月下旬。スマホのメールを開かなければ、そのメールを無視していたら、私は畦道に立っていないだろう。
メールの主は黄金色寸前の田んぼの端の祠の脇からずっと私を見ている。
私から距離を縮める事はない。気づいていても真っすぐ前を見つめたまま。向こうも絶対に私に気づいているはずなのに、距離を縮めてくる事もなく数秒が過ぎた。
家を出てからも会社に行こうとしていた。電車通勤しているので、いつもの最寄り駅に行くまでの間に気が変わった。会社には急用だと連絡を入れて違うホームに立った。
今日は生憎の曇り空。山は少しづつ雨雲が増えてきているような気がする。
妙に身体がゾクゾクし始めてきた。別に気温が低い訳じゃないのに。今年の夏は酷暑で9月に入っても猛暑。しかし都会暮らしの私にしてみれば、こちらは涼しく感じる。もうすぐ夕刻だからかもしれないが。
少し風が強く吹き始めてきた。半袖ワイシャツ・ネクタイの私は自信を両手で抱きしめる。
「慎慈君、慎慈君」
通り過ぎ行く風に乗り、祠の脇に佇む苗実の優しい声が耳に届く。私は頷き自ら距離を縮めて歩いて行く。
「慎慈君、メール届いたのね。そして読んでくれたのね」
涙する苗実を私は躊躇せずに抱きしめる。
「ただいま苗実」
「お帰り慎慈君。ごめんね急に連絡して」
「ううん嬉しかったよ。こんな格好で来てしまって」
「初めて見たの。だから嬉しいのよ。見て、暑くても今年もこーんなに黄金色に実ったのよ。私たちの田んぼ。漸く実ったの。だからきっと私たちが会える年だったからよね」
私と苗実はこの場所で出会った。まだ幼きひの寒い寒い木枯らし吹いた日。
「ごめんな慎慈。もう村人たちを助ける為には、お前を祠の神様に捧げるしかないのだよ、理解しておくれ。そうすれば旱魃が終わり皆が救われる」
生命が絶たれる訳ではない。しばし祠の神様と畑の守り主の家の子と暮らす。そうすれば旱魃が終わって村に平和が訪れる」
「うん、村で田んぼの守り主は僕の家だからね。お父さん、旱魃終わったら還れる?」
「うん、帰って来られるよ。だから心配するな。迎えに来るからな」
父に従い神様の祠の中での生活を開始した。祠はとても小さいのに、出入りの際の時だけ身体が小さくなるだけで、中に入った体は元に戻る不思議な現象の中での生活。
畑の守り主の家の子は女の子だった。とても物静かな子で良く気が効く子だった。
祠の神様と3人で旱魃から村を救う為に働いた。祈りは1日何回も捧げた。田んぼの守り主の家の僕は神様と畑の守り主の子と、朝から休憩しながら田畑を復活させるべく祈りを続けて、水源を探したり水分を確保しようとそればかりの日々だった。
私たちの生命もいつどうなるか知れない。そんな状況の暮らしが続き、川へ出かけた2人はどちらからともなく干上がった川の土を掘り始めた。
「苗実、休んでいて。僕が掘る」
苗実は私よりしっかり者で真面目だった。
「大丈夫だよ。一緒にやって疲れたら一緒に休もうね」
その時がやって来たのは、私たちが祠の神様に捧げられてから3か月後の11月の7日の晩だった。
その日も川へ出かけて2人で土を掘り始めた。この年は旱魃が終わらず秋風が冷たかった。苗実の手をしっかりと握って摩りながら歩いた。
「何かあっちの山が暗いねえ、雨降ってくると良いのにね」
苗実はどんなに辛くても笑顔で私を見た。
「慎慈君は私のお兄ちゃん。お兄ちゃんがいるから頑張れるよ」
「そっか、有り難う。僕は苗実がいるから頑張れるよ」
「有難う。祠の神様と私たちで旱魃を止めるんだから」
いつもとは違う少し祠から離れた川へ来ていた。祠の神様には近くにいてほしいと言われていた。2人にもしもの事があったら、親御さんに顔向け出来ないからと言われていた。
「すぐに帰りますって言って、気づけばここまで来たね」
「うん、でもこの川は海に近いし少しでも草があるから可能性はあるよ」
私が言うと苗実はニコニコして海に近い土をスコップで掘り出した。
「腕痛くならないように、ゆっくりゆっくり掘るんだぞ」
妹分の苗実にアドバイス。私たちの脇には中型のバケツ。少しでも水が出て来たのならこのバケツに入れて帰る事にしている。
川と言っても小川があったような所へしか、何かあったら困るからいけなかった。
「ちょっと森へ行ってみよう」
「うん、葉っぱに付いた滴が集められるかもしれないね」
「そうだね」
と言ってみたものの、森へ行ってみようと言い出したものの不安でいっぱいだった。でも水を少しでも村に持って帰って、村の自宅に戻る事が出来るのならと思っていた。
川から森までは帰り道なので少しだけ気分は良かった。
「手をつないで。迷子になったら困るから」
歩みを進めて行くうちに薄暗くなってくる。獣のような声がして苗実がしがみついてきた。大丈夫だよ。少し抱き寄せる感じで私は周囲を見渡す。
「あっ」
思わず私が大きな声を出したので苗実がビクッとして私を見上げた。
「ほら耳を澄ませて。水の音がする」
私から離れて駆け出して行く苗実を追いかけて、木の間の先の池に辿り着いた。
「慎慈君、池だよ。池があったよ。でもこの池って誰か管理しているのかな」
「いや、池と言っても小さい。周囲に看板もないし底も深くない。管理人の家もないし管理されてはいないと思う。掬って出来るだけ持ち帰ろう。お祈りをきちんとしてから」
持ち帰った水を祠の神様に見せて説明をした。
「危険な場所ではなかったですか」
「はい。獣っぽい声はしましたが奥深く入る前に池を見つけましたので」
「そうかそうか。御苦労であった。その水を慎慈君は田へ、苗実さんは畑に撒きなさい」
ただただ滲みて黒くなるだけ。とても旱魃が終わるなんてありえない。でもその日の夜中に、祠の周囲が騒がしくなって3人で外へ。
「嘘、田んぼに水が。畑も潤っている」
雨は降っていない。目の前の田んぼに水。畑の土も湿っている。どうした事だろう。
「祠神様、慎慈君、苗実さん、旱魃が解消されたんだ。村の何処の田畑も道も濡れているんだ。どうした事だろう」
村長や村の方々が集まり更に騒々しくなった。
「不思議な事です。2人の頑張りです。感謝して下さい。雨が降り出しそうです」
そう言って祠の神様は、私と苗実を抱きしめながら言った。
「帰って来て、ただいまって言われた瞬間はいつも嬉しくて。無事で良かったといつも、いつも思っていましたよ」
祠の神様と私と苗実、村人は畦道に座って皆で手を合わせて祈りを捧げ続けた。村人からお菓子や果物を頂戴した。
何より嬉しかったのは家に帰宅で来た事。
「慎慈、本当に申し訳なかった。良く頑張ってくれた」
父に言われて頷いた。
「ただいま」
こう大きな声で家の中に入ったのが、つい最近のように感じられてしまう。苗実と思い出話をして手を合わせ祈りを捧げたからだろうか。
「稲刈り手伝うから連絡してね」
「申し訳ない、有り難う。お昼一緒にどうかな」
「うん、オッケー」
2人で畦道を歩き出した。あの時と同じように手をつないで。
(了)
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