帰る

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 昨年末辺りから、妻はなかなか治らない風邪のような症状に悩まされていた。 「あー。お節も作らないといけないのに、何か熱っぽくて・・。」 いつもは淡々と仕事から帰ってきて家事をこなしていた妻が、今回はどうも調子が戻らない様子だった。 「風邪かな?。だったら、お薬飲んだり、解熱剤がいいかもな。」 洋(ひろし)は少し心配しつつも、家にある比較的よく効く薬があるからと、さほど妻の状態を気にかけなかった。薬を飲みながら、騙し騙し家事を終えて、ようやくお節の用意は調った。後は雑煮をこしらえて、明日は家族三人で正月を迎えられる。いつもと変わらない年末年始を、みんな信じて疑わなかった。洋は仕事は休みだったが、生き物を扱う仕事だったので、店の魚達を世話するために、夜遅くまで仕事場に残っていた。そして、ようやく仕事納めを済ませて、夜遅くの帰宅となった。 「熱、どう?。」 「うん、あんまり変わらないかな。」 時折高い目の熱が出るようだったが、大抵は微熱のままだった。そして大晦日の夜、妻はTVで歌合戦を見たり、洋と娘はそれぞれPCで好きなサイトを見ながら、思い思いに年末を過ごした。  年が明け、明るい雰囲気の番組がTVで報じられる中、洋一家はお節や雑煮を食べながら、いつもと変わらぬ年明けを静かに祝っていた。と、突然、 「わ、地震だって。」 速報は、瞬く間に国内に駆け巡った。大きな震災が起きたのだった。 「まさに、地震大国だなあ・・。」 洋も、生まれてから既に二度の震災を目にしていたし、人生においてそのような出来事が、そう度々は無いだろうと、そう思っていた。しかし、実際は違っていた。現地の様子が映像で伝わるのは、もう少し後になってから。そうなるであろうことは、既に経験で知っていた。案の定、遅れて映される画面には、倒壊した建物や歪んだ電柱、崩れた海岸線など、今後の復興にどれ程の時間がかかるのかが見通せない光景ばかりだった。元旦早々だというのに、お祝いムードは吹っ飛んでしまっていた。国内が暗い雰囲気の幕開けとなった新年、尋の家族にも、別の薄暗さがさらに忍び寄ることになった。 「はあ、はあ・・。」 苦しそうに生きをしながら、妻の熱が微熱から高熱になる日が断続的に何日か続いた。これまで飲んでいた風邪薬は全く効いていないのは、素人目にも明らかだった。強い目の解熱剤で一時的に熱を下げることは可能だったが、根本的に治っているようにはとても見えなかった。 「あんまり食べたくないな・・。」 体調が思わしくないため、妻は食欲を次第に失っていった。少しでもエネルギーを得ようと無理に食べても、結局は戻す始末だった。 「何か飲みやすいチューブ状のもので買ってこようか?。」 洋は兎角、妻に何か食べさせべばと思い、二人でネット検索しながら、これなら食べられそうというものを探して、色んなお店を回ってエネルギー飲料を調達してきて、妻に与えた。 「有り難う。これで少し楽になれるかも。」 そういいながら、妻は何とかそれを口にしたが、結局状態が元に戻ることはなかった。事態がこのようになるまで、洋達は何もしていない訳では無かった。若干の喘息を持っていた妻は、呼吸器内科を訪れて、自身の状況をを医師に伝えていた。しかし、その段階ではまだ適切な診断をしてはもらえず、結局は事態を引き延ばすことになったのだった。  その後も状態は一向に戻らず、妻の衰弱が目に見えて進んでいった。何とか起き上がりながら、自身の症状をネットで検索しつつ、妻は洋に、 「ひょっとして、この病気かも知れない。」 と、体の恒常性機能が失われる病気を疑った。そして、専門医に連絡をした所、 「すいません。診察にはご予約が必要です。」 という、紋切り型の返事が返ってきたようだった。この段階で、妻の状態は日増しに悪化していたので、洋もその応対に対しては気が気じゃ無かった。 「あの、そこを何とか、お願い出来ませんか?。かなり状態が悪いので。」 そう懇願しても、やはり一般の人間が普通に病院で診察を受けるというのは、こういうものなのかと思い知らされるだけだった。それから数日経って、ようやく診察の日を迎え、妻は何とか病院に向かい、医師の診断を受けた。そして、持ち帰ってきた診察結果を見て、二人は愕然とした。 「検査の結果は異常無し・・だって?。」 「うん。どうやら、別の病気かもだって。」 何らかのホルモンの分泌異常が原因と踏んでいた二人だったが、そのデータに問題は全く無かった。では、妻のこの症状の悪化は一体・・。すると、 「どうやら、血液の数値がおかしいって、先生はいってたかな。」 妻が医師から告げられた話を洋に告げた。 「血液?。白血球とか?。」 「うーん、その辺りはよく分からないけど。」 それを聞いて、洋は一瞬、心臓が止まりそうになった。心当たりのある病で、知っていた人間を二人亡くしたことがあったからだった。洋には既に、両親はいなかった。高齢で、二人とも既にこの世から去っていた。身近な人間が亡くなったのは、祖父母と両親で、いずれも天寿を全うしたような去り方だった。 「人って、死ぬものなんだなあ・・。」 小学生の頃に祖母を亡くしたときから、年を経て両親を亡くしたときも、そのような必然性に抗うことは出来ないものなんだと、喪失感というよりは、むしろ、時の流れの、ほんの一時の間、人は生を得ているのだという感慨であった。しかし、そうでは無い死に方というのも、この世にはある。そのようなことが、洋の身内にはたまたまいなかっただけだった。  ほんの数年前、幼馴染みの親友が、奥さんを亡くしたという出来事があった。近所で店を営んでいた親友は、少し年上の奥さんと店を切り盛りしながら日々を過ごしていた。たまの休みには、洋も店に顔を出して、色々と話したりもしていた。それが、数年前、奥さんに大きな病気が見つかったのだった。親友は化学の知識に長けていたので、可能な限りの治療方法を徹底的に探し出し、それを奥さんにさせた。症状が安定してからは、海外旅行を楽しんだりと、比較的元気そうに過ごしていたようだったが、数年前、残念ながら奥さんはこの世を去った。まだ逝くには早すぎる年齢ではあった。しかし、人の命とは、いつ何時、どのような形で終えるのかは、誰にも決められないことなんだと、その時も洋はそう思っていた。そして今、親友の時と同じ状況が、自身にも迫っていることを、洋は自覚した。いや、せざるを得なかった。 「はあ、はあ・・。」 妻は苦しい息で、寝床から起き上がることも相当辛そうだった。当然、家事全般は洋が妻に代わってすることとなった。不慣れながらも、病床の妻に聞きながら、炊事や洗濯を何とかこなしてはいた。それも、妻が側にいたからこそ、出来ることだった。  呼吸器内科の先生から紹介状を貰い、数日後、洋は妻を何とかタクシーに乗せて、近所にある大きな病院へと向かった。院内の広いロビーで予約を済ませる間、妻をソファーに座らせて待たせたが、最早、次の場所への移動は無理だった。それを見かねた病院のスタッフが、 「車椅子をお使い下さい。」 と、折りたたみの車椅子を広げて持って来てくれた。洋は妻を座らせ、後ろから押しながら、一つ一つの精密検査の場に妻を連れて行った。 「どう?。」 「うん。動かなくていいから、楽。」 妻は車椅子で運ばれることが満更でも無い様子だったが、洋を気遣って元気な様子を見せていたことは、洋にも十分に伝わっていた。そして、断続的に数時間の検査を終え、最終的に医師の診断を聞きに行った。すると、車椅子からベッドに移動する際の妻の様子を見た医師が、 「わ。相当悪いじゃ無いですか。」 と、率直な意見を声に出してしまった。洋も妻も、そうであることは承知だった。ただ、少しでも希望があるならば、そうは思いたくない一心で、此処までやって来た。なのに、専門家のその一言は、尋の心に少なからず動揺を与えた。いや、絶望の戸を叩いてしまった。 「やっぱり、医者からもそう見えるのか・・。」 僅かな時間の間に、洋はありとあらゆるシミュレーションを頭の中で行った。俗に言う、走馬灯のようなものだろう。もし、妻と過ごす時間が思っていたよりも短いものになってしまうのなら、彼女とどう過ごそうか。出来るだけ幸せな気持ちになれるように、精一杯してあげようか。でも、今の自分に、そんなことが果たして出来るのだろうか。そして、もしも、もしも最悪な事態になってしまったら、その後、自身はどうやって生きていけばいいのだろう。いや、そんな風に考える精神を保つことが出来るとは到底思えない。自分は一体・・。そうこう考えとも着かない感慨に身を投じていると、 「やはり、血液の疾患です。」 医師は明確な病名を洋と妻に告げた。二人とも理系畑の出身だったので、告知は率直に行ってもらうことに、然程抵抗は無かった。そして、 「即入院で、早速治療を始める必要があります。ただ・・、」 医師は治療の方針自体は速やかに語ったが、問題は病床だった。つまり、個室なら空きがあるが、大部屋には空きがないとのことだった。当然、個室に入院した場合、日にちが嵩めば相当な金額が生じる。今の洋の経済状態では、とても払える額では無かった。そうなると、この病院で入院・治療は不可能である。病院の側も、近くに治療を受けられる転院先を懸命に探してくれた。そこから小一時間ほどして、 「此処なら病床もありますし、治療も受けられます。」 と、スタッフの女性が朗報を持って来てくれた。其処は洋達が今いる所から、そう遠く無い、大きな病院だった。早速転院の手続きと支払いを終えると、妻は先に来るまで別の病院医に運ばれた。洋も後を追って、原付バイクで其処まで行った。  転院先ですぐに入院の手続きと、すぐに必要な着替えや道具を買い揃えると、洋は妻に、 「また来るから。」 そう告げて、家に戻った。そこからは、仕事と見舞い、そして家の家事というルーティーンワークが待っていた。何もかもが、混乱の中にあった。しかし、同時にやらなければならないことは決まっていた。 「生活・・かあ。名詞じゃ無くって、動詞だなあ。」 そんな事を考えながら、洋は日々を過ごすように、いや、生きるようになっていった。その際、自身の気持ちが全く落ち着かないことを自覚していた洋は、最低限でも日々の行動を間違いなく出来るように、あることを始めた。洋の母が生前、台所の上に小さな神棚のようなものを設えてあった。得に飾りなどは無く、毎日お茶とお水を供えて拝んでいただけの、簡素なものだった。母が亡くなって以降は、妻がそれを引き継いでいたが、彼女が入院してしまった後は、誰もそれを次ぐ者がいなかった。洋は必然的にその作業をすることとなった。しかし、それが不思議と、洋に少しずつ落ち着きを取り戻させた。 「まずはお茶っ葉を入れて、湯を注いで、お茶と水を湯吞みとコップに注いで、それを供える。」 そうブツブツといいながら、一日のスタートをその作業で始めるようになると、根本的な不安が消えた訳では無いものの、日々の自分の生活が、作業が、生き方が、少しずつ把握出来るような、そんな気がしたのだった。それが終わると今度は、飼っている小鳥たちの世話にかかった。始めはごく数羽しか居なかったのが、少しずつ増えて、今では数十羽が家の中を自由に飛び交い、夜には鴨居や室内の洗濯ロープやカーテンレールに止まって寝るのだった。勿論、エサや水の世話が必要で、その作業は毎日、妻が行っていた。かなりの数の餌入れや水入れがあったので、作業はそれなりの時間がかかったが、洋はそれを毎日、淡々とこなしていった。そして、仕事前か仕事終わりに妻の所に見舞いに行き、仕事が終わると近所のスーパーで夕食の食材を買って帰って、帰宅後は再び鳥の世話、それが終わると夕食の準備にかかった。 「お腹空いたー。」 「はいよ、とよっと待っとれ。」 洋は娘にそう告げると、その日の食材で色んな料理を作って振る舞った。一人暮らしの経験もあり、料理にも興味のあった洋だったので、料理は比較的得意だった。 「どう?。」 「美味しい!。」 娘からも、まずまずの評判だった。日々の作業を神棚の作業から始め、一日の締めくくりを夕食と後片付けに費やすだけの毎日。それだけでも手一杯だった。最初はかなり不慣れで相当時間もかかっていたが、次第に手際も良くなり、少しずつ自身の時間も持てるようにはなった。心が一着いているのかどうかは、多忙な洋には自覚さえ無かったが、幸いにして、入院直後からの、妻の治療の第一段階が殊の外、功を奏していた。数日後、見舞いに訪れた洋が、 「どう?。」 と尋ねると、車椅子に乗って移動しか出来なかった妻が、 「ちゃんと食べれるようになったし、自分で歩けるようにもなったよ!。」 と、劇的な回復ぶりを見せた。入院前の血の気が失せてか細い声しか出なかった時とは、全く別人だった。 「凄いな!。このまま、治っちゃうのかな?。」 そんな風に思いもしたが、実はこの段階で、二人は医師から治療の方針について聞いていたのだった。 「最初は兎角、体力を戻す為にステロイド剤の治療を行います。その際、病巣も一時的には叩けますが、それはあくまで一時的です。その後、体力が戻ったら、本格治療に入ります。」 そう聞かされていたのだった。しかし、年明けから入院前の状況を経ての二人には、今のように回復することすら、にわかには信じがたいことだった。それ故に、病名と病状から、再び健康的な生活を取り戻す想像など、夢に描くことさえ難しかった。それが今、かつてのように、食べることも、歩くことも出来る。こんなごく当たり前のことが、決して当たり前では無い。例えぬか喜びでも、喜ぶことの出来る間に喜ぶことが、生を全うする上で最も重要なことなんだと、洋はそう思っていた。  この頃、洋は仕事の面でも大きな転換期を迎えていた。景気が思わしくない今、新たな仕事の行い方に転向する必要があり、家事と見舞いの合間に、職探しにも出向いていた。収入が無くては、生活は愚か、妻の治療も出来ない。そうならない為には、当たり前のことではあるが、 「生きる。ちゃんと生きる。」 それしか無かった。次の段階の治療が、どのような効果を発揮するのかも、まだ解らないままだった。しかし、そんなことを考えている暇も無い。いや、暇などという時間があるからこそ、かえってあれこれと考えたり悩んだりしてしまう。ならば、自身を忙殺させながら、ひたすら生きることに我武者羅になっていた方が、気が楽である。そう若くは無い洋ではあったが、久々に振り向かずに、ただただ生活を成り立たせるべく、日々を過ごしていた。  それから数ヶ月が経ち、洋はいつもと変わらずに生活を必死で続けているつもりだったが、自覚は無いものの、明らかに疲労困憊していった。郵便ポストの鍵は刺したまま、水筒の蓋をせずに鞄で持ち歩いた為に中身はびちょびちょ、見舞いの度に、妻も洋の顔から表情が失せているのを危惧していた。娘は家から出たがらないタチだったが、流石に母親の長期の留守が応えたのか、 「見舞いに行く。」 と、突然いい出した。娘は妻にはべったりと甘えていたが、入院後は父親には負担を掛けまいと、我が侭を言うのを我慢していた。しかし、それも限界のようだった。久しぶりに母親に会った娘は、随分強がっていた分、目に光る物を一杯貯めていた。そして、嬉しそうに妻に抱きついた。 「寂しかったんだなあ・・。」 洋と同じ気持ちが、娘にも十二分にあったのだった。病室で、束の間の家族揃っての団欒。やはり、当たり前にしていたことが、こんなにも当たり前ではなかったのかと、洋は妻と娘が寄り添う光景に、胸を打たれた。 「この暮らしを、なんとか続けたいなあ・・。」 娘には我が侭を言わず、父と過ごすというミッションが、妻には体を休めながら、兎角治療に専念するというミッションが、そして、洋には今やっていることを、淡々とこなしながら生活していくというミッションが、それぞれに課せられている。それが生きるということなんだという思いが胸の憶測に、いつの間にか宿っていた。  妻の治療効果は、幸いにも良い方向に向かっていた。薬の副作用で、頭髪が抜けたりと、大変な面もあったが、それは逆に、病巣をやっつけている証でもあった。そんな治療が、今後もずっと続くことは、妻も洋も、覚悟はしていた。そして、毎日行われていた点滴も間が開くようになり、病院食も十分に取る子との出来るようになった妻は、次第に体力を取り戻していった。そうなると、ついには、 「退院出来ますよ。」 との言葉を先生から頂いた。一時退院では無い退院。治療効果が目に見えて現れた時も、洋にはそうなることを願う自分がいる一方で、そのような日が来るのは夢にも思わなかったという自分もいた。親友の奥さんの死。そういう現実もある中、我々には、生という現実が訪れる。そうなることの采配は、一体、どのようにしてなされているのだろう?。水蒸気の塊である雲の上に、大気圏や成層圏が広がっていて、その向こうには真空の宇宙が果てしなく広がっている。その遥か彼方に、こちらを見据えながら、時間の流れや生命の長短を担っている、そんな人知を超えた存在がいるのなら、きっと彼らが、彼女らが、そういうことを調節しているのかも知れない。小さい頃は、そういうものが存在しているのが当たり前のようにおも終えた頃もあったが、次第に年を取り、物事の道理や理屈が解ってくると、科学を中心としたものの見方が自身の頭の中に支配的だった。そして、人の生き死にも、単に生物の物理現象程度にしか受け止めなくなっていた。そして自分も、やがてはいち有機体として、この世から消えていく。その程度にしか受け止めなくなっていた。 「それって、無味乾燥で、つまらない、有難味の無いことなのかもなあ・・。」 毎朝、神棚にお茶とお水を供えて、両手を合わせて心の中で言葉を発しながら拝む。そういう思いが、妻の回復に繋がったのかどうかは、洋には解らなかった。しかし、 「科学的であるかどうかなんて、どうでもいい。ただ、生きるんだ・・。」 洋の心の中で、少なからず変化が起きたのは確かだった。  退院の日、洋も娘も心待ちにした妻が、母が、やっと帰ってきた。 「ただいまーっ!。」 娘は母親にギュッと抱きついて、いい歳なのにしばらく離れることは無かった。洋は妻が家に帰ってきた時に、恐らく最初に口にするであろう言葉を予想していた。そして、妻がいつものように奥の部屋に入ると、 「あれ?、家って、こんな臭いだったかな?。」 と、洋が予想していたとおりのことを口にした。誰しも、長期間家を空けると、出先の臭いに嗅覚が慣れてしまうものである。そして今、その証明が、妻の一言で完全に成されたのだった。それほどまでに、今回の出来事は長かったのだと、洋はあらためてそう思った。そして、娘が気の済むのを待って、今度は洋が妻と抱擁した。そして、耳元で、 「おかえり。」 そっと呟いた。妻も腕に力を込めて、洋に抱きついた。少し嗚咽が聞こえた。 「みんなで生きよう。」 その言葉以外、何も要らなかった。洋は、ただただ、そのことだけを見つめて、これからもいつも通りに暮らしていこうと、そんな風に思った。天井付近では、妻の帰宅を待ちわびたかのように鳥たちが飛び交いながら、 「チュル!。」 「チュル!。」 と、大きな声で嬉しそうに鳴いていた。
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