『ただいま』という言葉は夜空に消えて

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康二は、当然のように軍隊に入った。 昭和19年(1944年)の10月であった。18歳になればいっぱしの大人。お国がこんな状態にあれば誰だって軍に入るのが当たり前。 特に康二の父親は海軍航空部隊のある部隊の隊長を務めている。兄の幸太郎も軍に入って二年経つ。康二も軍人一家に生まれたことで、何の疑いもなく軍人の道を選ぶ。 だがあの夜、母親は泣いていたようだ。 「僕も父さんや兄さんのように立派な軍人になる。軍に入る」と打ち明けた晩だ。 その時は、さすがに軍人の妻。 しかも軍の上官である夫を持つ身であっては、「お前は軍に入らないで」と言えなかったのかもしれない。母にとっては、夫も長男も軍にとられ、その上、次男までもという思いが強かったのかもしれない。 それは人の親として当然のことだったろうが、そうは言えない時代で、特に軍人一家では。 明日には配属先に向かうというその前の晩、康二もさすがに眠れなかった。 夜中に起きて台所に水を飲みにいくと、母親が隅で肩を震わせて泣いているのが目に入った。 声は聞こえなかったが、明らかに下を向いて、床には涙の跡がはっきりと見えた。 康二は水を飲むことができず、そのまま布団に戻った。
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