153人が本棚に入れています
本棚に追加
情けなくも恐怖で動けなくなった私にどんどん近付いてくる黒い影。
地面を移動するシルエットから離せない瞳が瞬きも忘れた頃、それは私の影を覆って肩にひやりと冷たいものが触れた。
「ひ」
制服の上からでも分かるその温度は氷のように低温で、それが手だということに気付くまで少し時間がかかった。
掴まれた両肩を上げてできるだけ刺激しないよう目を瞑る。どくん、どくんと脈打つ心臓は全神経を背中に集めてその人が起こす次のアクションを警戒していた。
「僕のこと忘れちゃった?」
耳にかかる息にびくりと全身を強張らせ、咄嗟に勢いよく振り返ればひんやり冷たい手が離れる。僅かでも距離をとるために鞄を体の前にして身を守るのは本能か。
「ひ、人違いです…!」
動物の威嚇でよくあるように、自分が少しでも強く見えるよう鋭く睨んだ。それでも特に動じる様子のないその人は、大きな口の端を吊り上げて私を見る。
「人違いじゃないよぉ。僕がまゆちゃんを間違うはずないじゃない」
降参するみたいに両手を上げたまま、長い前髪の奥で細めた目。私の顔ほどありそうな白い手をひらひらと翻したら、またにこりと笑う。
その表情に、どこか見覚えがあった。
「…おにいさん?」
自分を疑いながら恐る恐るそう聞けば、花が咲くように明るくなった瞳が見開く。そしてまた一歩、私に近付いた。
「そー、おにいさん。まゆちゃん大正解〜」
私より遥かに高い背丈を屈ませ顔を覗き込む。ぱちぱちと鳴らす手は幼い私を相手にしていた時と変わらなくて、なんだか子供扱いされている気がした。
最初のコメントを投稿しよう!