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間壁さんは、私のために父さんは退職したと言っていた。
なら再入社の誘いを断るのも、私が原因なんだろう。
だったら、うん、さっき言われたとおり私が父さんを説得しなきゃ。
せめて理由を聞かなくちゃならない。
「父さん、なんで断るの。元の会社に戻りたいんでしょ」
「鈴架? 何言ってるんだ。そんなことはない」
「ウソ。分かるんだからね」
父さんの目がちょっと泳ぐ。
やっぱり本音を話してない。
じいっと見つめれば、父さんは天井を仰いだ。
「……もし戻れば、残業ばかりになる。出張だって多い」
「なんで? 私留守番くらいできるけど」
「一日二日どころじゃないんだ」
「ふーん。心配なら私の受験が終わってから戻ればいいんじゃない?」
「いいね。それくらいならこちらは待てるし、大歓迎だよ」
間壁さんの援護射撃も頼もしい。
二人分の期待がこもった視線に観念したのか、首をゆるゆると何度か横に振ってから、父さんは話し始めた。
「……昔な、決めたんだよ。鈴架の成長を母さんの分も見守るってな」
「母さんが死んじゃったとき?」
父さんは静かに頷いた。
「母さんが亡くなってしばらくしてから、鈴架と過ごす時間があまりにも少ないことに気がついたんだ。それで思い出したんだよ」
記憶を丁寧にたどるように、父さんの言葉がゆっくりになる。
「出産に立ち会ったとき、産声をあげた……つまり鈴架の人生最初に対面した家族は、父さんと母さんの二人だけだっていうのに感動したことをな。あの時から育児とか、鈴架の将来について同じ熱量で話をして、共有できるのは母さんだけなんだ。ばあちゃんたちも協力してくれるけどな、立場が違う。母さんに鈴架の成長をちゃんと報告できるのは俺だって気持ちで、今まできたんだ」
覚悟の話だった。
初めて聞くことばかりで、ちょっと面食らう。
でも、そんなに難しく考えることなんだろうか。
仕事が忙しいなら、他にも頼る。
退職まで自分を追い詰めなくてもと思う反面、できる限り家にいて宿題を見てくれたり話を聞いてくれた時間も大切だったから、さっきまでみたいに簡単に結論が出せない。
うつむいた私の頭を、父さんはわしゃわしゃと撫でた。
「俺自身が鈴架を優先すると決めてここまできたんだ。だから、もう少し頑張らせてくれ」
「……見てきたって割に分かってないんだね」
「ん?」
今までのことに、無理しなくても良かったなんて言えない。退職してくれたからこそ、一緒に過ごせて良かったと思う時間が多すぎる。
だけど、これからについては話が別だよ。
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