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「まあ。めちゃくちゃにんにく効いたやつ食べたい気分」
「それ、もしかして私への嫌がらせのつもりですか?」
「はあ? 食べたいもの訊かれたから答えただけだけど? 却下するなら最初から訊かないでくれる」
「そういうつもりじゃ……いいです、行きましょうにんにく、昼間っからにんにくの匂いぷんぷんさせちゃいましょ、ふたりだったらなにも怖くない」
「日比さんってほんと変わってるね」
再会してからずっと平板だった彼の表情が少しだけやわらぎ、微笑んだように唇が少し動いた。第一ボタンが失われたシャツの首もとからのぞく肌がやけに白く発光している。あの日の眩暈がかすかによみがえる。
彼おすすめの餃子専門店が幸いにも歩いて数分のところにあるということで、私たちは連れ立ってその店に入った。入口扉を開けた途端、鼻腔に届いて食欲を鷲掴みにしてしまう肉と油の匂い。押し込められた客たちのざわめきと熱気に気圧される。休日のランチタイムということで、さして広くない店内はかなり混んでいる。
二人がけの四角いテーブルに向かい合って座り、メニュー表を広げた。ラミネート加工されたA4サイズ、片面のみのシンプルな一覧だ。餃子はスタンダードなものの他にも数種類があって目移りするけれど、結局、「これおすすめ」と指差された、スタミナにんにく餃子のセットに決めた。
彼が店員に注文を伝え私に向き直ったタイミングで、隣の席の客のもとに餃子定食が給仕され、こんがり焼いた表面の香ばしい匂いがこちらまで漂ってきた。呼応するように腹の虫が小さく鳴る。彼に聞こえていなければ良いけれど。
餃子の匂いにまぎれて、あの日も嗅いだ甘い匂いがほんのり空気に混じっている気がした。それだけで途端に心が落ち着かなくなる。
これは彼が生来持つ香りなのだろうか、発情期のフェロモンではなくて。
だってあのとき彼が(とてもそうは思えなかったけれど)発情していたとして、あれから一か月も経っていないのにもう次の発情期に入っているのはさすがにおかしい。オメガの発情は平均で3か月周期だったはずだ。
「無事に帰れた?」
料理を待つあいだの手持ち無沙汰に、彼が口を開く。いつ、と言われずとも、あの日のことだ。
「ホテルのひとに助けてもらえました」
「よかったね」
「よくないです、散々でした私はあれから、」
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