道化る

13/15
前へ
/71ページ
次へ
 約束どおりに私が会計を負担した。850円の餃子定食が二人分、プラス消費税。高いのか安いのか、餃子定食を普段好んで食べない私にはよくわからないけれど、夢にまで見た彼との逢瀬としてはあまりに安上がりな気もした。  駅までの道のりを歩きながら(雨はしとしとと降り続けている。私は薄桃色の傘を、彼は透明なビニル傘をそれぞれさしている)、よければもう少しゆっくりお茶でも、と誘い文句を言い終えるまえに「この後予定があるから」とさっくり断られ、途方に暮れてしまった。  私が立ちどまると、一拍遅れて彼も足をとめる。少しまえを歩いていた彼は駅舎の屋根の下で、ビニル傘を閉じたところだった。暗い雨のフィルターがかかってどこか妖美に光る双眸が、怪訝そうに私へ振り向く。 「また会ってくれますか?」 「どうして?」 「片岡さんのこと、気になります」 「はは、あんな扱い受けといて。ドMかよ」 「わかりません。なんでこんなにあなたのことで頭がいっぱいなのか、教えてください」 「そんなの、自分で考えたら」  くそアルファ、と聞こえた気がしたけれど、すぐに霧散した。  かたちのよい唇が、私の唇をさらう。  触れる一瞬、雨音以外のいっさいが私たちの周囲から消え去る。世界じゅうみんな傘をさしていて、誰も私たちを気にも留めない。  ひとがまばらな駅の片隅、薄桃色の傘の内側で、唐突に、脈絡なく、短いキスを交わした。  雨が永遠に続けばいいのに、と考えては、ばかみたいだと自嘲した。甘い匂いが濃くなる。 「あー、にんにく臭い。やめときゃよかった」  どうして、と尋ねたつもりだったけれど、言葉にはならなかった。それなのにきちんと彼には伝わるからふしぎだ。 「したそうな顔してたから?」 「どんな顔ですか」 「物欲しげな顔。会ってからずっとしてる」  それはおそらく、本当のことだ。私は静かに息を吐き出した。
/71ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加