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約束どおりに私が会計を負担した。850円の餃子定食が二人分、プラス消費税。高いのか安いのか、餃子定食を普段好んで食べない私にはよくわからないけれど、夢にまで見た彼との逢瀬としてはあまりに安上がりな気もした。
駅までの道のりを歩きながら(雨はしとしとと降り続けている。私は薄桃色の傘を、彼は透明なビニル傘をそれぞれさしている)、よければもう少しゆっくりお茶でも、と誘い文句を言い終えるまえに「この後予定があるから」とさっくり断られ、途方に暮れてしまった。
私が立ちどまると、一拍遅れて彼も足をとめる。少しまえを歩いていた彼は駅舎の屋根の下で、ビニル傘を閉じたところだった。暗い雨のフィルターがかかってどこか妖美に光る双眸が、怪訝そうに私へ振り向く。
「また会ってくれますか?」
「どうして?」
「片岡さんのこと、気になります」
「はは、あんな扱い受けといて。ドMかよ」
「わかりません。なんでこんなにあなたのことで頭がいっぱいなのか、教えてください」
「そんなの、自分で考えたら」
くそアルファ、と聞こえた気がしたけれど、すぐに霧散した。
かたちのよい唇が、私の唇をさらう。
触れる一瞬、雨音以外のいっさいが私たちの周囲から消え去る。世界じゅうみんな傘をさしていて、誰も私たちを気にも留めない。
ひとがまばらな駅の片隅、薄桃色の傘の内側で、唐突に、脈絡なく、短いキスを交わした。
雨が永遠に続けばいいのに、と考えては、ばかみたいだと自嘲した。甘い匂いが濃くなる。
「あー、にんにく臭い。やめときゃよかった」
どうして、と尋ねたつもりだったけれど、言葉にはならなかった。それなのにきちんと彼には伝わるからふしぎだ。
「したそうな顔してたから?」
「どんな顔ですか」
「物欲しげな顔。会ってからずっとしてる」
それはおそらく、本当のことだ。私は静かに息を吐き出した。
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